2016年11月19日土曜日

ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (18)

つづき: 

【本書について】

This Book

本書『消費』は,いまぼくらがいる地点とその先にありうる未来に関する本だ――ほんの数世代のあいだにつくられた消費資本主義という,驚嘆と畏怖と当惑をもたらす世界とその未来をめぐる本だ.前著の『恋人選びの心』(The Mating Mind) では,ぼくらがどこからきたのかを論じた――先史時代にご先祖たちがどう暮らしていたのか,そして,このたった数百万年ばかりで人間本性がどう進化してきたのかが主題だった.そこで論じたのは,人間に独特の驚嘆すべき心的能力のなかには――美術,音楽,言語,親切心,知性,創造力のように――生存のためばかりでなく生殖のために進化してきたものがある,ということだ.具体的には,男女両性の適応度指標として良質な性的パートナーを惹きつけるよう進化してきたものがある. 
性選択(性淘汰)のプロセスが配偶者選びをとおして人間精神の進化をどうかたちづくってきたかを説明するために,『恋人選びの心』ではマーケティングの比喩をたくさん利用した.「動物たちは競争きびしい配偶者市場で性的パートナーを探す」「動物の体と行動は,その大部分がじぶんの遺伝子の広告として進化してきた」「人間のオスは,強力な販売手法を進化させてきた――言葉による求愛,リズムに乗った音楽,やさしくいつくしむ前戯,長丁場の交配といった手法だ.これらを利用して,品定めのきびしいメスたちを誘惑して,うつろいはげしい消費財(精子)の初回おためしを受け入れてもらおうとする.人間のメスは,最高品質のオス消費者から自分に対する長期にわたる忠誠心を築きじぶんたちの子会社(子供たち)へのオスの投資継続を促進するための強力な新手法を進化させた.人間の創造力は,次々とあらたな行動という製品をリリースして配偶者をそそりつづけるに進化した.新しい言い回し,物語,ジョーク,ものの見方,着想,人工物,歌,贈り物などなど,こうした製品はできてまもなくは新鮮で時流に乗っているけれど,すぐに廃れていく.宗教や政治や哲学の信条といった個々人それぞれのイデオロギーは,当人の思想信条の内容ではなく広告キャンペーンとみることすらできる――世界について真偽を確かめられるニュースを伝えるのではなくて,製品としてのそのひと個人と消費者の美的・社会的・道徳的なのぞみとのあいだにプラスの情動の連想をつくりだすように設計されているという見方ができる. 
こうしたマーケティングの比喩がうまく機能しているように思えるのはなぜかと言えば.たいていの読者は性選択理論よりお買い物の方をよく知っているので,性選択を説明する参照点にマーケティングが使えるからだ.本書は,この説明方向を逆転させる.人間の進化と個々人のちがいに関してわかっていることを土台にして,消費者行動を分析するんだ.なじみのないものを使っていかにもなじみ深そうに見えるものを説明するわけで,この課題はいっそう困難になるかもしれない.ちょうどこんな風に言うようなものだ:「ほら,犬の絵を描くなんてすごくかんたんだよ.たんにエタノールの分子構造を思い描いてみればいいんだよ.その酸素原子が犬の頭蓋ね.そんで,2つある炭素原子が犬の胴体だよ」 とはいえ,やってみる値打ちはある.なぜなら,消費資本主義がどうやって人間本性から生じて,改善するためにはどんな手があるのかをぜひとも理解する必要があるからだ. 
本書で展開する考えのすじみちをたどってもらうときには,じぶんの動機や好みやのぞみについてわかったつもりになっていることを考え直してもらわないといけないことがたびたびでてくるだろう.大人としておくっている人間生活をみつめるとき,かしこい子供やクロマニヨン人の女族長のように考えないといけない場面がでてくるはずだ.生物学と文化,動物と消費者,進化と経済学,心理学とマーケティングなど,伝統的な区別を脇におかねばならなくなるだろう.これまで長年にわたってつづけてきた仕事中毒と地位追求消費がもしかして見当違いだったかもしれないということを受け入れるために,じぶんのよりどころをあやうくする勇気がいくらか必要になるはずだ. 
これが,本書の困難な部分だ.では,かんたんなところはなにかと言うと,本書は専門的な背景知識をほとんど必要としない.心理学の知識も大して必要としない.みんながすでに人々について知っていることでほぼ事足りる.消費資本主義についても大して知識はいらない.お買い物について知っていることでほぼ事足りる.それどころか,伝統的なマーケティングや経済学について教わった知識が少ないほど,克服すべき思い違いは少なくなる. 
また,文化理論やポストモダン哲学やジェンダーフェミニズムや文化人類学やメディア研究や社会学をあんまり教え込まれすぎていない方が,話についてきやすいだろう.消費主義をものすごく辛辣に批判する思想や文章の大半がこれらの分野から産み出されてきたけれど,そうした思想や文章はたいていこんな風に説教する――「科学者たちは現時を維持する仕事をしている.ジェフリー・ミラーみたいな進化心理学者は,とりわけ危険な保守だ」 多くのマーケターたちすら,こういう見方をとるよう社会化されている.このあと見ていくように,この手の説教は事実とちがう.進化心理学だって,消費主義文化に対する批判を提供できる.それどころか,マルクスやニーチェやヴェブレンやアドルノやマルクーゼやボードリヤールよりも深くて急進的な批判をやってのけられる.こうした思想家たちの洞察を尊重するのに,「彼らの方がダーウィンよりずっと深淵だ」などと言い張るにはおよばない.彼らの道徳的な憤りや遊び心ある罵倒やユートピアの想像を,21世紀科学の最良の部分と組み合わせて,どこまで進めるかやってみればいい. 
実践的な水準で考察対象にするのは,ブランドがよく認知されている企業のモノやサービス,ウェブサイト,広告だ.大半は読者がごく標準的なコストで利用できる例だし,幅広い性別・年齢・文化・国の人たちが関心をもっている例でもあるはずだ.そして,そうした例を進化心理学や個人差研究で解明できる.具体的な製品の仕様や価格の大半は,2007年~2008年現在の企業ウェブサイトや出版広告を参照している.経済にとっては重要でもあまり興味をひかない製品範疇もたくさんあって,本書はそうした範疇はあまり関心を払っていない.たとえば,一次産品や原材料(鉄鋼,石油,プラスチック,木材,穀物),基本的な仮定設備(水道,ガス,電気,冷暖房,照明),基本的な耐久消費財(家電,家具,カーテンなどのリネン類),金融商品(銀行預金,クレジット,抵当,保険,債権,株式,信託).大豆油の先物をいちばんいい価格で取引しようとしてる場面や,いちばん腕のいい外科医を探している場面や,いちばん信頼できる生命保険会社を探している場面を思ってもらえばわかるように,こうした範疇の多くでは,消費主義的な見せびらかしや地位表示はそれほど重要でない.消費者行動の進化心理学はいずれこうした製品範疇もすべて網羅することになるにちがいないけれど,いまはこれらを考えない.


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