ミラー先生の『消費』のサンプル訳をつくってみよう (14)
つづき:
進化の観点から考えると,マズローの階層は絶望的なまでに異質なものがごちゃまぜになっている.生得的な欲求(呼吸,食事,地位追求,知識習得)と,学習される関心事(金銭的な安全,自己評価,知性の向上)とがいっしょくたになっている.人間行動をかたちづくってきた重要な各種の選択圧という観点で「自然界をしかるべき節目で区切って」いない:つまり,生存と繁殖という大きな区別をつけていない.生存に関わるものには,マズローのいう生理的欲求の大半(呼吸や食事)が含まれるけれど,他の種類の欲求もここに含まれる.たとえば具体的な安全の欲求(捕食者や帰省中や性的ライバルや敵対する部族からの危害を逃れること)もあるし,社会的欲求(家族・友人・配偶者など,逆境のときに食料や保護や治療などを援助してくれる人たちとの関係を築くこと)も,認知的欲求(生存確率を高める機会や生存確率を減らす危険について学習すること)も,さらには,美的欲求だってここに含まれる(自分の部族が暮らすべき幸多そうな土地を見つけ出したり,対称的で強靱で鋭利な扱いやすい武器をつくったり).良質な性的パートナーをみつけたり良質な子孫を産み育てたりなど,生殖にはいろんな課題がある.そうした課題には,いろんな欲求が関わってくる.重要な生理的欲求(交配する)もそうだし,他の社会的欲求,評判の欲求,認知的欲求,美的欲求,自己実現の欲求も関わってくる.たとえば,配偶者を選ぶときにやさしい相手が好まれる点は,親密さ・所属・世間に認められることへの社会的欲求の説明になりうる.配偶者選択で地位が重視される点は,承認・名声,栄誉をもとめる評判の欲求 [eteem needs] の説明になりうる.配偶者選択で知性・」知識・技能・道徳的な美質が好まれる点は,学習したり発見したり創造したりしたがる認知的欲求や自分の潜在能力を実現したがる自己実現欲求の説明になりうる(たとえば,じぶんの遺伝的な性質から引き出せる最大限の配偶者としての価値を見せびらかすこと).
さらに,「生活史理論」という進化論の分野では,こうした生存の優先事項と生殖の優先事項とのあいだにはきびしいトレードオフがよく生じる点が指摘されている.低次の欲求がいつでも優先されるとはかぎらない.たとえば,オスのゾウアザラシは,繁殖期にじぶんのハーレムを守りながら飢え死にすることがよくある.もしもゾウアザラシに言葉がしゃべれたら,市場調査会社のフォーカスグループにご参加いただいて,どうしてもっと高次の欲求のために生理的な欲求(ものを食べる)を放棄するのか説明を聞かせてもらえるかもしれない.ここでいう高次の欲求とは,次のような欲求のことだ:社会的欲求(大勢のメスアザラシそれぞれと親密さを感じたり我が物にしていると感じること),美的欲求(美しい――つまり外見がよく健康で太っていて子供をたくさん産めそうな――メスアザラシたちに囲まれること),自己実現欲求(できるかぎり最良のゾウアザラシになること,つまり,かみついたり取っ組み合ったりで流血しながら性的ライバルたちを排除して浜辺のハーレムを確保すること).だけど,いまあげた3つのマズロー的欲求は,実のところ,生殖の便益に還元できる.自然選択によって,社会的・美的・自己実現的な動機は形成されている.というのも,何千世代にもわたるゾウアザラシの進化で,こうした動機がある方が生殖の成功率を高くなっていたからだ.オスのゾウアザラシのなかにも,他の連中といさかいをおこさずにただ自分の生存と安全の欲求が満たされればそれでいいと満足してきた「のんき者」もいたかもしれない.そういうのんき者ゾウアザラシなら,もっと野心的な「地位追求者」が争ってメスとつがい,ハーレムを守って飢え死にする浜辺を避けて暮らしたことだろう.もしかしたら,そういうのんき者は完璧にしあわせに暮らしていたかもしれないし,菜食主義をとってプランクトンだけ食べていたかもしれない.でも,そういうゾウアザラシたちは,じぶんの平和でのんきな気質を継承する子孫を残さなかった.子孫の系統を残したのは,じぶんの命を犠牲にしてまで支配と地位とハーレムをめぐって競争したオスたちだけだ.人間のオスは先史時代に大きなハーレムをめぐって争うよう進化しなかったけれど,男性も女性も,良質な配偶者・友人・味方をめぐって争うように進化した.かくして,フォーカスグループの聞き取り調査に答えたらゾウアザラシたちが語ってくれそうな欲求や本能や好みや望みの多くが,ぼくら人間にも備わることとなったわけだ.
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