- ここで取り上げるのは,経済政策の話じゃなくって,ニュース記事の書き方の話.
- NewSphere は,クルーグマンのブログ記事を参照したと言いつつ,実際にはそこで論じられていない現日銀の政策批判が論じられているかのように誤解させる記事を書いている.
- この書き方は単純な英文誤読ではありえない.
- また,参照記事の明示が不適切だ.
- もっとフェアで誠実な書き方をしてください.
- 追記:その後,NewSphere の当該記事は取り下げられた.ぼくは,この対応は立派だと思う.
イントロ
ツイッターの TL で少し話題になっていたのでのぞいてみたところ,《「海外視点」で日本を報道》を謳う NewSphere という媒体が,次のような記事を載せていた:- 「クルーグマン教授、日銀のQEにインフレ達成効果ないと断言 米誌などは反論」(NewSphere, 2015年3月18日; http://newsphere.jp/economy/20150318-2/)
- 「あれ,クルーグマンがいまの日銀の量的緩和についてダメ出しをしたのかな?」
- 「ともあれ,なにか日銀に言及した発言があったんだな」
- 「で,それに対してすでにアメリカの雑誌で反論が掲載されたのか」
NewShere の記事での言及
では,当該記事を見てみよう.とくに見るべき箇所は冒頭に3つある.1つ目は前述の見出し:「クルーグマン教授、日銀のQEにインフレ達成効果ないと断言」
2つ目:「これらアベノミクスが繰り出した量的金融緩和(QE)などの効果について、今のところ海外の識者の見方は割れているようだ。」
3つ目:「ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン米プリンストン大教授は、QEは日銀が最終的に目指すインフレ達成には結びつかないと、ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)のコラムで分析している。」
これを読めば,さきほどの予想どおりの発言があったと思うしかない――「ふむふむ,やっぱりクルーグマンがなんか現日銀の政策についてコメントかなんかしたんだな」
でも,もうちょっと読み進めると様子がおかしくなって「あれ?」と思わされる.出てくるのが「2001年から2007年」の福井総裁時代のデータだからだ.いまの日銀の話じゃなかったの?
参照されたクルーグマンの文章を見ると
こういう妙にちぐはぐな話になっているのは,NewSphere がもとの議論をまともに紹介していないためだ.いったいなにを参照したのかと思うと,なぜか本文中では引用記事が明示されることもリンクが貼られることもなく,ページの下の方に「外部サイト参考記事」がある(画像):
左下に小さく記載されている "NYT" からリンクされているのが下記の記事:
- Paul Krugman, "Quantitative Easing and Monetary Aggregates," The Conscience of a Liberal, February 26, 2015.
(ちなみに,NewSphere はこれを「コラム」と言っているけれど,これはニューヨークタイムズ本紙のコラムじゃなくて,ブログだ.たとえば「経済学101」みたいな翻訳サイトが配信を受ける権利でも別枠.)
読んでみると,次のようにはじまる:
認知的な閉じこもりに関する議論に加わる時間はないけれど,メルツァーがらみの話についてもう1点:ぼくがとくにゲンナリするのは,これまでインフレが進むと間違った予測を続けてきたエコノミストたちが自分の落ち度ではないと言い張るときだ――「銀行がずっとリザーブにあぐらをかくなんて誰に予想できた?」ってわけ.その答えを言うと,注意を払ってきた人なら誰だってそうなると予想できたはずなんだ.なんの話をしてるかっていうと,経済学者のアラン・メルツァーが連銀の量的緩和によってまもなくインフレになると何度も予言しては外し続けて,しかも考え直す様子がないというブラッド・デロングの批判に言及している――これは,連銀による緩和政策をめぐる経済論議の文脈でやっている議論だ.名目金利がゼロ下限にある状況で,マネタリーベースの拡大がそのまま monetary aggregates の増加につながることはないってことは前からわかっていたはずじゃないか,とクルーグマンは指摘する:
1998年の拙文 [PDF] を引用しよう――そう,1998年だよ――流動性の罠に関する論文だ:よく知られたこの論文「復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲」では,30年代のデータがでてくる(山形浩生訳 p.17 から引用):
《この点は大事だから繰り返しておいていい:流動性の罠のもとで通常予想されるのは,ハイパワード・マネーが増加しても広義の通貨供給量 (broad aggregates) にはほとんど影響せず,銀行預金の減少と,それを上回る銀行与信の減少につながることすらありうるということだ.》〔山形浩生訳 (PDF; p.19) を一部改変して利用した〕
これに続くコメント:
みての通り,理論と経験の両方から,マネタリーベース拡大が効果に乏しいことがずばり予想されていた.いいかな,これは,人々が心変わりしておかしくないたぐいの予想の成功だったんだよ:実験の結果についてあれだけ予想を外しておいて,しかも馬鹿げてると自分が思っていた他人の予想が完全に当たっていたときには,もしかしてひょっとすると連中は何事かをわかってるんじゃないかと是認してしかるべきだ.
この論争であっち側にいる人たちが実質的に誰もまるで意見を変えていないところを見れば,彼らがやっているのが何であれ,科学的な研究じゃないってことはわかるよね.もちろん,量的緩和全般の議論としては,日銀の政策にも関連する.だけど,このブログ記事が話題にしているのは現日銀の政策じゃない.(念のため付け加えると,福井総裁時代になくて現日銀にあるのは――不備・問題はあるにせよ――明示的なインフレ目標とそれを裏付ける積極的な緩和姿勢だ.クルーグマンが1998年論文で提案し,いまも「4パーセントインフレ目標」として推奨しているものと背反してはいない.)
3つの箇所を再チェック
これを踏まえて,最初に見た NewSphere からの引用箇所を見直そう.- 1つ目:「クルーグマン教授、日銀のQEにインフレ達成効果ないと断言」→日銀の話じゃない.
- 2つ目:「これらアベノミクスが繰り出した量的金融緩和(QE)などの効果について、今のところ海外の識者の見方は割れているようだ。」→アベノミクスの量的緩和について議論してる記事じゃない.
- 3つ目:「ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン米プリンストン大教授は、QEは日銀が最終的に目指すインフレ達成には結びつかないと、ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)のコラムで分析している。」→日銀のインフレ目標達成の話はしていない.
NewSphere が直すべきところ
では,NewSphere の当該記事はどう直せばいいんだろう? 正直なところ,小さな修正では間に合いそうにない.- もとのブログ記事とこれに言及した『フォーブス』誌の記事などの論議を紹介するという趣旨でいくなら,これらの議論の文脈を紹介した上で,正確に引用・紹介すべきだ.
- また,関連づけて現日銀の政策についてなにか言いたいなら,記者本人の議論として提示すればいい.自分の意見と他人の意見をはっきりわけて述べるのは,基本中の基本だ.
- なにを参照・引用しているのか,もっと読者にわかりやすく明示すべきだ.ないよりはマシとはいえ,「外部サイト参考記事」と称して目立たないところで小さな文字で参照記事のタイトルも示さずに記載するのは,参照の仕方としてはまったく不完全だ.
- さりげなくもとの記事と話題をずらそう.とくに外国語だと確認のハードルが上がるので都合がよい.
- 引用する著者の見解と自分の見解の区別がつきにくくしよう.
- 参照している記事を確認しにくくしよう――皆無だとまずいので,指摘されたら「ここにちゃんとあります」と言える程度に記載しておこう.
ぼくとしては,とくに最後の点を強調したい.参照の仕方を問題視すると,「些末なお作法にこだわっている」と思われるかもしれない.でも,誰がどこで述べたことを参照しているのかを第三者がたどりやすくするのは,たんなるマナーの問題ではなくて,情報の質を保証する方法だ.しかも,コストなんてほとんどかからない.本文中でリンクを貼ったり,ふつうの文字サイズで参照記事のタイトルその他を記載するのにかかるのは記者のわずかな手間でしかない.
その必要性がわかってないなら「ニュースサイト」としてお粗末だし,わかっていて故意にこういうやり方をとっているなら参照している記事の著者たちや読者に対して不誠実だ.
追記:ここで述べたような誤解をそのまま踏襲していると思われる例を引用する.
(池田信夫,2015年3月20日; https://twitter.com/ikedanob/status/578581828124147712)
optical frog様
返信削除貴殿のご指摘の通り、3月18日に配信した「クルーグマン教授、日銀のQEにインフレ達成効果ないと断言 米誌などは反論」という記事について、重大な間違いが含まれていておりました。現在は元記事を削除し、謝罪文の掲載という対応をさせていただきました。
http://newsphere.jp/economy/20150318-2/
今後こうした事態を起こさないよう、編集体制のチェック体制強化に務めてまいります。ご指摘誠にありがとうございました。
NewSphere編集部
NewSphere 編集部さま
削除ご連絡ありがとうございます.返信が遅くなりまして,失礼しました.
今回のご対応,たいへん立派だと思います.
NewSphere さまのご発展を願っております.