2018年4月30日月曜日

ピンカー「パラグラフなんて存在しないよ」

The Sense of Style から抜粋:
文章がツリーみたいな構造になってるのを理解すると,専門的でない散文を書くときに文章構造を視覚的にわかりやすくする数少ない仕掛けのひとつを理解しやすくなる.その仕掛けとは,段落の区切りだ.多くの文章作法本では,段落(パラグラフ)を組み立てる方法について詳しく指南している.でも,そういう指南は見当違いだ.なぜなら,段落なんてものはないからだ.文章のアウトラインを構成する部品も,ツリーの枝分かれも,文章の単位も,改行やインデントで区切られてる文のまとまりに一貫して対応してはいない.かわりに存在してるのは,段落の *区切り* だ:読者が立ち止まって一呼吸入れていま読み終えた内容をじっくり咀嚼してからまたすぐにどこから読み始めればいいかわかるように文章の切れ目を目で見えるようにしてるしおりなら,たしかに存在してる.
パラグラフの区切りは,たいてい,談話ツリーの枝分かれに対応している.談話 (discourse) とは,内容がひとまとまりをつくっている文章のことだ.だが,同じようにちょっと字下げした区切りが,いつでも同じ単位を区切っているとはかぎらない.ありとあらゆる大きさの枝分かれに,同じ区切りを使うしかない.その単位は,小はちょっとした余談の終わりから,大は全体要約の終わりまで,さまざまだ.ときに,読む気が失せるほど長々しいひとまとまりの文章に段落の区切りを入れて,読者の目から眠気を払って一休みさせてあげるタイミングを用意してあげた方がいい場合もある.学術系の書き手は,よく,そんなのは知ったことかとばかりにひたすら文字が単調に連なったかたまりを紙にベタッと塗りつける.逆に,新聞記者は学者の真逆をやることがある.読者の注意が続く時間がそれほど長くないのを気遣って,1~2文ていどの極小段落に文章をみじん切りにするんだ.不慣れな書き手は,こういう記者よりは学者に近い書き方になりやすい.段落の区切りを多用しすぎてしまうよりは,使わなすぎてしまう.いつでも,読者に慈悲深く,ショボショボしはじめた目を休めるタイミングをちょくちょく入れてあげる方がいい.とにかく,思考が展開していく途中で読者を力尽きさせないこと.直前の文を詳しく肉付けするわけでもなく,また,直前の文から導かれる内容でもないなら,その文で字下げして区切りを入れよう.
階層的に組織する認知的な利点はさまざまあるけれど,どんな文章でもツリー状に組織しなくてはいけないわけではない.手練れの書き手なら,複数の物語の筋道を交差させたり,わざと疑惑や驚きに誘導してみせたり,いろんな連想に読者を誘ったりして,読者を先へ先へと引っ張っていける.だが,文章の極小単位の組織を運任せにしていい書き手はいない. 
(2019-10-21追加) 

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