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2017年11月29日水曜日

『消費資本主義!』「訳者あとがき」の余り物

いろいろネタだしはしてみたけど指定された字数にぜんぜん収まらないので,ほぼ全部カットしてしまったよ.下記はその一部:

2017年8月10日木曜日

「言語学・語用論・言語行為論の外で『パフォーマティヴ』って言うな」って話じゃないよ?

ツイッターで,asaokitan先生がこういう疑問をつぶやいていた:

言われてみると,ぼくもよくわからない.(・ㅅ・)

J.L.オースティンが「パフォーマティヴ(行為遂行的な発話)」を論じたもともとの分野である言語哲学や,あるいは言語行為論を含む言語使用を研究している語用論の外で,「パフォーマティヴ」という用語を行為遂行的な発話とはちがう意味で使うのはいけないかどうか,ぼくなりのおおまかな基準を提案してみたい.

2017年3月8日水曜日

かざりだけの言語相対論

『シノドス』に,「現代思想・政治思想史」研究者の重田園江という人のインタビューが掲載されている.
記事のタイトルにもあるように,インタビューのなかで,次のような発言がでてくる
人間の思考は言葉でできていますよね。そのため、言葉遣いが変わると思考も変わるわけです。
語彙(ボキャブラリー)が変わると人間の思考が変わるというと,いかにも言語によって思考が変わる/影響されるという言語相対論あるいはサピア=ウォーフ説の一種のように聞こえる.おそらく,重田氏じしんもそのつもりで発言しているのだろう.

少なくともぼくにとって,2017年の時点で,重田氏がこうしてなんら限定もつけずに(そして関連研究をとりたてて考慮することもなく)気楽に言語相対論を言えることに,いくらかの驚きを感じる.

でも,ここで言語相対論の正否を論じるにはおよばない.おそらく重田氏が言わんとしている眼目にとって,こうした言語相対論はべつに必要ではないからだ.さきほどの引用に続いて,こう彼女は言っている:
その言葉使いがどう変化したのかを調べることで、人間の思考の変化を分析するというのが、今の思想史の研究です。
言語によって思考が変わるという影響があってもなくても,言葉づかいの変化を追いかけることで「人間の思考の変化」はいくらかわかる.雨について人々が「雨乞い」を語る時代と「梅雨前線」を語る時代は,きっと雨に関する考え方がちがうだろう.重田氏がインタビューで言及している犯罪者の取り扱いに関する考え方の変化や,「経済のボキャブラリーがあらゆるところに浸透している」という所見についても同様だ.こうした考えの違いや変化が言語のちがいや変化に起因していなくても,言葉や絵画などのかたちで残る資料から,おおよその考え方はうかがいしれるだろう.どういう切り口で,どういう世界観で物事について語っているか,その資料の検討をつうじて,さまざまな時代・文化の人々の考え方はうかがいしれるだろう.ごく当たり前のことだ.言語相対論の正否は,こうした論点にはなんら関係がない.

必要ではないはずの言語相対論がなぜか彼女の方法論にとって重要であるかのように言及されていることこそがなによりもおかしいのだと,ぼくは思う.

2015年12月10日木曜日

鏡映しの権威主義者

思いつきだけ投げっぱなす:
  • 自分と対立する「あいつ/やつらは,権威者Aの言うことを,その権威ゆえにとにかく盲信する連中である」と考える.
  • すると,当該の「あいつ/やつら」に対する攻撃として,権威者 A の権威をターゲットにするのは有効に思える.
  • ところが,実は「あいつ/やつら」は *そこまで* 権威主義的ではない.
  • 結果として,「あいつ/やつら」への戦術として採用された権威者 A の権威への攻撃が際立つことになる.
  • こうして,みずからは必ずしも権威主義者でないにも関わらず,権威者 A の権威を異様に重視して攻撃するふるまいが生じる.

2014年8月26日火曜日

「メディアはメッセージ」なんて言わなくていいのに――松田『うわさとはなにか』(中公新書)

松田美佐『うわさとは何か』(中公新書,2014年),全体として面白い本なのだけど,マクルーハンを引用して「メディアはメッセージ」と述べている箇所がおかしい (pp.152-3).著者じしんはちゃんと自分が扱っている事例をわかってるはずなのに,マクルーハンに引き寄せようとして,無理がでてる.

2014年6月15日日曜日

朝日新聞訳のクルーグマン・コラムに赤ペンを入れると


めったに読まないんだけど,朝日新聞に掲載されていたクルーグマンの『ニューヨーク・タイムズ』コラムを読んだ.どうもいまいちヘタクソな訳だ.

でも,ただ「ヘタクソだ」って言ってるだけだと,たんにぼくの好みの問題なのかどうか区別がつかない.そこで,3点だけ,改善すべきところを指摘してみよう.

2013年2月1日金曜日

無印良品「再生紙週刊誌ノート」

ハードルを低く,気楽に書きたいというのは,なにもブログにかぎったことじゃなくて,普段のメモ・ノート取りでも気楽さ・手軽さは大事だ.

たしかに,お高くてかっこいいノートはぼくも好きだし,ついつい買ってしまう.だけど,そういうノートはたいていうまく活用できていない.なぜなら――くだらないことが書けないからだ.ちょっとしたことを書くのに,値段の張ったノートだと「うーん,こんなんで1ページ使ってしまってええんじゃろか」とためらってしまう.

それじゃダメだ.くだらないことも大事なこともガンガン書き込んでこそ生きてくるのがメモ帳でありノートなんだから.

で,こいつがちょうどいいんじゃないかと期待してる.


無印良品の「週刊誌ノート」.名前のまんま,週刊誌サイズのノートだ.180円で,それなりにお安い.これなら,さすがにぼくもためらいなく書き散らせる.

それに,罫線のたぐいのない無地ノートってところもいい.



ただし,紙質はよくない:


ペンで書き込むとどんどんインクがしみてしまう.下のページにまでインクがしみ通ることはほとんどないけれど,両面使うのはムリ.

でも,それでいい.ためらいなく書き散らかすのが目的だから.


ところでこの週刊誌ノート,いったん廃盤になって復活したものらしい:

しょうもないことを書きたいんだよ

よしゃいいのに,またブログを新設した.つまんないことを書く場所がほしくなったからだ.

いままでは,「はてなダイアリ」のブログ (left over junk) を主に使ってきた.2007年12月から開始しているから,5年以上になる.他にも併設してみたことは何度かあるけれど,どれもすぐに更新しなくなった.曲がりなりにも継続してきたのは,left over junk だけだ.

でも,最近はめっきり更新しなくなった.ひとつには,ゲリラ翻訳のエントリを一挙に削除したのが大きなきっかけになった.(ちなみに,つい昨日もゲリラ翻訳の PDF をグーグルサイトからまとめて削除した.とうとう正式な警告が権利者からきちゃったので.)

ただ,それと並んで大きな理由がある.しょうもないことで更新するのがいやになったからだ.このあたりには循環がある.まず,長らく更新しないでいると,なぜか自分で勝手にハードルを上げてしまうクセがある:「久しぶりに更新するなら,それなりに中身のあることを書かなくちゃいけない」という気分になってしまう.これがいけない.ハードルを勝手に上げちゃうから,ますます書かなくなる.すると更新しなくなって,さらにハードルが上がり…とわるいループに入る.――よくあることですな.

さて,気楽にしょうもないことを書くなら,twitter があるでないか,と思われるかもしれない.まあ,たしかにそうで,やれ「じんわりとコーヒー」だの「王将で豪遊」だの,それはもうしょうもないことを日夜つぶやいている.

けど,あそこでも意外と気後れする場合がある.なまじフォローしたりされたりする人数が増えているおかげで,あれはあれでハードルができてしまっている.なんといっても,長くなる話はダメ.連続ツイートはよくない.いや,誰も連続ツイートを禁止してなんかいないんだけど,「この話が自分のTLに流れてくるのをいやがる人はけっこういるだろうな」と思うと,自分でストップがかかる.

「いや,そんなん気にせずに自由にやればいいじゃん」という声もあるだろうし,自分でもそう思うけれど,ダメ.ぼくは小心者なので,「気にせず自由にやろう」と意識的にがんばらなくちゃいけなくなってしまうのだ.そして,ぼくはがんばるのキライ.

だいたい同じ理由で,Google+ もダメ.あれもフォローしている人のページに,こういうしょうもない話を流し込むことになってしまう.

ようするに,ソーシャル系のサービスはことごとくダメってことになる.ぼくみたいなタイプの小心者が,しょうもないことを垂れ流すチラシの裏は,あっちにはないんだと思う.

じゃあ,古式ゆかしい「ホームページ」はどうだろう.それもわるくない.実際,こんなページもつくってみたりした.いやー,びっくりするほどしょうもないぞ,自分.(それにしてもグーグルサイトは使いやすくていいですわね.)

ただ,時系列で整理されるのはやっぱりいいもんだ.記憶のフックには,やっぱり時間が効いてくる.それに,たんに非公開でしこしこテキストファイルに打ち込みたいわけじゃない.しょうもないことといえども,「もしかして読むかもしれない架空の読者」をうっすら意識しないと,意外に書けないもんなんだ,少なくとも,ぼくは.

じゃあブログがええんでないの――で,ことここにいたる.