2016年11月7日月曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (9)

つづき:

【適応度標示】
Fitness Indicators  
適応度標示 (fitness indicators) とは,個々人がどんな性質・特性をもっているのかを他人が知覚できるように示すシグナルのことだ.ほぼどんな動物種でも,配偶相手を惹きつけたり競合相手をひるませたり捕食者を抑止したり親や血縁者から助けを引き出したりする固有の適応度標示がある.オスのグッピーは成長するにつれて旗のようにはためく尾をもつようになるし,オスのライオンは豪勢なたてがみをみせびらかすし,オスのナイチンゲールは歌を学習するし,オスのニワシドリは立派な巣を建てるし,人間はオスもメスも贅沢品を手に入れる.どの例をとってみても,適応度標示は,優良な遺伝子・優良な健康状態・すぐれた社会的知性といった根本的な生物学的特徴をまわりにみせつけている. 
こうしたシグナルをもつ動物は,なにも,こうした特徴がじぶんの適応度の誇示になるべく進化してきたことを意識しているわけではない.たんに,これらを見せびらかす本能と遺伝子をもっていて,そうやって見せびらかすことで生存にかかわる便益や社会的・性的な便益を進化そのものが記録し続けているだけの話だ〔見せびらかしが生存・生殖に寄与した個体の遺伝子が継承されやすいという点で,進化がそうした便益を記録していると言っている〕.ぼくら人間は,じぶんたちの適応度標示が果たす生物学的な機能について,大して意識して理解しているわけではなく,その点でグッピーと大差ない.それどころか,見かけ上の適応度(健康・美容・生殖能力・知性)を向上させる製品を買って,現実の生物学的な適応度(生殖)を犠牲にしている場合すらある――たとえば,避妊薬のオーソトリサイクレンはニキビを減らすことで女性の肌をもっと魅力的にするけれど,排卵をなくすことで生殖の成功機会を減らす.ぼくらの脳は,生殖の成功を意識して追求するように進化してはいない.そうではなく,ご先祖たちが暮らしていた条件下でなら生殖の成功につながることが典型的によくあった刺激や経験や人やモノを追い求めるように脳は進化している. 
首尾よく生殖するには,男性と女性がべつべつの性的戦略を追求し,別々の相手に適応度標示を見せびらかす必要がある.ほぼあらゆる動物種で,オスは配偶相手のメスを惹きつけるためになにかを見せつける場合が大半で,配偶相手をとりあうオスの競合相手をおじけづかせる場合はそれより少ない.クジャクの羽とポルシェの機能的なつながりはわかりやすい.近年の多くの研究では,配偶への関心がいちばん高まっているときに消費の誇示を増やすことが確かめられている.女性に関しては,事情はもっとややこしい.大半の動物種のメスは,どちらの性別に対してであれ,適応度を見せびらかしてもほとんど便益を得ない.例外は,メスどうしで資源と配偶相手をとりあう種や,オスが配偶相手を選別する種だ.たとえば,高度に社会的な類人猿では,メスが食料をモノにしやすいかどうかを予測するのにメスの地位の階層が重要となる.このため,メスの類人猿はおたがいに適応度標示をみせつけあって地位を奪い合うことが多い――たとえば体の大きさや健康具合や自信の強さや人気ぶりを毛繕いのあいだにみせつけあう.こうしたメス対メスの地位競争は,おそらく,ノンケの男性がめったに気づかないような人間の女性による見せびらかし消費の大半を同様に説明してくれるだろう.とくに,プラダのハンドバッグやマノロブラニクの靴に当てはまるはずだ.長期的な関係をつくる相手の女性を男性が強くえり好みする点で,人間はいっそう独特だ.男性が相手を選別するということは,女性も質のいい男性を惹きつけるべく競い合うことになる.かなしいかな,これまで得られた証拠から,男性は女性によるそうした見せびらかし消費にほんのわずかしか注意を払わないことが示唆されている. 
他の動物たちとちがって,人間は新種の適応度標示を発案し,つくり,見せびらかし,模倣するという独自の能力を進化させている.こうした新しい標示は遺伝子レベルではなく文化レベルで進化する.具体的には,資格証明や仕事やモノやサービスなど,現代経済に典型的な標示がそうだ.思春期の人間は,文化固有なあれこれの標示について学んだり,なにが「イケてる」「きてる」「チョーすごい*」「ダサイ」のかをめぐって噂話をえんえんと続けて,まるで飽きることを知らない.つまり,彼らが見極めようとしているのは,「仲間たちが――とくに社会的・性的に魅力的な仲間たちが――いま好んでる見せびらかしテクをふまえて考えたとき,どの製品だったら,じぶんの特徴や趣味や技能をいちばん効果的に見せびらかせるだろう?」ということだ.その地域での地位が『トーラー』や『コーラン』の長い一節をそらんじれるかどうかに左右されるのだったら,若者はどうにか覚えようとするだろう.Flickr にアップした写真がみんなから「おもしろさ」で高評価をとれるかどうかに左右されたり,フェイスブックでフレンド数が多いかどうか,Hotornot.com で「イケてる」評価が高いかどうかに左右されるのだったら,若者たちは聖典の暗唱そっちのけでそちらを選ぶ.どんな言語でもじぶんの周りで話されている言語を学習するように進化した特別な脳を幼児がもちあわせているのと同じように,10代の若者たちはどんなものであれ自分たちのまわりの生態的ニッチ・社会的ニッチ・市場ニッチで好まれている文化固有の適応度標示を学習する同様のシステムを進化させている.ぼくらはたんに直観的言語学者なだけではなく,直観的な地位づくり巧者 [statustician]** でもある.どちらの場合にも,文化によって調節されたコミュニケーション技能を身につける生まれつきの能力は進化によって形成されている. 
人間の場合,金銭的な富やキャリアによる地位や前衛趣味をまわりに見せびらかすように適応度標示が進化してきたということはありそうにない.なぜなら,こうした現象が登場したのは進化の時間尺度でみてごく最近のこと,たかだか1万年ほどの間のことだからだ.そうではなく,ぼくらがやっきになって見せびらかそうとする重要な特徴とは,個人どうしできわめて大きく異なり,しかも社会的能力や好みをいちばん強く予想する安定した特徴だ.身体的な特徴だったら,たとえば健康具合・生殖能力・美容がそうだし,性格的な特徴だったら,たとえば良心・愛想よさ・新しいものを受け入れる開放性がそうだ.また,認知的な特徴だったら,たとえば一般的な知能がそうだ.こうした特徴こそ,人々が世間に喧伝したがる生物学的な美質だ.無意識のうちに尊敬や愛情や援助を友人や配偶相手や味方たちから引き出す機能を果たす.こうした特徴を見せびらかすことこそ,マーケターたちがやっきになって理解したがっている重要な「潜在的動機」だ.富や地位や趣味のよさを見せつけようとするときには,消費者たちはいくらか意識してそうしているものの,その〔無意識の〕目的は,こうしたもっと根本的な生物学的美質をあらわにすることにある場合が大半だということを論証していこう.たしかに,お金は「流動性適応度」の一種として機能しうるけれど,大方の場合,もっと人目を引く適応度標示を手に入れる手段として機能する.また,消費者たちは理性よりも感情をたよりにして買うものを決めるけれど,その人間の感情は進化上の起源と機能を理解せずには明瞭に記述できない.人間の条件について好悪伯仲する苦くて甘い思いをしつつマーケターと消費者たちがこうした原理を鮮明なテクニカラーで詳しく深く理解しないかぎり,社会をもっとよくしたり啓発したりできる望みはうすい.


*原文では 'phat'.これも90年代の死語のようだ.
**'statustician' [https://www.urbandictionary.com/define.php?term=statustician]

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