2015年3月5日木曜日

クルーグマン「ウォルマート:見えざる手にあらず」(2015年3月2日コラム)


3月2日付のコラムで,労働市場の改善に押されて あのウォルマートが小幅ながらも賃上げを公表したのを受けて,中流社会(やその崩壊)は市場の必然じゃなくてぼくらの選択だと論じている:
クルーグマンがウェブ版コラムでリンクしてる New York Times の記事はこちら.日本語ニュースでは,次のような記事がでている:
米ウォルマート・ストアーズは19日、米国内で働く時給制従業員の最低賃金を時給7.25ドルから38%増の10ドルに引き上げると発表した。賃上げの原資として10億ドル(約1200億円)を投じる。
以下,コラムの論述をざっとなぞってみよう.

最低賃金引き上げについては,とくに保守派からの反対意見が強い.
保守派たちは――残念ながら多くの経済学者たちの支持を受けつつ――きまってこう論じる.「労働市場も,他のどんな市場と変わりない.需要と供給の法則により賃金水準が決まる.この法則に背こうとした者は,市場の見えざる手によって報いを受けるのだ.」
――もしそうだとしたら,最低賃金引き上げは雇用を減らし,労働力を余らせることになる.最低賃金以下でなら雇える会社と,その賃金で働いてもいいという人がマッチされなくなるからだ.

だけど――《労働力は人間なので,賃金はバターなんかの価格とは異なる.労働者に支払われるお金の多寡は,単純な需要と供給と同じくらい,社会的な力関係と政治力にも左右される.》

論拠として,クルーグマンは自然実験と歴史を挙げている.

自然実験について.まず,アメリカの州で,最低賃金を引き上げたところと,そこと条件がよくにてるけど引き上げてない隣の州とで,雇用にどんなちがいがでてきたか調べた研究によれば,最低賃金の引き上げは雇用を減らしていないという ("have little or no negative effect on employment").

次に,歴史.戦時から戦後までのアメリカの歴史も論拠になるとクルーグマンは言う.《実は,かつてアメリカにあった中流社会は,人ならざる市場の力の産物として発展したわけじゃない――政治的な行動によってつくりだされたんだ.それも,短期間に.》

1940年の時点では,アメリカはまだ格差の大きい社会だったが,戦後の1950年には所得格差が大幅にせばまっているという.これを,経済学者のゴールディンとマーゴゥは「大圧縮」(The Great Compression) と呼んでいるんだそうだ.

この大圧縮に寄与した要因はいくつか考えられる.戦時中の政府介入による賃金格差の縮小;労組の増加;戦後数年の完全雇用.それに,戦後数十年は前代未聞の経済成長が続いた時代でもあった.
だけど,ここで大事なのは,大圧縮が戦後まもなく消滅しなかったってことだ.消え去るどころか,完全雇用と労働者優遇政策によって賃金の規範が変わり,強固な中流階級が1世代以上にわたって存続した.
これと同じ要因が,弱いながらもいまも働いているんじゃないかとクルーグマンは言う.ウォルマートと言えば低賃金ブラック企業で,従業員の相当数がフードスタンプやメディケイドにお世話になっているという話が有名だ.(ぼく個人の註記:ブラック企業はこういうかたちで社会的なコストをかけているわけだ.)

 ところが,労働市場の改善を受けて,「ろくでもない仕事ならやめる意志がある人」が増加し始めている(リンク先が示しているのは農業部門以外の離職率で,金融危機前の水準にはまだ届かないものの,上昇してきている).



こうした労働市場からの圧力は,まだそんなにきびしいわけじゃないのに,それでもウォルマートは賃上げに踏み切っている.

今回の賃上げの理由としてウォルマートが言っていることは,《低賃金政策の批判者たちがずっと言い続けてきたこととそっくり同じだ:労働者への支払いをよくすれば,離職者数は減少し,士気は高まり,生産性が向上する.》

アメリカの何千万という労働者の賃上げは,(先の保守派が言うような)通説が考えるよりも容易なんじゃないか,とコラムは述べて,こう続ける:
最低賃金を大幅に引き上げること,労働者がもっとかんたんに組合を結成できるようにすること,労働者たちの交渉力を高めること,突如としてワイマール期ドイツみたいなハイパーインフレになるんじゃないかって恐れから経済を低調に押さえつけるかわりに,完全雇用に向けた直接の金融・財政政策をとること――こうした対策一覧は,実施困難じゃあない――実行すれば,ぼくらの大半が暮らしたいと望む社会に向けて,大きな前進になるだろう.
要点を言おう.極端な格差も,アメリカの労働者たちの暮らし向きが悪化しているのも,選択したことであって,市場の神々が強いる運命なんかじゃない.ぼくらがそう望むなら,この選択を変えられる.
――というような内容のコラムでございました.


余談:ちなみに,コラム本文にでてくる次の箇所は,SFネタだ:
But labor economists have long questioned this view. Soylent Green — I mean, the labor force — is people.
少し手を加えて訳すなら:《でも,労働経済学者たちはこの見解をながらく疑問視している.SF映画で「ぼくらが食べてたソイレントグリーンは人間だったんだ!」ってなるみたいに,「労働力は人間だったんだ!」ってなるんだよ.》


余談の余談:「こういうコラムがあるけどよければ掲載してみませんか,ぼくの対価はいりません」とコラムの全訳をとあるネット媒体に送って提案してみたけれど,やっぱりダメだったよ…

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