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2.2 なにかを言うことで言ったとおりにできるだろうか?
しかじかだと言うことによって,しかじかにできる場合もある.いや,10ポンドなくしたということで10ポンドなくすことはできないし,しかじかのことをお前に信じさせると言うことによって,その命題を相手に信じさせることもできない.他方で,「明日会いに来ると約束するよ」という言葉を発することで明日会いに来ると約束できるし,しかるべき権限があれば「ここにキミを指名します」("I hereby appoint you") と言うことによって相手をしかじかの役職に就けることもできる.(効力を明示することなく相手を指名することもできる:たとえば,「いまからキミが我が社の財務部長だ」(You are now Treasurer of the Corporation") と言ってもいい.こちらでは,自分がいまやっていることを言うことなく,相手を指名している.) しかるべき時と場所で,しかるべき権限をもつ人物にしか,こうしたことはできない:舟の命名,新郎新婦の婚姻,誰かを管理職に任命すること,訴訟の宣告,申し出の撤回などなど,どれもそうだ.『言語と行為』で,オースティンは特定の言語行為が適切に遂行されるために満たされねばならない条件を細かく論じている.
適切性〔の条件〕が満たされない場合は2つの種類に分かれる:不発 (misfire) と濫用 (abuse) だ。不発に該当するのは、想定された言語行為がまったく遂行されずに終わる場合だ。たとえばクイーンエリザベス二世号の前で、「私はこの船をノーム・チョムスキー号と命名する」(I declare this ship the Noam Chomsky) と言ったとしても、命名はまったくなされずに終わる。単純に、私にはそうする権限がないからだ。このとき、私の行為は不発に終わっている。つまり、言葉を発する行為は遂行したものの、なんの言語行為〔発語内行為〕も遂行してはいない。他にも、言語行為をなそうとして不発に終わる場合はある。〔こちらがなにか言ったのに〕聞き手が適切に了解 (uptake) しなかったときがそうだ:誰が次の選挙で当選するかひとつ賭けをしようじゃないかと持ちかけて俺は誰それに100ドル賭けると言ったとしても,相手がその賭けを受け入れなければ賭けはできない.相手が賭けを受け入れなかったとき,こちらは賭けをしようと試みたものの,賭けをすることには成功しなかったことになる.セクション 9 で見るように,話しかけられた相手が必要な了解をして反応する意志を一貫して示さないとき,その話者の発言の自由は損なわれる.
訳註: もっと細かく言えば,了解 (uptake) と受け入れ (acceptance) は異なる.ここでいう了解とは,相手がやろうと意図している言語行為を認識することだ.たとえば,「俺は A氏が当選するのに100ドル賭けるよ」と相手に持ちかけたとして,こちらが賭けをしようとしている意図を相手が了解したとしても,相手は「いいや,そんな賭けにはのらないよ」と言って受け入れないかもしれない.このとき,相手はこちらの意図は了解しつつ,受け入れは拒んでいる.他方で,たとえばこんなやりとりを考えてみよう:
このとき,「100ドルだ」と持ちかけた当人は賭けをしようと意図している.他方,それを聞いた側は,少なくともこの時点ではまだ相手がやろうとしていることがわかっていない:つまり,まだ意図される言語行為を了解していない.だが,べつに賭けを受け入れていないわけではない.
- 「今度の選挙は A氏と B氏の一騎打ちだなぁ.どっちが勝つと思う?」
- 「そりゃ現職の A氏だろうよ」
- 「どうかな,B氏も女性にめちゃくちゃ人気があるじゃん」
- 「100ドルだ」
- 「…え,なにが100ドル?」(目を丸くしながら)
まったく不適切でありながらも言語行為が遂行される――つまり不発でない――場合もある.明日いっしょに昼食をとろうと相手に約束しながらも,そうする意図がまったくない場合がそうだ.このとき,約束は申し分なくなされているものの,その行為は適切でない.誠実でないからだ.もっと正確に言えば,この場合の行為は濫用に当たる.言語行為〔約束〕はなされているものの,その種の言語行為にふさわしい基準を満たしていないからだ.誠実性は,言語行為の適切性を左右する見本のような条件だ.オースティンは,何千タイプもの言語行為が詳細に研究され,そのひとつひとつについて適切性条件が明らかにされる研究プログラムを予見していた.[7]
Sbisà 2007 の所見どおり,じぶんがしかじかのことをしていると話者が意味することによって言語行為が遂行できるばかりでなく, あとになってから話者がその行為を取りやめにすると意味することによって撤回することもできる.過去は変えられないのだから,月曜に約束したり確言したりしたことを水曜になって変えようにも変えられはしないと思われるかもしれない.だが,月曜に述べた主張を水曜になって撤回することはできる.人を殴ったり人前でげっぷをしてしまったのをなかったことにはできない.できるのはせいぜい,そうした所業を謝罪して,かなうならば相手との仲を保つことくらいだ.これと対照的に,あとになって後悔した主張については,たんに謝罪したり相手の機嫌をとったりできるばかりでなく,撤回もできる.同様に,月曜に交わした約束を私が水曜に撤回するのを許すことが相手にはできる.〔撤回を申し出て相手がそれを認めれば〕確言と約束,どちらの場合でも,過去はそのまま変わらないという事実にもかかわらず,こうした言語行為がもたらすコミットメントにもはやしばられなくなる.しかるべき条件下では,じぶんがしかじかのことをしていると話者が意味することによって言語行為を遂行できるのと同じように,しかるべき条件下では,まさにその言語行為を撤回できる.
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つづく: #6
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