2016年11月22日火曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (21)

今日から第3章に入る.


第3章 マーケティングが文化の中枢にある理由
Why Marketing Is Central to Culture

ビジネスにとってたしかにマーケティングはものすごく重要ではあるけれど,それだけではない.人間文化でなによりも支配的な力になっている.こんな風に言うと,どうかしてるくらい強い主張に聞こえるかもしれない.「道理のわかった人間ならそんな主張は言わない」と思うかもしれない.もしそう思ったなら,ぜひ次の考えてみてほしい――マーケティングの力に対する不信の多くは,「マーケティング」なんて広告をもったいぶって呼ぶ用語だと誤解しているところから生じているんだ.しかし,マーケティングはただの広告をはるかにこえている.理念としては,マーケティングとは,人々が買いそうなモノやサービスをつくりだすことで人間の欲求を満たそうとする体系的な試みのことだ.人間本性が未開の土地を切り開く最前線と,技術の力が未開の土地を切り開く最前線の交差する地点がマーケティングだ.騎士と貴婦人の恋愛物語よろしく,最良のマーケティング指向の企業は,ぼくらが自分でも知らなかった欲求とそれを満たす想像だにしない方法を発見する手伝いをしてくれる. 
みんなが日々買い物で手に入れる品々は,どれをとってみても,「これを買えばもっとしあわせになる」とみんなが思いそうなモノをどうにかして売ろうとどこかの会社のマーケティング担当の誰かが必死に頭をひねった産物だ.アダム・スミスのいう「見えざる手」は,見えざる手のたまものだ.生産の方針を左右しているのは,もはや,前四半期の売り上げ数値が提供する雑なフィードバックではなくて,人間の好みや性格を探る実証的な研究だ.フォーカスグループ調査,アンケート調査,ベータテスト,社会調査,人口動態といった実証研究が生産を手引きしている.人間本性を探る最重要分野としての地位を,心理学は市場調査にゆずってしまっている.たとえば,2004年の数字では,およそ21万2千人のアメリカ人が市場調査の研究者としてはたらいている一方で,心理学の教授として働いている人数はわずかに3万7千人ほどでしかない. 
市場そのものは古代からある.しかし,現代的なマーケティングの概念が登場したのは20世紀になってのことだ.農業と商業の社会にも,生産者・同業者組合(ギルド),貿易商,銀行家,小売りはいたけれど,経済的意識が関心を集中させていたのはお金をかせぐことであって,なんらかの体系的な方法で消費者のいろんな欲求を研究してこれを満たすことに関心は注がれていなかった.どんな種類の版画がよく売れるのかアルブレヒト・デューラーが知ったのも,どんなイスが流行るかトーマス・チッペンデールが知ったのも,ひたすら試行錯誤を繰り返した結果でしかなかった.産業革命が起きると,大量生産が広まって,消費者の満足よりも生産のコスト効率が重視されるようになった.20世紀序盤に市場が成熟すると,企業は市場シェアをとりあって競争しなくてはならなくなった.だが,そのとき企業がとった方法は,買い渋る顧客たちにじぶんたちの商品を押しつけるのをねらった広告と販売促進だった. 
徐々にではあるものの,企業は心理学が販売に関係しているのを理解するようになっていった.ここで鍵となった人物が,エドワード・バーネイズ (1891-1995)だった.バーネイズ はプロパガンダとPRと広告の理論を創始した人物だ.ジークムント・フロイトの甥だったバーネイズ は精神分析の知見を利用して,民主主義社会における「合意工作」(engineering consent) とみずから称した問題の解決にあたった.バーネイズ はドッジ社,P&G,ジェネラルエレクトロニック,カルティエの広告キャンペーンについて指南し,ユナイテッド・フルーツ・カンパニー(現在のチキータ)が1954年にグァテマラ政府を転覆させるのを支援した.1928年の著書『プロパガンダ』で,バーネイズ はこう論じている―― 
《組織された習慣や大衆の意見を意識的かつ知的に操作するのは,民主的社会の重大な要素である.この社会のみえざる機構を操作する人間は,我々の国を真に支配する権力をもつ見えざる政府を構成する.》 
とはいえ,このバーネイズですら,世論をうまく操作するためには消費者・市民たちの信じていることと欲求に耳をかたむける必要があると認識していた.政府や企業は,ただ説教壇から叫ぶのではなく懺悔室のひそかな告白に耳を傾ける必要がある.すぐれた PR のためには,すぐれたプロパガンダだけでなく,すぐれた世論調査も必要だ.
1949年にウィリー・ローマンが『とあるセールスマンの死』で伝統的な〔がむしゃらにモノをうりつける〕商業主義の没落を嘆いていた頃には,消費者向け製品をあつかう企業数社がすでに消費者にもっと敬意を払って意見をとりいれようとする態度を発展させていた.あらゆる科学革命でみられるように,そうした企業がはじめたマーケティング革命にともなって,不思議な必然の感覚がうまれた.たまたま自社でできたもjのをどうにかして人々に買わせようとするのではなく,企業は人々がのぞむものをつくりだすべきだという考え方は,いまでは当たり前に思える.だが,それは後知恵のおかげでしかない.こうした企業は,洗剤や石けんや電球に人々がのぞむものを探り出すのを専門とするマーケティング部門を創設した.その成功をみて,模倣する会社が次々に現れた.いまや,ほぼすべての大企業がマーケティング担当の部署を抱えている.そうした部署は,製品調査,開発,広告,販売促進,拡販のあらゆる側面を調整することになっている. 
マーケティング担当の重役が CEO の職位に昇進する事例が増えていったのにともなって,1960年代には, 現代的な「マーケティング指向」を採用する企業がでてきていた.「マーケティング指向」をとる会社では,消費者を満足させることによって利益を上げることが万事の中心にすえられる.これにより,1960年代に見えざる革命が進行していった.セックス革命や「新左翼」ほど大々的に報道されはしなかったものの,こうした対抗文化の流れとちがって,マーケティング革命はビジネスのあり方を過激に変革してみせた.(それどころか,フォルクスワーゲン T2aバスや Enovid避妊薬やジミ・ヘンドリックスのレコードなどのイケてる新製品をとおして対抗文化の重んじるいろんな価値を大衆に広めるのにマーケティング革命は一役買っている.こうした製品が同時に楽しまれる場合も多かった.) 
衣料品や車やテレビや映画など個人の消費者向けの商品をつくっている企業では,マーケティング指向はごくあたりまえのものになった.その一方で,重工業(鉄鋼,石炭,石油,製紙)では,依然としてマーケティング指向はめったにとられていない.こうした産業では,見せびらかし消費や高級ブランド認知はそれほど重要ではない.また,マーケティング指向は大半のサービス産業でひどく発展が停滞している.たとえば,銀行,法曹,行政,警察,軍,医療,慈善活動,科学といった分野がそうだ.それどころか,こうした分野の指導的な立場にいる人たちの大半は,じぶんがサービス産業ではたらいていると思っていない.でも,その自覚がうまれないかぎりは,わざわざ市場調査を使ってじぶんたちのサービスをかたちづくって顧客の欲求を満たそうとすることはないだろうし,そちらに切り替えた人たちにむざむざと市場シェアを奪われることになるだろう.
とりあえず今日はこんなところで.

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