つづき:
ミーム理論は,これとちがう見方を提示する:「みんながステーキやドーナッツやソーダを消費するのは,もしかして,他人がそうするのを見たことがあって,その食習慣を真似してるからじゃないだろうか.豆腐の塩漬けとかシベリア風スープを好む結果になっていてもおかしくはなかったけれど,たまたまミーム進化の偶然がはたらいて,それとちがう方向にやってきただけじゃないか.」 このミーム説でも,文化をまたいだ食べ物の好みが同じように説明されるかもしれない.たとえば,アメリカ人はどうして肉にはバーベキューソースを加え,フレンチフライにはケチャップをかけ,サラダには蜂蜜マスタードをあえ,パンには砂糖をまぶし,水にコーンシロップを入れる(「ソーダ」)といった具合に,自然の甘い風味があるものをなんでもかんでも甘いデザートにしてしまうのか,その理由を説明できるかもしれない.
どちらの説も貴重な洞察をもたらしてくれるけれど,その一方で,進化心理学者もミーム理論家も,グローバル食品産業の経済的・政治的・マーケティングの力を認識した方が有益だろう.アメリカでは,加工食品に脂肪や食塩や砂糖がたっぷりと含まれている.そのワケは,お金もちの強力な業界団体があって,効果的に政治家たちにロビー活動を展開して,行政の助成金や契約受注や規制緩和を頼んだり,業者の責任負担をできるかぎり軽減する不法行為法の改正 [tort reform] をやってもらったりしているからだ.こうした団体には,「全米チェーンレストラン組合」(National Council of Chain Restaurants) や,「全米食料雑貨連合」(National Grocers Association) や,「食品加工組合」(Food Products Association) や,「フードマーケティング協会」(Food Marketing Institute) や,「アメリカ食料雑貨生産者組合」(Grocery Manufacturers of America) などがある.全米レストラン組合は,アメリカのレストラン90万店舗を代表する団体で,加入店の従業員は1220万人,年間収益は4760億ドルにのぼる.全米畜産業者ビーフ連盟 (The National Cattlemen's Beef Association) は,80万もの牧場経営者を代表紙,加入牧場は年に3500万頭の牛からおよそ260億ポンドの食肉を「収穫」する.全米鶏肉協議会 (The National Chicken Council) は,タイソン (Tyson),ゴールドキスト (Gold Kist),ピルグリムズ・プライド (Pilgrim's Pride),コンアグラ (ConAgra) といった大企業を代表する団体で,年におよそ80億羽のにわとりを処理している.さらに脂肪とタンパク質の消費を推し進めているのが,アメリカ食肉協議会 (American Meat Institute),全米豚肉協会 (National Pork Board),全米ターキー連合組合 (National Turkey Federation),国際乳製品連合 (International Dairy Foods Association),全米牛乳生産者連合組合 (National Milk Producers Federation) といった団体だ.食塩消費を推し進める団体には,スナックフード協会 (Snack Food Association) や全米コンビニエンスストア連合 (National Association of Convenience Stores) がある.砂糖消費を推し進めているのは,砂糖組合 (Sugar Association),ドレッシング & ソース組合 (Association for Dressings and Sauces),国際ゼリー & 保存料組合 (International Jelly and Preserves Association) がある.コーン精製組合 (Corn Refiners Association) はとくに重要だ.というのも,この団体はアメリカの「湿式粉砕産業」を代表しているからだ.この産業は,果糖を大量に含むコーンシロップを年間およそ250億ポンド製造している.コーンシロップは各種ソーダの( 水以外の)主成分で,アメリカ人は平均で一人あたり一日に約45グラムを消費している.
さて,たしかに,脂肪や食塩や砂糖を好む生得的な傾向がみんなに備わっているのは疑いない.ロビー団体や業界団体は,なにもないところからこういう味わいの需要をつくりだしているわけではない――そうでなければ,いまごろ「塩漬け豆腐マーケティング協議会」だの「全米キャベツスープ連合」なんかがもっとたくさん資金と影響力をふるって成功しているところだろう.しかし,進化でぼくらにうまれた食品へのいろんな好みを,こうした強力な業界団体がものすごい政治的な影響力や業界の食品群を広めるマーケティング予算を使って大幅に増幅している.
社会的権力システムによるこうしたアイディア・嗜好・規範・習慣・ミームたちの傾性こそ,まさに社会科学の研究対象だし,政治学・社会学・メディア研究の活力のもとに他ならない.こうした社会科学分野が数十年におよぶ研究で認識しているように,単純なミーム進化モデルによって個人の心理から一足飛びに大衆文化に飛躍はできない.そんな風に思うとすれば,市場万能論者が需要と供給の経済と政治的無政府状態が組み合わさればユートピアが生まれると思うのと同じくらい単純素朴というものだろう.また,社会制度や利害関係も考慮しないといけない.ミーム浸透は――つまり,意識的に熟慮して制度化された戦略をとおして大衆の見解や好みを形成することは――何百万というマーケターや広告業者や小売業者や広報活動専門家がお金をもらって毎日はたらいてやっていることだ
市場万能論者も,ある一点に関しては正しい:マーケティングの力はかなり脱中心化されている.資本主義だの消費主義だの家父長制だの異性愛だの人種差別だの国民総蒙昧化だのをすすめる一本化された陰謀もなければ,ヒミツのフリーメーソン寺院もない.世界貿易機関だって,たんにジュネーブのローザンヌ通り154ある5階建てオフィスビルではたらく630名ほどの組織でしかない.マーケターたちの大半は,社会科学者たちが分析する権力システムを浸透させようなどとがんばっているわけではない.たんに,自社のマーケットシェアを増やそうとしているだけだ.マーケターたちは邪悪な天才のように描かれることもよくあるけれど,現実には,他の人たちと同様に日々の仕事でじたばたやっているのが典型だ.マーケターたちにしても,やたら髪をもさもささせたり逆に剃り上げたりしてるエキセントリックな著者たちが執筆した大衆向けビジネス書(しかもできるだけ薄ヤツ)を読んで最新の消費者心理学の流行ネタに追いつこうとしている.
というわけで,現代科学が提供する極端な見解のどれひとつとして,マーケティングの理解にはそんなに役立たない.「生得的な好み」理論もミーム理論も,マーケティングの力をまるっきり無視している.社会科学系の陰謀論は,あまり教育のないマーケターたちが共謀するどころか互いに抗争している脱中心化されている状況を無視している.その結果として,大半の行動科学は――心理学・人類学・社会学・経済学・政治学は――マーケティングをまともに取り合うことがめったにない.かくして,現代文化の革新,人間本性を増幅したり鈍らせたり歪曲したり裏をかいたり満足させたりする中心的な力がほぼ無視される結果となっている.――これで,第3章はおしまい.