2015年12月12日土曜日

"active shooter"

「経済学101」に銃乱射に関する短文を訳した:
文中に "active shooter" というフレーズがでてくる.直訳すれば「能動的発砲者」だ.

アメリカ国土安全保障省のブックレット『銃乱射:対処法』だと,こう定義されている:
「active shooter とは,閉じた場所や人で混雑した場所で能動的に人々を殺すか殺そうと試みる個人をいう.大半の場合に,active shooter は銃器を使用し,犠牲者の選別になんらのパターンも手法もない.」(An Active Shooter is an individual actively engaged in killing or attempting to kill people in a confined and populated area; in most cases, active shooters use firearms(s) and there is no pattern or method to their selection of victims. ) 
("Active Shooter: How To Respond," U.S. Department of Homeland Security, October 2008. )

ネット上の日本語記事だと「アクティブシューター」とカタカナ語にしてるケースが目につく.上記の記事では,一読して通じるように「無差別発砲者」と訳しておいた.

V-G-A! V-G-A!

たぶん,人によって実感が異なる話.

先日発表された VAIO S11 もキングジムの PORTABOOK も,形態もスペック面も大きく異なるけれど,ともにビジネスユーザーを対象とすることをうたっている機種だ.そして,どちらも VGA 端子(アナログRGB端子/D-sub15ピン端子)をつけてる.

VAIO の場合,11インチクラスの旧機種 VAIO Pro11 では HDMI 出力があって VGA 端子はなかった.そこを逆に変えてきたわけだ.だから,「なんだよ,いまだにVGAをつけているのかよ」って話じゃなくって,はっきりと「ビジネス用途では VGA の方が必要とされている」と判断してるのがわかる.

いわゆるビジネスユースとはちがうけれど,大学の教室設備をみても,この判断は正しいと思う.残念ながら,多くの大学では PC からプロジェクタへの出力に使えるのは VGA 端子ばかりで,いまやけっして新しくはない HDMI での出力ができる場合はほんとに少ないからだ.

あくまでぼく個人の経験してる範囲にとどまってしまうけれど,いま複数の大学で利用している教室のうち,HDMI 接続ができるのはただ1つ,語学の CALL 教室だけだ.あとはすべて,VGA での接続しかできない.教室に備え付けのプロジェクタだけでなく,持ち運び可能なタイプのプロジェクタを貸し出している大学でも,HDMI 対応の機種があるケースはあまりない(し,あっても誰かに使われている).

おそらく,たいていの大学で,教室設備の更新はものすごくゆったりとしかすすんでないんだろう.もっと一般的に,日本の多くの職場でも,事情は大きく変わらないんじゃないかと思う.そういう環境では,「ビジネス用途」のモバイル PC において HDMI よりも VGA の方が優先度が高くなるのは当然といえば当然だ.

でもまあ,機器を更新するほどの余裕がないっていう,切ない話ではある.

2015年5月にでた VAIO Pro13 Mk2 の開発者インタビューで,こういう発言もある:
前のVAIO Pro 13は日本だけでなくグローバル市場での商品性を意識した製品だった。VGAとEthernetは日本市場に限って言えばニーズは非常に大きいのは分かっていたが、日本以外の市場だと、なぜこんなレガシーなポートが付いているのだ、と言われてしまう。しかし、新生VAIOでは日本市場にフォーカスした製品を作ることになり、セキュリティへの観点から有線を使いたいニーズのためにEthernet端子を、さらにプロジェクターに直接接続したいというニーズのためにVGA端子は追加することにした
(「ビジネス寄りに進化したVAIO Pro 13 | mk2開発者インタビュー」;強調は引用者によるもの) 


このあたりの事情は,ふだんの環境がちがうとまったくぴんとこないかもしれない.




このあとは愚痴.

いま,ぼくが主に仕事で使ってる PC は VAIO Duo13 で,これには VGA がなくって HDMI 端子しかない.しかたないので,VGA 変換アダプタをかましてつないでいる.「つながるならそれでいいじゃん」と思うかもしれないけれど,HDMI→VGA の変換アダプタを使うと,オーディオ端子からの音声出力は無効になってしまう.授業でなにか音声をながす必要があるときには,USB でサウンドカードをつないで,そこから音声を出力するという手間をかけなくちゃいけない.プレゼンタのレシーバに USB 端子を必ず1つ使うので,これで2つしかない USB 端子がふさがってしまう.学生からプレゼン用ファイルを USB メモリで受けとるとなると,いちいちどっちかを外すはめになる.それに,かんじんのアダプタを忘れてきたり不具合が起きたりすれば,それでいっきに詰んでしまう.

ともあれ,PCやタブレットが進化していっても,それをとりまく使用環境がおうおうにして旧式にとどまったままだと,メーカーとしても一種の退歩を選ぶのが正しい設計コンセプトになっちゃうんだね,というまとめでどうだろう.

2015年12月10日木曜日

鏡映しの権威主義者

思いつきだけ投げっぱなす:
  • 自分と対立する「あいつ/やつらは,権威者Aの言うことを,その権威ゆえにとにかく盲信する連中である」と考える.
  • すると,当該の「あいつ/やつら」に対する攻撃として,権威者 A の権威をターゲットにするのは有効に思える.
  • ところが,実は「あいつ/やつら」は *そこまで* 権威主義的ではない.
  • 結果として,「あいつ/やつら」への戦術として採用された権威者 A の権威への攻撃が際立つことになる.
  • こうして,みずからは必ずしも権威主義者でないにも関わらず,権威者 A の権威を異様に重視して攻撃するふるまいが生じる.

Marginal Rovolution大学@YouTube

「経済学101」でぼくがよく選んで訳してる経済学ブログ Marginal Revolution は,経済学者のタイラー・コーエンとアレックス・タバロックが運営している.

このコンビは,経済学のオンライン教育プラットフォームもやってる.その関連動画は YouTube を利用していて,いまのぞいてみたら,ずいぶん数があって充実してるみたいだ.
教科書 Modern Principles of Economics の動画は,ずいぶんと豪勢なつくり:




2015年12月9日水曜日

語法メモ: "another $149"

中学校英語で another X といえば「もうひとつのX」「べつのX」だ.この X は,先行する文脈にあるモノと同じタイプを表す.

たとえば――

▼ 「もうひとつの」の語義にあたる例文:
  • (1) "Would you like another drink?" 「もう一杯いかがです?」(X='drink') [OALD]
▼ 「べつの」の語義にあたる例文:
  • (2) "The room’s too small. Let’s see if they’ve got another one."「この部屋は狭すぎるなぁ.べつの部屋がないか,みてみようか」 (X='room') [OALD] 
いずれも,共通してるのは X のインスタンスがまず1つあって,さらにもう1つの X のインスタンスを another X で表しているってところだ.

もちろん,それだけで話は終わらなくって,次のようにも使える:
  • (3) ‘Finished?’ ‘No, I’ve got another three questions to do.’ 「以上ですか?」「いえ,あともう3つ質問があります」[OALD]
この場合,another Xs と複数形になっていて,すでにすませた質問に加えて,さらにあと3つ質問があるといってる.こういう例では,もはや「X のインスタンスがもう1つ」という意味にとどまっていなくて,たんに「追加の」という意味にしかなっていない.ただ,もしかしたら,この例文の文脈ではすでにすませた質問が3つあって,さらにもう3つあるのかもしれない.つまり,3つ-3つというセットで考えてるのかもしれない.

次の用例では,たんなる「追加の」という意味がいっそうはっきりと見てとれる:
  • "(...) it’s another $149 for the Bluetooth keyboard"「Bluetooth キーボードにもう149ドルかかる」(The Verge)
もとの文章では,グーグルの Pixel C 本体が 499ドルで,さらに専用キーボードをそろえるなら「追加で149ドルかかる」と言っている.明らかに,another X の X に該当するのは '$499' じゃあない.しいて言えば,X=「購入代金」だろう.こういう用例はべつにめずらしいわけではないはずだ.

むかしばなしをすると,ぼくが公立中学校ではじめて英語を習ったとき,ネイティブの教員に other とちがって another には an- 「1つの」があるだろう,と言われた.なにかしら「1つ」という意味が another の用法にはあるぞ,と言われて「なるほどなー」と思ったもんだ.でも,another が含む「1つの」の意味は,上記 The Verge のような用例ではいっそう抽象的な単位になっているようだ.

2015年11月28日土曜日

ソニーデザインの展示を見てきた



京都造形芸術大学で11月27日から29日の3日間やってるソニーデザインの "Making Modern" 展示を見てきた.

特筆すべきことはない.写真をてきとうに貼っておこう.

2015年11月16日月曜日

自炊の友:PDFの結合と画像抽出に使ってるフリーソフト

個人的な事情で,ScanSnap S1500 に付属していた Adobe Acrobat が使えなくなって久しい.PCの乗り換えや初期化にともなって何度もインストールとアンインストールを繰り返しているうちに,登録上限に達してしまったからだ(使ってる端末は2台だけなんでほんとはセーフのはずなんだけど,過去に登録した端末が消せなくなってる).

ともあれ,かわりに使える無料ソフトを模索してみて,いまのところは下記を使ってる:

  • pdf_as : PDF の結合・分割・抽出・削除ができるフリーソフト.本を裁断してスキャンしたら,これで複数のファイルを結合して1冊にまとめる.また,長大な本でよく参照する文法書なんかは章ごとに分割する.
  • PDF Image Extractor Free : PDF から画像を抽出する.とくに漫画は,自炊した PDF から画像抽出して適当に加工,それから zip にまとめる.(加工はサイズの縮小やコントラストの調整など.これは画像編集ソフトで一括してやる)
  • PDF画像抽出ツール : これも用途は同じ.ドラッグ & ドロップで単純.


2015年11月15日日曜日

スマートフォンホルダSPA-MK20

先日ソニーストアに行ったとき,クーポンがけっこうもらえたので買っておいた.

▲ 背景がきたない

型番はSPA-MK20 [Amazon].前のモデルも長らく愛用してきた.使ってみると,うまく改良されているのがわかる.

紙のスケジュール帳

前から少し気にかかってること:学生さまは,ほぼもれなくスマートフォンをもってるのに,スケジュール管理はどうも紙でやってる人が過半数っぽい.ぼくの感覚では,端末間で同期できてリマインダ設定もできるアプリの方がべんりなんだけど.

なんか,ぼくの知らない長所があるのかな.

2015年11月14日土曜日

ふちねこ

シャノアール系の喫茶店でドリンク3杯ごとに1回抽選してもらえる「ふちねこ」を写真に撮ってみた.

家電話を買い換えた:シャープJD-SF1CL


これまで使っていたシャープのコードレス電話機 JD-S10CL が不具合を起こすようになったので,しかたなく更新した.

家電量販店の売り場に行くまでは,「家の固定電話は,もういっそ単機能の有線式でいいんじゃないか」と思っていたものの,売り場で眺めているうちに,けっきょく今回もシャープ製コードレス機にしてしまった.

選んだのは次の機種:
この機種の長所は,電話線をつなぐ本体と通話に使う子機をべつべつに設置できることだ.


▲ シャープの製品ページから引用

また,たとえば無線ルーターから遠い位置に本体を置き,受話器とドックは机のすみっこに配置できる(帯域が異なるので干渉はなさそうだけど).

子機のデザインはすっきりまとまっている.主張がはげしくないので部屋にすんなりなじむ.他方で,懸念材料はバッテリーの寿命だろうか.

2015年11月12日木曜日

ソニーストア大阪で MESH をたっぷりさわ…れなかった

ソニーストア大阪の11周年イベントで,新規事業創出プログラムでうまれた製品・プロトタイプをいくつか展示してる(11月15日まで).でかける用事があったので,ついでにのぞいてきた.


2015年11月11日水曜日

"A churlish Dick Cheney": 不定冠詞+形容詞+固有名で一時的な状態を表す

前に,"An emotional Bill Gates" という例をメモっておいた.ああいった 不定冠詞 a + 形容詞 + 固有名詞のパターンについて,ホーンとアボットの論文がかるく触れている:
例 (25a) と (25b) のちがいを考えよう(Cheney のドッペルゲンガーなどいないと仮定する.よって,修飾語 churlish「粗野な」は非制限的にとる〔複数のチェイニーがいて,そのなかの粗野な a Cheney という解釈をとらない〕):
(25)
a. A churlish Dick Cheney (... reacted angrily to the reporter's questions).
粗野な a-ディック・チェイニー(…が,記者の質問に怒りをあらわに反応した).
b. The churlish Dick Cheney (... was a poor choice to mediate the dispute).
粗野な the-ディック・チェイニー(…は,論争の調停役にはまるでそぐわない).
不定冠詞 a を使うと一時的な状態が示されるのに対し,the を使うと粗野であることがこの個人の永続的な条件として標示される.このため,不定冠詞は,チェイニーの(潜在的な)有様 [stage] またはみかけ [guises] が複数あることを示唆する一方で,定冠詞はさまざまな有様に個別化することなくその個体の属性を提示する:つまり,ディック・チェイニーはただ一人だけいて,彼は粗野だということになる.A rude and obnoxious Dick Cheney shouted at me on my way into the meeting(粗暴で感じのわるい a-ディック・チェイニーが会議にいく途中でぼくに叫んできた)と報告すると,チェイニーはいつでも(または永続的に)粗暴で感じがわるいわけではないという Q-推意が生じる.決定的に重要な点として,このように 限定詞-形容詞-固有名 [Det-Adj-PN] 文脈で機能しているのと同種の <the, a> 尺度は,a CN が the CN と競合する通常の専一性/最大性/網羅性の事例でも機能している.


  • L. Horn & B. Abbott, "<the, a>: (In)definiteness and implicature." In William P. Kabasenche, Michael O'Rourke, and Matthew H. Slater (eds.) Reference and Referring. pp. 325-355. MIT Press, 2012.



2015年11月10日火曜日

動画:IMF「非伝統的金融政策の教訓と未来」セッション

とりいそぎメモっておく.今日の仕事が終わったら見れるかなぁ.見れた.
動画が表示されない場合は,ブラウザにブロックされてるかもしれない.

2015年11月9日月曜日

「アメリカ式絶望:国際比較で白人中年アメリカ人の死亡率が突出してる」(クルーグマン)

クルーグマンがブログコラムで立て続けに,下記の研究を紹介して議論を展開している:


ブログで引用しているグラフがわかりやすい:



中年(45~54才)のあらゆる死因を含む 100,000 あたりの死亡数の推移を示している.他のフランス・ドイツ・イギリス・カナダ・オーストラリ・スウェーデンが同じように低下傾向を続けているのに対して,アメリカの白人(ヒスパニックを除く)を示す赤線が上昇を続けている.また,これには労働参加率の低下など,社会的葛藤を示す傾向もともなっているんだそうだ.

これにいちばん近い事例は,共産主義崩壊後のロシアくらいだとコメントを加えつつ,コラムでは,(1) 保守層からのおきまりの批判(いちゃもん)を予想してこれを反駁し,(2) 他でもなくアメリカの主流である非ヒスパニック系白人にこうした傾向がでていることは,アメリカ社会が絶望にふかくとらわれているのではないか,と述べている.

1. 保守層から予想される批判・いちゃもんとその批判


保守派:「リベラルがわるい!」――リベラルどもが気前のいい社会保障なんぞをやるから依存心がのさばり絶望が蔓延する.それに,世俗的ヒューマニストどもが伝統的な価値を損なっている.

ツッコミ:でもこの傾向が現れてるのはアメリカの白人だけで,もっと気前のいい社会保障をやってるヨーロッパの福祉国家には見られない.それに,アメリカ国内でも白人の死亡率が低いのはいちばん社会保障が充実していて伝統的価値観が希薄なカリフォルニアみたいな地域だ.そうそう,いちばん白人の死亡率が高いのは,バイブルベルトだよ.

2. 絶望?

じゃあ,この傾向が,格差拡大や中間層の崩壊にともなう現象かというと,そこまで単純ではないとクルーグマンは言う.とくに目を見張るのは,白人よりもヒスパニック系の方がずっと貧しいのに,死亡率ではちがった傾向を見せている点だ.じゃあ,いまアメリカでなにが起きてるんだろう?

著者の一人であるディートンがインタビューで語った言葉をクルーグマンは引用している:アメリカの中年白人たちは「じぶんの人生の物語を喪失している」のではないか.アメリカンドリームを信じる階層に生まれ,もっとうまくやれるはずだと思っていたのに,その期待に届かないでいることでうちひしがれているのではないか.
In a recent interview Mr. Deaton suggested that middle-aged whites have “lost the narrative of their lives.” That is, their economic setbacks have hit hard because they expected better. Or to put it a bit differently, we’re looking at people who were raised to believe in the American Dream, and are coping badly with its failure to come true.
もっともらしい仮説だとじぶんも思うけれど,正直なところ,アメリカで絶望が広がっている理由はよくわからないとクルーグマンは言う.
苦境にあえぐアメリカ人にとって,国民皆健康保険・最低賃金引き上げ・教育補助などは大いに助けになるだろうけれど,それでこの病を癒すのにじゅうぶんかといえば心許ない

「Lingua は死んだ! Glossa ばんざい!」(Language Log)


言語学のトップジャーナルである Lingua の編集委員会がそろって辞任し,同じメンバーがオープンアクセスの言語学ジャーナル Glossa を立ち上げるとの話.(いまさら知った)


この記事では,Elsevier の扱う学術誌の購読料がハーバードのような潤沢な予算をもつ大学にとってすら重すぎる負担となっていること,運営の透明性,営利での学術誌刊行への疑問を述べている.

記事の呼びかけは強烈だ:
1. Support Glossa. Submit your best work to it, agree to review for it, help it get ranked and recognized across the academy.
Glossa を支援しよう.じぶんの最良の研究を Glossa に投稿し,査読を引き受け,学術業界全体にその名が知れ渡り高く評価される助けをしよう.
2.Do not support Zombie Lingua. The community should not assist Elsevier in standing up a new journal that usurps the Lingua goodwill. Do not serve on the editorial team, do not submit articles, do not review for them.
ゾンビと化した Lingua を支援しないこと.学術コミュニティは,Lingua〔の名声と伝統〕を盗用する新学術誌を Elsevier が立ち上げるのを助けるべきではない.編集チームの任を引き受けないこと.論文を投稿しないこと.Elsevier のために査読を引き受けないこと.
さらに:
1.Support Fair Open Access in Linguistics. The resignation of the Lingua editorial team and the foundation of Glossa are part of a larger movement. Sign the petition!
言語学における公正なオープンアクセスを支援しよう.Lingua の編集チームが辞任して Glossa を立ち上げるのは,もっと大きな運動の一環だ.嘆願書に署名を!
2.Boycott Elsevier. Do not publish, referee, or do any editorial work for Elsevier journals. Add your name to the list!
Elsevier をボイコットしよう.Elsevier が発行する学術誌での論文公表・査読,あるいはいかなる編集作業もしないこと.リストにあなたの名前も連ねよう!
いや,まあ,ぼくは(旧)Lingua なんて読むだけの人間ですけども.

「宗教は子供の利他性・道徳にマイナスの影響」(ガーディアン紙)

キリスト教・イスラム教・無信仰の家庭の子供たちを対象にした心理学研究の報道.宗教的な家庭の子供ほど利他行動が少なく,不正への罰をきびしくするという結果が得られたそうだ.

たとえば,子供たちにステッカーをあげて,「ただ,みんなにあげるほどたくさんはないんだよ」と伝えたとき,その子供が人と分かち合うかを調べて,利他行動をはかったところ,キリスト教・イスラム教の子供は,無信仰の子供と比べて利他行動が少なかったという.

『ガーディアン』の記事から:
  • 対象は5才から12才の子供,およそ 1,200人.
  • 国・地域はアメリカ,カナダ,中国.ヨルダン,トルコ,南アフリカ.
  • 24パーセント近くがキリスト教,43パーセントがイスラム,27.6パーセントが非宗教的.
  • ユダヤ教・ヒンドゥー教・不可知論・その他は数が少なすぎて統計的に妥当でなかった.
もとの文献:

(via Leiter Report)

椿あす「綴‐目を開けて見えた景色」

椿あす先生はいい漫画かいてはるなぁ.


ガンガンJOKERが連載はじまったばかりの様子.オンラインで「立ち読み」できる.

椿先生のブログから
つづるの「かわいい」はまだまだこれから。
2話もかわいいけど
3話はもっと
4話はもっとかわいい
5話も6話も・・

なにがはじまるんです?!

2015年11月7日土曜日

タッチパッドになんにも期待していない

――ということを,いまさらのように気づいた.ラップトップPCについてるタッチパッドの操作しやすさはぼくにとって絶望的で,他になんの手段もない場合の「非常用」という位置づけになってる.(はいはい,Mac はちがうのかもしれませんね)

いま愛機の VAIO Duo13 を使っているとき,操作手段は主に5つある.一部重複しつつも,それなりに役割分担がある:
  • キーボード:文字入力とショートカット.
  • マウス:カーソルに関わる主な操作.
  • 画面タッチ:マウスと競合気味ながらも,それなりに使う.
  • デジタイザスタイラス:手書き・ポンチ絵,ときおりマウス代替.
  • タッチパッド:非常時のマウス代替.ほぼ使わない.
マウス操作とタッチ操作を比べると,基本的にはマウスが優位だけど,たまに逆転するケースがある.たとえば,表計算ソフトを使っているときには,わざわざカーソルをもっていかなくても目当てのセルを指で触れれば入力に移行できる.

デジタイザスタイラスは,ちょっとした落書き・図解に重宝してる(Surface なんかのプロモーション動画でやたらなにかをペンでマルするのはなんなのか).これは,マウスでもタッチでも代替できない.また,「ラップトップ」をほんとに膝に載せて操作するときには,マウスが使えないので主にスタイラス頼みになる.

あきらかにダメなのがタッチパッドだ.Duo13 のタッチパッドが申し訳程度の狭いシロモノだからというだけじゃなく,他の機種でもぼくはタッチパッドを使わない.(はいはい,Mac はちがうのかもしれませんね)

この5つからマウスと画面タッチとデジタイザをとりさると,よくあるクラムシェル型ラップトップPCの「素」の操作系になる:キーボードとタッチパッドの2つだ.きっと,すごいストレスだろう.それでも,多くの人は「そこにあるのがそれっきりだから」という理由で,そのまま使ってる.ちょっとした周辺機器を足せばしなくてすむ苦労なんだけど,知らない人にとっては,そのための数千円の出費はずいぶんな贅沢に思えるものだ.

愛用っぽい予備マウス:Logicool Ultrathin Touch Mouse



Arc Touch Mouse を愛用しつつ,予備としてときどき使っているのが,Logicool の "Ultrathin Touch Mouse" だ.

愛用マウス:Microsoft Arc Touch Mouse


スタイラスやタッチ操作があっても,こまかい操作にはマウスが欠かせない.ぼくが一番よく使ってるのが,マイクロソフトの Arc Touch Mouse だ [Amazon].

VAIO Duo11 と 13 のデジタイザスタイラスを悪魔合体させたり

▲ 手前から,Duo13用,Duo11用,単6電池

メインとサブに VAIO Duo13 と Duo11 を使ってるおかげで,デジタイザスタイラスが無駄に2本ある.ところが,Duo13 付属の方がどうにも不調で,認識されなくなってしまった.念のため新しい電池に交換してもダメ.

2015年11月6日金曜日

リソグラフでUSBメモリを使う


学校などで大量に配布物を印刷するのに使うリソグラフには,USBメモリからの出力に対応している機種がある.

以前から,USB端子があるのは気づいていたけれど,PDFファイルを入れたUSBメモリを差し込んでみてもウンともスンとも言わないので,「あれはどう使うものなんだろう」と思っていた.調べてみると,使い始めるまでに一手間あるものの,それ以降はごくかんたんに利用できるのがわかった.

リソグラフに USB メモリから出力する利点は,次の3つだ:
  • マスターをプリントアウトして光学的に読み取らせる手間が不要になる.
  • 1部あたり複数ページある場合に,連続して読み取らせることが可能.マスターの読み取り時に紙送りミスが発生しないので,動作を信頼できる.
  • 印刷物の仕上がりが比較的きれいになる.
――というわけで,なにかと配布物を印刷する機会の多い教員は知っておいて損はない.(事務の人たちも意外と知らないみたい)

ここでは,RISO のリソグラフ SD5 シリーズにUSBメモリから出力するケースで話をすすめよう.これを選ぶ理由は,ぼくの仕事先にたまたまこの機種が導入されていたからだ.

VAIO Duo13 を windows10 にアップグレードした




ソニー公式のサポートで対応がなされたので,メイン機に使ってる VAIO Duo13 をWindows 10 にアップグレードした.

Windows Update にいつまでたっても Windows10 がふってこなかったので,こちらからお迎えするかたちで Microsoft ウェブサイトにアップグレード用ファイルをとりにいった.ソニーが推奨してる手順ではないけれど,とくに不具合はなかった.

▲ アップグレードを開始して30分ほど待たされた

アップグレード後にこれといった問題は起きていないけれど,公式の告知どおり一部の機能に制限がある.たとえば――

2015年11月3日火曜日

2015年11月2日月曜日

語学授業:ショートスピーチ/プレゼンの指導

いま担当してる英語の授業は,どれもスピーチ/プレゼン指導を主眼にしてるわけじゃないんだけど,毎回時間をとってスピーチ/プレゼンもやってもらってる.

やるからには,「そりゃ,話せ」で投げっぱなしにするわけにはいかない.最低限やるべきことを考えて試行錯誤してる.

Horn & Abbott (2012) ひとり訳読会

再読をかねてちまちまとやってる:

  • L. Horn & B. Abbott, "〈the, a〉: (In)definiteness and implicature." In William P. Kabasenche, Michael O'Rourke, and Matthew H. Slater (eds.) Reference and Referring. pp. 325-355. MIT Press, 2012.
  • 訳読のファイル: PDF

2014年8月25日にこのブログで文献情報をメモってた

いまセクション 3 が終わったところ.この先でようやく著者たちの自説が展開される.

2015年10月31日土曜日

クロード・シャノン「バンドワゴン」

ツイッターに RT で流れてきた――
Quantum Toy さんのツイート

――というツイートを拝見して,当該の文書を見た.2段組1ページの短文だ.
  • Claude Shannon, "The Bandwagon," IRE Transactions: Information Theory, 1956. [LINK

冒頭1パラグラフはこんな感じ:
過去わずか数年で,情報理論は一種の科学的バンドワゴンになっている.出発点は通信エンジニアのための技術的ツールだったのに,いまや,科学報道にとどまらず一般大衆向け報道でも異例なまでに人口に膾炙している.その理由を考えると,ひとつには,計算機械,サイバネティックス,自動化といった流行中の研究分野とのつながりがある点があげられる.また,この情報理論という主題の新規性も理由の一端だろう.その結果として,情報理論の重要度は風船のようにふくれあがって,実際の到達度合いからかけ離れてしまっているのかもしれない.さまざまな研究分野で活動する我らが科学者諸賢は,伝え聞いた評判に引き寄せられたり,新たに科学的分析ができるようになった領域に引き寄せられて,みずからの問題に情報理論のさまざまな考えを応用している.応用されている分野を挙げると,生物学,心理学,言語学,基礎物理学,経済学,組織理論をはじめとして,多数にのぼる.ようするに,情報理論は,いまや酒の飲み過ぎのごとき受容状況にある.

シャノンらの情報理論が言語学に移入された件は,別ブログでかるく触れたことがあったっけ:

マイクロソフト Surface Book ちょうほしい

――ので,ついついレビュー動画を見てしまう.どうせ買えないのに.

出席カードとコメントはスキャンする

たぶん,いまでは多くの講師があたりまえにやってるんじゃないかと思う.

授業の出席カードは回収したその日にすぐスキャンしておく.授業直後にできるならその方がいい.

スキャンしておくと,紛失防止と取り回しのしやすさで講師にとっておトクだ:
  • 紛失防止:スキャンすることで,出席情報を紛失してしまう恐れを減らせる.
  • 紙の処分:たかが出席カードとはいえ,時間とともに分量が増えていく.スキャンしてしまえば紙のカードそのものは廃棄できる.
  • 管理Tips:ファイル名は "2015-10-31_授業名_回数" みたいな書式で統一して,それぞれの授業ごとのフォルダにふりわける.
  • もちろん,バックアップは確実にしておかないといけない.

また,コメントを書いてもらって講師がとりあげて間接的でも授業参加をすすめる一助にできる:
  • スライドに掲載して紹介:コメントは,学生の名前をふせて切り取って,授業の最初にスライドで紹介する(画像編集ソフトで必要なところだけカットしておけばいい).講師が疑問・質問を奨励している姿勢をわかりやすく伝えるのが大事.とくに,講師のミスについて指摘してくれた場合には,ていねいにフォローして感謝を伝えておく.
  • アナログの利点:出欠確認だけなら大学で導入している学生証読み取り方式を利用すればいいし,コメントをとるだけなら,たとえば Google Drive の「フォーム」を利用する方が楽だろうと思う.それでも紙のカードを利用しているのは,記入の気楽さと「落書き」のしやすさを重視しているからだ.
  • 発言ポイント:学生の発言を奨励しているので,たんなる質問も含めて発言ポイントをつけている.やり方はかんたんで,出席カードにシールをぺたぺた貼り付けるだけだ.

こうした作業をやると,けっこう時間をとられる.それがとりあえずの問題だ.


参考になる記事






2015年10月30日金曜日

あとで聞く: 「社会から消える方法」ポッドキャスト

社会から消失した人たちのドキュメンタリー・ポッドキャスト:
(via "A social vanishing," Mind Hacks, Oct. 23, 2015.)

語学授業スライドの例

試行錯誤を続けてる.

どちらも同じクラスで使ったスライドからの抜粋.指定の教科書があるので,それをどう扱うかに苦心してる.とくに,リーディング用の教科書は学生さまの習熟度に見合ってないのがつらい.
  • リーディングは,予習課題を Google Drive の「フォーム」でやってもらってから進めてる.
  • 語彙の強化は授業内でやって,間隔をおいて小テスト (Quiz) をやってる.
  • リスニング用の教科書は「キーワードさえ聞き取れれば問題に答えられる」つくりになっていて,講師が工夫しないとどうにもならない.(学生時代のぼくは,こういうタイプの教材が大嫌いだった.だって,それってほぼ英語がわかんないままで放置されるわけでしょ.)





2015年10月25日日曜日

楽しませようとすら思ってない

Twitter では多少なりとも他人が読むことを想定してるけれど,このブログではそれすらない.チラシの裏としてはそれでいいんだけど,ますますダメな人になってる感もある.

  • Evernote に行動ログを手作業でつけてる.ToDo をリストアップしてつぶしていくときに,「何時何分開始」「何時何分に完了」という記録をかんたんにつける.いちばん作業がのってるときにはまったくログを残していない.でも,たぶんそれでいい.避けるべきなのは,まるっきり気が乗らないときにもちょっとずつ作業を進めることで,そういうときにはちまちまとログをつけることが助けになる.それに,やるべきことが多くてかるくパニックになっているときは作業を整理するのがとても大事だ.手動ログの功徳は,やる気の底辺を上げることにある.
  • ヘッドホンはすっかりワイヤレス一択になった.いくらか涼しくなってきたので,通勤時に使うワイヤレスヘッドホンを,耳に乗せるコンパクトなやつから耳をすっぽり覆うヤツに切り替えた(暖かくなったらまたオンイヤーにする).お外でヘッドホンをつける恥ずかしさみたいなのは,もうどうでもよくなった.俺はつける,きみたちはつけない.おしまい.
  • 7月のおわり頃から So-net のプリペイド SIM を使い始めた.だいたいどこでも通信できる.大学によっては,学内の無線 LAN を非常勤講師が利用できないところもあるので,テザリングでPCからネット利用できるのが思った以上にべんりだった.(共用のデスクトップPCは利用できるけれど,そんなもん,使い勝手がわるすぎるのだ)
  • なんでそれがべんりかっていうと,授業用に Google Drive をあれこれと使うケースが多くなったからだ.授業内のクイズやら学生さまどうしの共同作業やらで利用してる.
  • ふだんよく聞いてるポッドキャストの backspace.fm で,snapchat って SNS を紹介してる(コレコレ).聞いてるかぎりでは,いよいよきわまった廃人ツールに思えるので,じぶんでは使わない所存.もう若者じゃないしね.

2015秋アニメ

無駄に忙しくしているせいで,アニメの視聴もままならない日々をおくっている.今期はじまりのアニメで,どうにか3話まで見たのは次のとおり.数字は個人的な「視聴のうれしさレベル」で,最高が 5.0 ってことでひとつ:

ワイヤレスプレゼンターを買い換えた:ロジクール R400t


▲ R400t(左)とR800(右)

PowerPoint のスライド送りに長らく愛用してきたロジクール R800 が故障したので,R400t に買い換えた.こちらの方が廉価版にあたる.アマゾンの価格を見ると,10月25日現在で, R800 は12,840円,R400 は 4,945円だ.(実はロジクールのスイス本社 Logitech のモデルがもっと安く販売されている: 2,950円.くそう.)

お値段の高い R800 の方が多機能ではあったんだけど,そうした機能がぼくにはほぼ不要なのがわかったので,今回はお安い方にした.R800 の主な追加機能は次のとおり:

  • タイマー機能: 指定の時間が過ぎると振動で通知する.べんりだけれど,実際にはまったく使わなかった.
  • グリーンレーザー: 赤いレーザー光とくらべて,たしかに見やすいと感じる.でも,そもそもレーザーポインタを使う頻度が少ないのもあって,価格差を考えるとそこまで価値を見いだせなかった.
  • LCD表示: バッテリー残量とタイマーが表示される.R400t の方はバッテリー残量がわかりにくい.

どちらのモデルも,手に持ってなじみやすい.バッテリーの持続時間は長く,毎日2~5時間ほど使用をつづけても1週間は十分にもつ.乾電池式なので,予備をカバンに入れておけばすぐに交換して対応できる.

難点を挙げるなら,レシーバーがやや大きい点だろう.ロジクールのマウス製品はレシーバーの出っ張り部分が6ミリ程度にまで小型化しているのに比べると,いかにも大きい.ノートPCを動かしたときにうっかりぶつけてUSB端子を壊さないか,気をつける必要がある.

R800 を購入したのは,2011年11月15日.4年近く使っていたようだ.故障といっても,たんにうっかり床に落としてバッテリーのふたを壊してしまっただけなので,それがなければもっと長く使えていただろう.ただ,経年劣化はある.ボタンの矢印などがだんだん消えていったのは別にいいとして,背面の樹脂が少しベトつくようになっていたのは少し不快だった.


2015年10月18日日曜日

Office Lensは簡易スキャンにべんりだ

配布された書類や学生の提出物などをがっつり保存するときにはドキュメントスキャナの ScanSnap S1500 を利用している.スキャンし終えたらすぐにバックアップをかけて紛失を防止する.

他方,ちょっとした連絡に受けとった配布物や提出前の書類の文面は,すぐにカメラで撮影しておくようにしている.その際,少しだけべんりなのがエッジ検知・傾き補正のできるアプリだ.

いま使っているのはマイクロソフトの Office Lens (Android).エッジの検出はかなりお利口に感じる.

読み取った画像の転送先に One Note しか選択の余地がない点が不満と言えば不満だけど,とにかくなくさないうちに保存できていればいいので,これでも用は足りる.

簡易読書メモにも使えるっちゃ使えるかな.たとえばこういう感じのページをメモっておきたいとして――


Office Lens で読み取ると,こんな具合に仕上がる:


解像度は端末のカメラ次第だけど,いまどきのスマホカメラは優秀だなと感心する(上記の写真は Xperia Z3 Compact で撮影した)


Twitter 自粛中

――といっても,べつに嫌気がさしたとか,トラブルが起きたとか,そういうわけではなく.

後期に入ってから教育まわりで無駄にいそがしくなってしまったのを期に,少し控えるようにしている.いったん Twitter のタイムラインを開くとついつい20分くらいズルズルと滞留してしまうクセがついているので,アプリを開かないようにしている.どうでもいいことは,ブログというチラシの裏に書き込めばいい.

べつにこれで生活が劇的に変わったわけではない.ただ,睡眠時間を確保しやすくなった感触はある.

2015年10月16日金曜日

「認知バイアス20選」@Business Insider




Business Insider Australia が,「意思決定をダメにする認知バイアス」を20項目みつくろって画像にまとめてる.『ファスト & スロー』あたりのおさらいにいいかも.

画像への直接リンクはこちら: 
(via "Biases and Decision Making," Ethical Systems.org, Oct. 15, 2015.)


2015年9月23日水曜日

クルーグマン「1932年の金利引き上げ要求論」


  • Paul Krugman, "Rate Rage in 1932," The Conscience of a Liberal, September 22, 2015. 
大恐慌時代の金融政策の転換について,こんな文献を紹介されたとクルーグマンがブログに記している:

彼のコメント:
They look carefully at the archival evidence, and find that a key factor was the complaints of commercial banks that low interest rates on government securities were squeezing their profits. That is, the turn to tight money in the face of deflation and a collapsing real economy was driven by the same narrow banker interests I have suggested explain current demands for higher rates despite low inflation.
著者たちは文献資料を注意深く調べた上で,政府債券が低金利になってじぶんたちの利益が圧迫されることに対する民間銀行の不満が重要な要因だったのを見いだしている.つまり,デフレに直面しながら金融引き締めに転じて実体経済を崩壊させるよう促したのは,銀行業界のせまい利害関心だった.いま低インフレにも関わらず金利引き上げを要求する声があがってる理由の説明にぼくが提案したのと同じ要因が当時もあったわけだ.
Epstein & Ferguson (1984) のアブストラクト:
Early in 1932 the Federal Reserve System made a serious attempt to reverse the "Great Contraction" through expansionary open market operations, but abandoned it a few months later. In this paper we offer an interpretation of the episode that throws new light on the Fed's behavior during the Depression. Key are the attitude of private bankers, Britain's abandonment of the gold standard, and the brief open market campaign. To protect bank profits the Fed abandoned the progarm which set the stage for the complete financial collapse of the United States in early 1933. 

2015年9月22日火曜日

クルーグマン「下がり続けるNAIRU推定値」


Paul Krugman "The Receding NAIRU," The Conscience of a Liberal, September 18, 2015.


「これより下がったらインフレが加速していく失業率」ことインフレを加速しない失業率 (NAIRU) の推定値がずっと下がり続けているのをクルーグマンがブログで紹介している.チャートは,実際の失業率(青)と FOMC による NAIRU の推定値(赤)を示す.



失業率が NAIRU に近づくことは,「インフレがくるぞ,さあ金利を引き上げろ!」「金融政策を正常化しろ」という論拠になりうるかもしれないけれど,その推定値が下がり続けている.

今年の3月に紹介した教訓は,まだまだ有効なようだ.


こちらも参照: "The Fed Should Remember the 90s," The Conscience of a Liberal, September 4, 2015.

2015年9月20日日曜日

「iPhone とスマホ」:語義調節の一例?

ツイートしたネタをこっちにもメモっておく:


(東急ハンズ梅田店にて撮影;2015年9月18日)

もちろん iPhone もスマートフォンなのだけど,この例では iPhone を含まない語義に「スマホ」を解釈するしかない.

こうした語義の調節は,べつに例外的じゃあない.クルーズ『言語における意味』で,こんな例を挙げている:
食事中に,幼児のジョニーが手を使って肉をちぎっている.ポケットにはペンナイフがあるけれど,いまの場面に合ったナイフではない:
  • 母:Johnny, use your knife. ジョニー,ナイフをお使いなさい.
  • ジョニー:I haven't got one. 持ってないんだもん.
(p.133)

ジョニーはウソをついてるわけじゃない.ここでいう「ナイフ」は食事に使うようなナイフに限定されている.つまり,場面に応じて,ペンナイフを含むような上位範疇と,食事用に限定された下位範疇に切り替えて解釈できるわけだ.

2015年9月12日土曜日

無線LANルータを更新した

いままで使っていたバッファローのルータの調子がわるくなっていたので,思い切って買い換えた.いい評判を聞いていた ASUS の RT-AC68U を選んだ [Amazon].

ざっと所感を:

  • 本体はやや大きめ.ただ,接地面はそんなに広くとらないので,置き場所には困らなかった.
  • 接続設定はブラウザ上でさくさく進んだ.視覚的にわかりやすいと感じる.
  • nasne の録画をいままで以上に快適に視聴できるのがありがたい.
  • USB 3.0 でハードディスクを接続した場合の簡易 NAS 機能は,思った以上に使い物になる.自炊した本や資料を見たりするのに,有線でハードディスクをつながないですむ場面は増えそうだ.

いまのところ,使っているのは最低限の機能だけで,リモートアクセスなど,ASUS が用意している多彩な機能はまだ利用していない.

清水理史氏による充実したレビューが参考になった.


2015年9月11日金曜日

iPad Pro についてざっと記事を見たなかで

読んでいて面白かったのは,Steven Levy の文章だった:

面白いといっても,べつに奇抜なこと・特別にするどいことを言ってるわけじゃなくて,文章の書きぶりに魅力がある.

Levy の言ってることは単純だ:ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは,タブレットについてまるっきりちがう方向を構想していた,と Levy は言う.ゲイツの構想では,タブレットはラップトップをすべて置き換える端末だ.ラップトップでできることはなんでもできるスレート状の端末.でも,2001年頃にできた端末は,「基本的に,モノにならなかった」――「ハードも不十分,ソフトも不十分,バッテリーも不十分,ワイヤレス・ネットワークなんてなかった」.

他方,ジョブズが2010年におくりだした iPad は,周知のとおり,ラップトップを置き換えるものじゃなく,コンテンツ消費に特化した端末だった.まじめな作業,生産的な作業? そっちはラップトップでやんなさいよ.

その後マイクロソフトから登場した Surface シリーズはゲイツの考えた路線を追求していて,今度の iPad Pro はジョブズの構想よりもそっちに寄っていってる.タブレットはラップトップPCを置き換えるものなのか,それとも,ラップトップと別個にあってこれを補完するものなのか,そこんところの答えについて,ティム・クックはゲイツ路線にかたむいてるんじゃないの?

――というのが,おおよその内容.




「新種のヒト」に関する PZ Myers のコメント

新種のヒト属が発見されたというニュースが日本語でもいくつかでてきてる:

今回の発見について,生物学者の PZ Myers が,「専門外ではあるが」と断りつつ,興味と疑義のバランスをとった文章を書いている:

文章の後半で,Myers は次のような疑義を3点記している:

  • 〔この発見を報告した〕研究者たちは,まだ標本の年代をつきとめてない! 推測すらない! 今回の発表はそれくらい予備的なわけだ.こういうわくわくする発見をできるだけ早く公表したくなる気持ちは,わからなくもない.ただ,この種を系統樹のどこに位置づけたらいいのか,ぼくには見当もつかない.300万年前だろうか,それとも,30万年前だろうか?
  • 新しい種とされているんだよね? ぼくはいかなる点でもヒト進化の専門家じゃないけれど,今回のやつはホモ・エレクトゥスのパラメタ内に収まりそうに見える.著者たちも,ホモ・エレクトゥスに近似している点を注記してるけれど,それでいて,頭蓋骨に小さな独特の特徴があるとも主張してる.他の専門家たちからのさらなるインプットをみたいところだ.いつだって,新しい標本がでてくると,新種の名前を貼り付けたくなるものだ.ただ,今回のやつがホモ・エレクトゥスの1集団まるごとの遺物だという結果になっても,それはそれでわくわくする.
  • あれこれとでているニュース記事は,どれも,これが儀礼的な埋葬地ではないかと想像をめぐらせて,ぼくらの祖先は予想よりずっと前から特定の文化的な営為をやっていたのではないかと記している.その時期については,なんとも言えない.というのも,この場所がどれくらい前のものなのかわかってないからだ.洞窟はきわめて出入りしにくい(ただ,洞窟が使われていた当時にどれほど出入りしやすかったのかは,わからないけど).また,なにより興味深いのは,ホモ・ナレディの骨だけが洞窟内で見つかったという点だ.このことから,ここがたんなるゴミ捨て場ではなかったか,あるいは動物の遺物が自然に洗い流されたのではないかとうかがい知れる.儀礼的な埋葬物という説明は筋が良さそうに思える.ただ,今回見つかったヒトたちの脳は,いずれもオレンジ程度の大きさだけど.



2015年6月27日土曜日

ポートナー『意味ってなに?――形式意味論入門』がでます

ぼくのところにも見本が届きました.なかなかかわいい表紙にしあがっています.デザイナーは,『ヒトはなぜ笑うのか』と同じ大橋貴良さん.



形式意味論のごく初歩的な入門書です.書店には6月30日から並ぶそうです.

これまでの『言語における意味』や『ヒトはなぜ笑うのか』が分厚い鈍器だったのにくらべて,今回は300ページ足らずのコンパクトな本.

2015年4月4日土曜日

「ノートをとるならラップトップより手書きがおすすめ」という心理学研究

伊達と酔狂のサイト「経済学101」にタバロックの短文を訳した:
タバロックが参照している Vox の記事はコレ:
で,この Vox 記事が参照してる研究はこちら:

アブストラクト:
Taking notes on laptops rather than in longhand is increasingly common. Many researchers have suggested that laptop note taking is less effective than longhand note taking for learning. Prior studies have primarily focused on students’ capacity for multitasking and distraction when using laptops. The present research suggests that even when laptops are used solely to take notes, they may still be impairing learning because their use results in shallower processing. In three studies, we found that students who took notes on laptops performed worse on conceptual questions than students who took notes longhand. We show that whereas taking more notes can be beneficial, laptop note takers’ tendency to transcribe lectures verbatim rather than processing information and reframing it in their own words is detrimental to learning.
手書きではなくラップトップPCでノートをとることは,ますます広まっている.多くの研究者たちは,学習に関してラップトップPCでのノートとりは手書きよりも効果で劣ると提案してきた.先行研究では,ラップトップPC利用時に学生たちがマルチタスクを行う能力と注意散逸に主として焦点を置いてきた.本研究では,ノートをとるためだけにラップトップPCを使用した場合であっても,〔内容を租借する〕処理が浅くなるために,学生たちの学習が損なわれるかもしれないと提案する.3つの研究を行ったところ,手書きでノートをとった学生に比べてラップトップPCでノートをとった学生は概念的な質問に関して成績が劣った.より多くノートをとるのが有益なこともある一方で,ラップトップPCでノートをとると,情報を処理して自分の言葉でとらえ直すのではなく講義を言葉どおりに転記する傾向があり,これが学習の弊害となることを本稿では示す.

考えるためには勇気を支払わねばならない

"Man könnte Gedanken Preise anhefen. Manche kosten viel, manche wenig. Und womit zahlt für Gedanken? Ich glaube: mit Mut."
英訳:"You could attach prices to thoughts. Some cost a lot, some a little. And how does one pay for thoughts? The answer, I think, is: with courage."
(Wittgenstein, Culture and Value, p.52)


2015年3月31日火曜日

メディアでの誤報に注意:マルチタスクの機会があるだけでも知的効率は落ちる(かもしれない)という実験

要点

  • 一般にマルチタスクが作業効率を下げるのは事実だろう.
  • でも,ヒューレット・パッカードの「インフォマニア研究」とされてるものには要注意かな.

メモ本文

ダニエル・レヴィティンの一般書 The Organized Mind で,気になってた箇所をこっちにメモする:
Just having the opportunity to multitask is detriment to cognitive performance. Glenn Wilson of Gresham College, London, calls it infomania. His research found that being in a situation where you are trying to concentrate on a task, and an e-mail is sitting unread in your inbox, can reduce your effective IQ by 10 points.
マルチタスクの 機会 があるだけでも,認知パフォーマンスには有害だ.グレシャム大学のグレン・ウィルソンはこれを「インフォマニア」と呼んでいる.彼の研究では,あるタスクに集中して取り組もうとしている状況で,インボックスでメールが未読のままになっていると実効的な IQ が10ポイント低下しうることがわかっている.
(Levitin, The Organized Mind, p.95)

なるほどなるほど.日常生活での実感にも合ってるし,おもしろい.

ただ,ここで引用されている研究には注意が必要っぽい.レヴィティンが参照してるものは次のとおり (p.413):

2015年3月30日月曜日

心理学教科書でアッシュの「社会的圧力」実験が正しく紹介されていないらしい

イギリス心理学会 (British Psychological Society; BPS) のブログの記事:
棒が並んだ画像を見せられ,どれが一番長いかをたずねられたとき,同じ被験者だと信じているサクラたちの答えに合わせて,被験者が明らかに間違った答えを言うというソロモン・アッシュの実験は有名だけれど,心理学教科書での紹介が誤解を誘うかたちになっているという.

同ブログが紹介しているのはフロリダ大学名誉教授のリチャード・グリッグズによる調査.
  • Griggs, R. (2015). The Disappearance of Independence in Textbook Coverage of Asch's Social Pressure Experiments Teaching of Psychology, 42 (2), 137-142 DOI: 10.1177/0098628315569939 

もとの実験では,被験者の応答のうち,63.2% は多数派に合わせず見たままを答えたのに対して,36.8% が多数派(サクラ)の間違った答えに合わせた.一貫して多数派に逆らった人は 25%,一貫して多数派に順応した人は 5% で,少なくとも1回は多数派に逆らった正解を答えた人が 95% にのぼる.つまり,社会的圧力に順応したのはけっして多くない.

グリッグズによる上記論文のアブストラクト:
Asch’s classic social pressure experiments are discussed in almost all introductory and social psychology textbooks. However, the results of these experiments have been shown to be misrepresented in textbooks. An analysis of textbooks from 1953 to 1984 revealed that although most of the responses on critical trials were independent correct ones, textbooks have increasingly over time emphasized the minority conformity responding and deemphasized the majority independent responding. An analysis of 20 introductory psychology textbooks and 10 introductory social psychology textbooks revealed that this distorted coverage has not only persisted but increased over the past 30 years. Given the entrenchment of such coverage in current texts, a suggestion for how to address this distorted coverage without major text revision is provided.
アッシュによる古典的社会的圧力実験は社会心理学の入門教科書のほぼすべてで取り扱われている.だが,実験結果が教科書で誤ったかたちで紹介されていることが明らかになっている.1953年から1984年までの教科書を分析したところ,決定的な試行でなされた反応の大半は独立した正解だったにも関わらず,時が下るにつれて,教科書では少数派の同調が強調されるとともに多数派の独立した反応が軽視されるようになっている.入門的な心理学教科書20冊と入門的な社会心理学教科書10冊を分析したところ,このように歪曲した紹介はたんに継続しているだけでなく,過去30年間で増加していることが明らかになった.こうした紹介が現行のテキストで定着していることを踏まえ,本文を大幅に書き直さずにこの歪曲に対応する方法を本稿では提案する.

2015年3月22日日曜日

Tog のキーボード vs. マウスの話

ちょっと気になったことをメモっておく.

ポイント

  • 「キーボードショートカットの方がマウス操作よりも速いように感じられるけれど,実はその逆である」という話がある.ソースはブルース・トグナッツィーニが1989年に公表したQ&A形式の文章だ.
  • ただ,トグナッツィーニが具体的に被験者にどんなタスクをやらせたのか,彼の文章からはよくわからない.(おそらくは,たとえばテキストエディタにある「ファイル」「編集」などのようなメニューから機能をマウスで選択したり,それに割り当てられたショートカットキー操作をする,といったタスクだったのだろう.)

2015年3月20日金曜日

誤解を誘う記事の作り方を学ぶ:NewSphereさまの事例

やや長文になったので,最初に要点を:
  • ここで取り上げるのは,経済政策の話じゃなくって,ニュース記事の書き方の話.
  • NewSphere は,クルーグマンのブログ記事を参照したと言いつつ,実際にはそこで論じられていない現日銀の政策批判が論じられているかのように誤解させる記事を書いている.
  • この書き方は単純な英文誤読ではありえない.
  • また,参照記事の明示が不適切だ.
  • もっとフェアで誠実な書き方をしてください.
  • 追記:その後,NewSphere の当該記事は取り下げられた.ぼくは,この対応は立派だと思う.

2015年3月19日木曜日

抜粋:ケント・バック「再帰的パラドクス?」

ケント・バックの論文「言うこと,意味すること,推意すること」から再帰的パラドクスについて述べた箇所をメモ:
さて,伝達に特有の意図された効果がどういうものか突き止めたところで,この意図そのものをグライスが当初どう特徴付けていたか,という話にもどれる.「この意図の認識によって聞き手にある効果をうみだす」という意図であると記述したあと,グライスはこう註記している.「ここには再帰的パラドクスがあるように見えるが,実はそんなことはない」(1957/1989: 219).なぜそう見えるかと言えば,意図が自己言及的だからだ.さらに,聞き手の推論にはなにかッ循環しているものがありそうに思える.なんといっても,聞き手は相手がそう意図しているという想定に部分的にもとづいて,話し手の意図を同定することになるのだ.だが,これにはほんとうに背理的なものがあるんだろうか? 
再帰的意図は,ある意図が別の意図を参照し,その意図もまた別の意図を参照するという数珠つながりの意図とはちがう.この点を理解しなかったために,多大な混乱が生じることになった.グライス当人ですら,混乱した.それどころか,さきほど引用したパラグラフの前半で,グライスはべつの定式化をしている.その定式化では,話し手は「自分の初wがそう意図されているものとして認識されるようにも意図していなければならない」とある(1957/1989: 219).Grice (1969) では,従前の定式化を改良しようと試みて,はっきり言明して再帰的意図を放棄し,かわって反復的な意図を支持している.グライスを批判した Strawson (1964b) もしかり,そして擁護した Schiffer (1972) もしかりだ.彼らによりいっそう複雑な定式化は,それぞれ先行する定式化に対する反例にうながされてなされたものだが,まず,あることを伝えようとする意図からはじめて,その最初の意図が認識されるようにする意図がきて,さらにその意図が認識されるようにする意図がくるとつづいて,無限につづきうるようになっている.グライスがやがてこうした着想全体を捨てて,かわりに必要とされるのは「コソコソした意図」("sneaky intention") の不在だ,と述べるに至ったのもムリはない (1989: 302).自己言及的な意図〔という着想〕を固持すれば,この複雑さも無限後退の恐れも避けられる.上記のように意図される効果が適切に特徴付けられると仮定すれば,グライスの当初の着想にはなにもまちがいなどなかったからだ.この着想は,グライスが懸念した再帰的パラドクスには至らない.
グライスのもともとの定式化に再帰的パラドクスがあるかのような外見は,「この意図の認識によって」(by means of the recognition of this intention) というキーフレーズから生じる.このフレーズを見ると,話し手を理解するためには,聞き手はなんらかの種類の循環的な推論を行わなくてはいけないかのように思えるかもしれない.まるで,聞き手がすでに話し手の伝達意図がどんなものか知っていなくては,その意図が認識できないかのように聞こえる.聞き手は,話し手があることを伝えようと意図しているという前提から話し手がまさにそのことを意味していると推論するわけではない.そうではなくて,どんな話し手もそうであるように,自分が相手している話し手も,なにかを伝達しようと意図しているという推定 (presumption) をもとに,聞き手は推論している.聞き手は,特定の意図の内容ではなくて,この一般的な事実を考慮に入れて,その意図がどういうものかを突き止めようとするのだ.

(Kent Bach, "Saying, meaning, and implicating," The Cambridge Handbook of Pragmatics, 2012. pp.54-55.) 

2015年3月18日水曜日

"you're not having to remember a new name": have to を進行形で使っている例

新しく会った人の名前を覚える場面について述べている文脈で:
Remember, you've (probably) heard the name before, so you're not having to learn a new /name/, so you just need to associate a familiar name with a new face.(いいかな,その名前は(おそらく)前に聞いたことがあるはずだ.だから,その場で覚えなくちゃいけなくなってるのは新しい *名前* じゃあない. おなじみの名前を新しい顔に結びつける必要があるだけだ.)
(Levitin, The Organized Mind, p.374)

ついでながら,なんで名前を聞いたことがあるはずかと言えば,英語圏の話なので名前といっても John だの Paul だの Robert だの,だいたいプールが決まってるからだろう.日本とはちょっと事情がちがう.

2015年3月15日日曜日

"not THE Malcolm Gladwell": 固有名詞が定冠詞と不定冠詞を伴ってる例

ベストセラー作家マルコム・グラッドウェルの講演での紹介スピーチから引用.冠詞の the と a には強勢がおかれている.
... we have the honor of hearing from Malcolm Gladwell, (拍手) No, no, don't ... not... not THE Malcolm Gladwell, A[eɪ] ...(笑い) there is more than one, so don't, eh, ... don't leave ... 
("Malcolm Gladwell: David and Goliath"; 動画の 1:25-1:43 あたり)

実はこの箇所のおかしみがぼくにはよくわからない.



ともあれ,忘れないうちにメモってみた.

2015年3月14日土曜日

"An emotional Bill Gates": 固有名詞が不定冠詞と形容詞を伴っている例

こっちは,おそらく不定冠詞 an が意味を貢献していると思われる例:
An emotional Bill Gates details his last visit with Steve Jobs
(The Verge, May 13, 2013)

引用したのは記事のタイトル.直訳すると,「感情的なビル・ゲイツがスティーブ・ジョブズとの最後の面会を詳しく語る」くらい.ここでは不定冠詞 a(n) を伴った Bill Gates が可算名詞として扱われている.

本文を見ると,次の箇所がある:
... but the longtime richest man in the world got emotional when the conversation turned to friend and rival Steve Jobs.(…だが,長らく世界一の富豪をつづけている男は,会話の話題が友人にしてライバルのスティーブ・ジョブズに及ぶと感情的になった)
ビル・ゲイツはそんなに感情をはげしく表に出すタイプじゃない.そのゲイツにも,感情をあらわにする側面があるというわけで,その側面を数えることで an emotional Bill Gates という名詞句がなりたつのだろう.

"I’ll see your Dick Morris and raise you a Paul Ryan"

固有名詞の前に所有格の your や不定冠詞 a がついてる例.こういう例は見かけたときにメモっておかないと,すぐに忘れてしまう.

「ちょいといくつか区別を立てる.ちょいといくつか概念を明晰にする.それが生活さ」

――という哲学者のシドニー・モーゲンベッサー (Sydney Morgenbesser) の言葉がケント・バックの論文の冒頭に引用されていた (Kent Bach, "Saying, meaning, and implicating," Cambridge Handbook of Pragmatics, p.47).

もとの英文:
You make a few distinctions. You clarify a few concepts. It's a living.

もちろん,ただのメモですよ.

(ちなみに,出典はよくわからない.ナイジェル・ウォーバートンせんせいもツイッターで引用してるけど.)

2015年3月8日日曜日

クルーグマン「NAIRU の制約とクロムウェルの規則」

Paul Krugman, "The NAIRU Straitjacket and Cromwell’s Rule," The Conscience of a Liberal, March 6, 2015.

要点だけを抜き出しておこう:
  • 新しい雇用レポートをみると,インフレ率を加速しない失業率 (NAIRU) の推定値近くにまで失業率が下がってきている.
  • だけど,この推定値をあまり真に受けすぎない方がいい――たとえば,1994年頃にも NAIRU 近くにまで失業率が下がったけれど,当時の連銀議長グリーンスパンたちはしばらく様子をみて,実際にインフレ率が上がっているという証拠がでるのを待った.結果は,失業率が4パーセントを下回るところまで行ったけれど,そのときインフレが急進するようなことはなかった.もしもあのときグリーンスパンたちが NAIRU の推定をもとに引き締めに回っていたら,この好ましい状況はフイにされていたことだろう.
  • また,かりに NAIRU が本当に 5.4 パーセントで,金融政策の引き締めが遅れたとしても,そのコストは巨大にはならない.他方で,時期尚早な引き締めをやってしまったら,流動性の罠にはまって苦しんでいる日本や欧州中央銀行やスウェーデンの轍を踏むことになる.
  • 連銀の政策担当者におかれましては,ぜひ,賢明な判断をお願いします.

NAIRU の推定値を過信しないようにと述べた箇所をいちおう訳しておく:
《Fed には,ぜひとも1990年代のことを思い出してほしいと思う.1994年頃,いっけん頑健そうな研究に基づいて NAIRU は 6パーセントくらいだと広く信じられていた.だが,グリーンスパンら一同は,実際にインフレ率が上がってくる証拠を待つことに決めた.その結果どうなったかっていうと,雇用は長らく伸び続けて,インフレが急進することもなく失業率は 4パーセントを下回るところまでいった.もしもグリーンスパンたちが NAIRU の推定値を目標にしていたらどうなっただろう.それまでの何兆という産出をフイにするばかりか,さらに,〔高まった需要に対して供給の〕きびしい労働市場から得られるありとあらゆるいいこともフイにしていたことだろう.》
タイトルにある「クロムウェルの規則」(Cromwell's rule) は,はじめて知った.
I beseech you, in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken.(キリストのなさけ[はらわた]において懇願する,キミが間違っているかもしれないと考えてくれたまえ)

追記:さらに次のエントリでも NAIRU を取り上げている:
追記2: 『ニューヨーク・タイムズ』コラムでも取り上げて「利上げには早い」と論じている:



2015年3月7日土曜日

ピザ業界の共和党支援:ブルームバーグ記事とクルーグマンのコラムのメモ

「ブリトー業界団体だのサンドイッチ・ロビーなんてないけど,ピザ・ロビーならある」――という記事が『ブルームバーグ』に出て,クルーグマンがブログと新聞コラムで取り上げている.


2015年3月5日木曜日

クルーグマン「ウォルマート:見えざる手にあらず」(2015年3月2日コラム)


3月2日付のコラムで,労働市場の改善に押されて あのウォルマートが小幅ながらも賃上げを公表したのを受けて,中流社会(やその崩壊)は市場の必然じゃなくてぼくらの選択だと論じている:
クルーグマンがウェブ版コラムでリンクしてる New York Times の記事はこちら.日本語ニュースでは,次のような記事がでている:
米ウォルマート・ストアーズは19日、米国内で働く時給制従業員の最低賃金を時給7.25ドルから38%増の10ドルに引き上げると発表した。賃上げの原資として10億ドル(約1200億円)を投じる。
以下,コラムの論述をざっとなぞってみよう.

2015年3月1日日曜日

ヘッドホン用ハンガーをマグネットシートでとりつける

お部屋の整理ネタ.

これまで悩んでいたヘッドホンの置き場所に,ようやく手頃な解決策が見つかった.ヘッドホン用ハンガーに強力マグネットを貼って,これを金属製本棚の側面に「ぺたっ」とつけてみた.壁にねじ穴を開けなくてすむし,位置を変えたくなったらすぐに変えられる.



2015年2月17日火曜日

クルーグマン「エーゲ海のワイマール」(2015年2月16日付コラム)

クルーグマンが『ニューヨーク・タイムズ』のコラムで,ギリシャに過大な債務返済を強制するのは第一次大戦後に敗戦国ドイツに巨額の補償金を払わせようとしたのと同様の愚行だと論じている.
Paul Krugman, "Weimar on the Aegean," New York Times, February 16, 2015.

2015年1月27日火曜日

「言語学の用語は元の英語からしておかしいから心配するな」みたいな

スティーブン・ピンカーの Sense of Style (p.65) [Amazon] から:
And when technical terms are unavoidable, why not choose ones that are easy for readiers to understnd and remember? Ironically, the field of linguistics is among the worst offenders, with dozens of mystifying technical terms: themes that have nothing to do with themes; PRO and pro, which are pronounced the same way but refers to different things; stage-level and individual-level predicates, which are just unintuitive ways of saying "temporary" and "permanent" (...) 
どうしても専門用語が避けられないときには,読者がかんたんに理解して覚えられるものを選べばいい.皮肉にも,言語学はこの指針に反している分野のなかでも最悪の部類で,煙に巻くような専門用語であふれている:「主題」は主題となんの関係もない;PRO と pro はまったく同じ発音なのに別物を指している;ステージレベル述語と個体レベル述語は,「一時的」「永続的」と言えばすむのをピンとこない言い方で呼んでいるだけだ.(…)

サール「デリダはテロリスト的蒙昧主義をやってる」(インタビュー引用)

サールのインタビュー本 Conversations with John Searle (Libros EnRed, 2001)[Amazon] で引用されている「テロリスト的蒙昧主義」の出典と当該箇所をメモっておこう:
Searle: With Derrida, you can hardly misread him, because he's so obscure. Every time you say, "He says so and so," he always says, "You misunderstood me." But if you try to figure out the correct interpretation, then that's not so easy. I once said this to Michel Foucault, who was more hostile to Derrida even than I am, and Foucault said that Derrida practiced the method of obscurantisme terroriste (terrorism of obscurantism). We were speaking French. And I said, "What the hell do you mean by that?" And he said, "He writes so obscurely you can't tell what he's saying, that's the obscurantism part, and then when you criticize him, he can always say, 'You didn't understand me; you're an idiot.' That's the terrorism part." And I like that. So I wrote an article about Derrida. I asked Michel if it was OK if I quoted that passage, and he said yes.
Foucault was often lumped with Derrida. That's very unfair to Foucault. He was a different caliber of thinker altogether.


サール:デリダの場合,誤読しようにも誤読しにくい.なぜって,すごく曖昧模糊としてるからだ.「彼はこれこれと言ってる」と言うたびに,デリダは決まってこう返すんだ――「キミは私を理解していないよ.」 だけど,正しい解釈を考えだそうとがんばってみたって,なかなかかんたんにはいかない.このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法を実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったいそりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あたまがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言を引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ.
 フーコーはしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコーに対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.

2015年1月25日日曜日

"technically"@xkcd

ウェブコミック xkcd で,先日,こんなネタがあった:



いちおう訳しておくと:
A: "Well, technically, food is a 'drug,' since it's a substance that alters how your body works so yes, I'm -"
B: "Hey, look at that weird bug!"
My life improved when I realized I could just ignore any sentence that started with "technically."  
 A: まあ,厳密に言えば食べ物は『ドラッグ』だけどね.だって,体のはたらきに影響する物質なんだだもの.だからぼくは――
B: 見て見て,あそこにへんな虫がいるよ!
「厳密に言えば」で始まる文は無視してかまわないってわかってから生活が改善した.

▼ xkcd のウェブページで画像にマウスオーバーすると表示されるテキスト:
alt text: "Technically that sentence started with 'Well,' so-- Ooh, a rock with a fossil in it!"
「厳密に言えばあの文は『まあ』ではじまってるわけで――おおっと,化石入りの岩石だよ!」

"technically" の用法については,前にも取り上げたことがある:コレコレ

※ヨソだと,「涙目で仕事しないSE」さんがこのマンガを訳してらっしゃる

2015年1月22日木曜日

文献メモ:クローディア・ビアンキ「指標詞,言語行為,ポルノグラフィ」

別に著者の主張に賛成するわけではなくて,こういうのがあったのを忘れてたのでここにメモっておく:
  • Claudia Bianchi, 2008. "Indexicals, speech acts and pornography," Analysis 68:4, October 2008, pp.310-16. 
なお,論文は著者のページで閲覧できる(いま気づいた).

【要旨】
過去20年で,録音メッセージや書き付けは,指標表現の意味論にとって重要なテストにして思考を喚起するパズルとなってきた(Smith 1989; Predelli 1996, 1998a, 1998b, 2002; Corazza et al. 2002; Romdenh-Romluc 2002 を参照).とりわけ,Stefano Predelli が提起した意図基盤のアプローチは,言語の哲学におけるいくつかの大きな問いに興味深い関連があることがわかっている.近年の論文で,Jennifer Saul (2006) は指標詞と録音メッセージに関する文献を参照して,Rae Langton による次の主張を批判している.すなわち,ポルノグラフィ作品は発語内行為として理解できる――とくに,女性を従属させる行為や女性を沈黙させる行為として理解できるというのが,その主張である.Saul の論証によれば,ポルノグラフィ作品を言語行為として理解するのは意味をなさない.なぜなら,文脈における発話しか言語行為として理解できないからだ.もっと正確に言うなら,映画のようなポルノグラフィ作品は,さまざまな文脈で使用できる録画・録音 (recordings) と見ることはできる――ちょうど,書き付けたメモや留守番電話メッセージと同様のものと考えることはできる.Saul によれば,文脈を考慮に入れると,Langton の急進的な説の論拠は弱まる――大きく弱めたかたちで定式化しなおさなければならなくなる.文脈における発話のみが言語行為たりうるのであり,したがって文脈におけるポルノグラフィー作品のみが女性を沈黙させる発語内行為として考えることができるという Saul の主張を本稿では受け入れる.だが,Saul による再定式化は Langton の説を弱めるものではないことを示す.この目的のため,ここでは,録音メッセージの指標表現が見せる意味論的なふるまいを説明するために Predelli が提案した区別を用いる――すなわち,発話文脈と解釈文脈の区別を用いる.

▼ セクションの見出し
1. ポルノグラフィーと言語行為
2. 指標詞,書き付け,文脈
3. 意図された文脈とポルノグラフィー
4. 結語
Saul の論文はコレ:
  • Jennifer Saul,  2006. "Pornography, speech acts and context." Proceedings of the Aristotelian Society 106:229–48.  
このあたりの議論は,スタンフォード哲学事典の下記項目(とくにセクション 2.2)を参照するといいようだ:




BTヘッドホンZX750BN:5ヶ月後



ワイヤレスヘッドホン MDR-ZX750BN [Amazon] を使って5ヶ月ほど経過した.使い始めた頃に書いたように,使い勝手のいいヘッドホンだ.その印象はいまでも変わらない.

その後,さらにいいと思った点は2つ.

ハーフォード「ノーと言うことの力」(翻訳記事にあらず)

お願いごとを断るのはなにかとむずかしい.相手への義理もあるし,チャレンジから逃げてるような気分にもなる.経済学者のティム・ハーフォードが『フィナンシャル・タイムズ』のコラムで,お願いごとを機会費用の観点から取り上げてる (Tim Harford "The power of saying no")
《お願いごとに「イエス」と答えるたびに,その機会にできた他のあらゆることに「ノー」と言ってることになる》