2016年11月3日木曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (7)

つづき:
【ママさん,おたくの赤ちゃんを将来マーケティングコンサルなんかにしちゃだめよ】
Mamas, Don't Let Your Babies Grow Up to Be Marketing Consultants 
クロマニヨン人はさておき,現代社会は子供にとってもややこしく見える.子供がもってうまれる脳みそは石器時代の遺伝子からつくられる石器時代の脳みそで,石器時代の世界を予期している:つまり,血縁者を土台に密接につながった狩猟採集生活の部族社会の環境を想定している.子供たちの脳は,こういうことを学習し実践するよう配線されている:かわいくふるまう,成長する,食べ物を見つける,友達をつくる,血縁者を気づかう,危険を避ける,ときに敵と戦う,配偶者を見つける,子供を育てる,年を重ねて賢くなり,死ぬ.こういうことにあわせて脳は進化してきた.ところが,現代の子供が向き合うのは,イラつく義務や直感に反する考えでみちみちたヘンテコな新世界だ:じっと座る,数学を学ぶ,仕事をみつける,友達とわかれる,血縁者を無視する,車を運転する,デイケアに子供を預ける,年を重ねて他人の負担になっていく. 
こんな新世界と向き合う子供が使える手引きは最小限度しかない.親たちはお金をかせぎに一日中どこかに行ってしまう.仕事以外でも買い物に出かけては,見栄えをよくしたり特別な人間に見えるようになろうとあれこれとモノを買う.とっくに配偶者を見つけて生殖もしているというのに.ほんとは離婚して親権をとってやろうとのぞんでいないのだとしたら,どうしていまだに結婚相手さがしの市場にいるかのようにふるまっているのか,そのワケを親たちは説明できない.高校生になっても,先生たちは消費主義の世界をうまく説明してくれはしないし,大学教授たちにしても,せいぜい参考文献を薦めてくれる程度だ.しかも,ジャン・ボードリヤールだとかのポストモダン思想のフランス社会学者によるわけのわからない大言壮語を読まされるはめになる.こんな具合に,ほぼ誰もが,わけのわからないまま成長し,わけのわからないまま人生をすごし,わけのわからないまま死んでいく. 
消費主義の原理を直観的につかむ子供は,ほんのごくひとにぎりしかいない.たいてい,そうした子供たちは,長じてマーケティングのコンサルタントになる.およそ世間の人たちというのはありもしない長所をあるかのように装って他人に誇示したがっているもので,少なくとも無意識のうちにそう望んでいるものだということを学びながら,このマーケティングコンサルの卵たちは育つ.彼らはしだいに気づいていく――「なるほど,とりわけ現代の消費者たちは自分を上手に売り出す心得の持ち主になろうと競い合っては,いろんなモノやサービスの消費をとおして,自分がいかに健康でお利口で人気者なのかをお互いに誇張して見せつけ合うのだな.」 マーケティングコンサルたちは,ポストモダンの洞察を軸にしてキャリアを築く:その中心をなす教えによれば,消費資本主義は「物質主義的」ではなくて「記号論的」だとされる.消費資本主義で主にものをいうのは記号・象徴・イメージ・ブランドという心理学的な世界であって,手にとって触れるような品物の物理的な世界ではない,というのだ.自分たちが売っているのはステーキそのものではなくて肉がジュージュー焼けてにおいが立ちこめるイメージなのだということをマーケターたちは承知している.そのイメージのプレミアムブランドが高い粗利益をもたらすのに対して,ステーキそのものはどんな肉屋でも売れる利益の小さいありきたりの品物にすぎない. 
だが,最高にかしこいマーケターであっても,消費者たちが消費に関する意思決定をとおしてほんとうに誇示しようとしている長所・美質がどれなのかを理解しきってはいない.人々がお互いに送り合っているシグナルの内容を,彼らはほんとうは理解していない.典型的に,マーケターたちは学校教育で時代遅れな消費者心理研究を教わったあと,現実の会社で実地の仕事をやりはじめてから,学校で教わったことを現実の製品を売るのにほぼ役立たずだったと気づく.「それでは」と,彼らは消費者行動とマーケティング戦略の直観的な理解を試行錯誤を繰り返して追求していく.たまには,セス・ゴーディンやマルコム・グラッドウェルの本なんかを読みかじったりもする.消費者行動に関して証拠にもとづく首尾一貫した理論を手にするとてつもない実践的便益を,彼らは手に入れていない.そのため,彼らの成功率には限界がある.

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