2016年11月12日土曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (12)

今回から第2章に突入.


第2章 マーケティングの天賦の才 

『千夜一夜物語』にでてくるアラジンの物語は,消費主義をたとえるのにちょうどいい.まずしい少年アラジンはヒミツの洞穴で魔法のランプを見つける.こすってみたら,恐ろしげだけど百万力のランプの魔神が現れる(「ランプの精」とも言う).ランプの魔神はアラジンの願いをいくつもかなえてみせる――銀の食器に山盛りのごちそうだの,刺繍入りの豪奢な衣服だの,名馬だの,50の黄金のたらいを与えてくれるし,恋人をとりあうライバル(宰相の息子) をしりぞけてくれるし,碧玉と黄金とルビーをちりばめた大理石の宮殿までしつらえてくれる.アラジンの物語では,魔神を解き放って僕にしたことで生じた繁殖の利益は明快だ:アラジンは,お姫様の愛を勝ち取って長く続く王家の父祖となる. 
現代世界でこの魔神にあたるのが市場だ.みんながいだくいろんな願いを,その製品たちがかなえてくれる.ただ,こちらの場合,生物学的な利益はいまいち明快でない.市場はみんなの欲望を鏡のように映し出し,心のうちに秘めているいろんな好みを誰もがわかるかたちにしてみせる.ランプの魔神と同じく,市場がもつ力と発明の才も魔法のようだし,とどまるところを知らないように見える.市場を調査し,消費者からのフィードバックがかえってきて,経済的競争がなされる.このサイクルをなんども繰り返して市場はみんなが語った願いをランプの魔神よろしくかなえるべく営為努力する――けれど,これも魔神のように,市場がしたがうのはみんなの願いの本意なんかではなくてその言葉の一言一句だ.そのせいで,なにかといらだつことがでてくる.

マーケティングは,すでにこの世界を劇的に変えてしまっている.3万年前,自分たちをとりまく環境を眺めてみたところで,人間が学べることはほんのわずかしかなかった.岩も木々も虫たちも星々もあった――どれもこれも,どうにか格闘して生きていかねばならないつまらない現実でしかなかった.ところが,21世紀のいま,少なくとも豊かな国々にくらす教育あるエリートたちにとっては,消費資本主義によってぼくらの環境はかたちを変えられて,みんなの願いを映し出すようになっている.だから,みんなの願いの性質を理解しようというなら,まわりの世界に目を向けて,ぼくらについてなにを物語っているか見てみる必要がある.製品・サービス・広告・メディア・娯楽がおりなす世界は,人々ののぞみに関する豊かな証拠がわきだす源泉となってくれる――少なくとも,「じぶんはこういうのをのぞんでいる」と人々が考えている製品については,豊かな証拠をもたらしてくれる. 
おおざっぱに言うと,製品は2つの範疇にわけられる.ただし,この2つは重複するところもある. 
(1) のぞましい特徴を見せびらかし,その製品をもっているところを他人が目にすれば,持ち主に「地位(ステータス)」が認められるモノ 
(2) それを所有しているのを誰も知らなくても,ぼくらの快楽ボタンを押して満足をもたらしてくれるモノ. 
本書では,範疇 (1) の地位製品 (status products) に関心を集中させる.地位製品は,いろんな特徴を他人に見せびらかそうとする人間の本能をあらわに見せてくれる.こうした製品を分析すれば,見せびらかすよう設計されている人間のいろんな特徴の本質を検知することすらできる.たとえば,人間の知能という特徴をもっとよく理解したければ,伝統的な IQ テストに踏みとどまらずに,頭脳明晰な人々がじぶんの知能の見せびらかしとして教育資格(オックスフォード大学の修士号だとかハーバードのMBAだとか)を手に入れようとしてどうふるまっているか分析してみればいい.人間の利他性という特徴をもっとよく理解したければ,よく知られた囚人のジレンマだとか最終通告ゲームといった実験経済学の研究に踏みとどまらずに,消費者たちがどんな風にじぶんの思いやりを見せびらかしているか観察してみるといい――トヨタのカムリを運転して地元の有機食品の協同組合にまで出かけて,フェアトレードの日陰栽培コーヒー豆を購入する彼らの行動を観察してみればいい.人間本性のどの側面をとってみても,人間の生活・知能・美徳・価値のどんな尺度をとってみても,個々人の特徴をこれみよがしに他人に見せびらかすのに利用できるなんらかの製品群の広大な市場が存在している.

同じ推理が,快楽製品にも当てはまる.さまざまな美的趣味を理解したければ,視覚的な好みに関する実験研究に踏みとどまらずに,人間の目を引くよう設計された衣服や自動車を吟味してみることだ.男性の性的な心理を理解したくて男性たちに質問してみても,じぶんののぞみとして語ってもかまわないと思ったものしか答えてくれない.それで満足せずに,女性のセックス労働者たちがしかじかの外見や振る舞いをとることで稼ぎを最大化している方法を分析してみればいい.すでに何年にもわたって,大勢の進化心理学者たちが人間の趣味や好みをもっとよく理解すべく,こうした快楽製品を分析している.それよりもっとずっと謎めいているのが,地位製品の方だ.

消費資本主義で人間の地位追求が具体的にどんなかたちをとっているか理解するには,人間の条件について新しい考え方をする必要がある.消費主義に関するこれまでの伝統的な科学や考え方から先に進まねばならない.消費主義について書かれた文章の大半は,「文化が人間本性のかたちづくる」と想定している.すると,社会化と学習をとおしてみんなの欲望は広告の意のままに順応するのだという話になる.モスとモダニストの文化理論の確信がこれだ.進化心理学の多くも,これと同じ方向を考えるい.つまり,〔心の〕外側から内側へという方向を考える.「先史時代の生活では外界からやってくる苦難・課題によってぼくらの思考や感情が遺伝的進化をとおしてどう形成されたのだろうか」とダーウィン主義者は考える.順応が文化的な適応でなされるか生物学的な適応でなされるかというちがいこそあるけれど,ポストモダニストもダーウィン主義者も,ぼくらの心が外的環境に順応すると考える点は同じだ.ぼくは,これと相補的な方向で考えたい.つまり,内側から外側へ向かう方向を考えたい.本書ではこう論じる――ぼくらがご先祖たちから継承した豊かな人間本性には,地位を追求し他人に見せつけようとする欲望や好みが満載になっている.知能と性格にはごく少数の重要な変異尺度がある.これらも遺伝的に継承され,性的に魅力をもち,社会で価値を認められ,大半の消費主義的見せびらかしの原動力となっている.ぼくらの内心にある地位追求本能が消費主義文化をとおしてどのように屈折されていろんな製品たち・市場・ライフスタイルを――現代の環境をつくる要素を――うみだしているのか,追跡してみたい.

人間本性をもっと深く理解するのは,誰にとっても役に立つ.もっと満足いく生活をおくりたがっている消費者にも,ブランド認知とシェアを向上させたがっているマーケターにも,世界を理解したがっている科学者にも,社会をよりよくしたがっている活動家にも,役立つ.じっさい,人間本性についてえられた新しい知見によって,証拠に基づく啓蒙という古典的な自由主義の伝統ですでに大きな革新がなされている:プロテスタントの宗教改革も,アメリカ革命も,奴隷制廃止も,女性運動も,そうした革新だ.こうした民主的な革新をとおして,統治者と市民の関係は新しいかたちをとるようになった.一方,自由市場資本主義が広まるなかで,企業と消費者の関係は以前よりずっと重要になっている.政治にとっての民主主義にあたるものが,企業にとっての消費者需要だ:ふつうの人たちが世界のあり方に対して最大の力をふるえるテコの支点となるのが,この消費者需要だ.だから,本書はたんにビジネスや心理学についての本であるばかりではない.本書は,自由市場社会が直面する最重要問題を取り扱う――経済のためにみんながはたらくのではなく,みんなのために経済をはたらかせる方法とはなんだろうか? 
とりあえずここまで.

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