2017年8月21日月曜日

clip:「諸悪の根源が消費社会論にあるような気がしてきた」

北田暁大・栗原裕一郎・後藤和智『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(イースト・プレス,2017年,pp.186-188)から:


北田 大澤,内田隆三(…),吉見俊哉,そこら辺が見田山脈ですよね.成熟社会派が多い.僕の師匠でもあるけれども,吉見さんとシンポジウムをご一緒した時,「これ以上経済は発展しないんです」とおっしゃるから,「それじゃダメでしょう!」と返したら,見事に編集サイドで削られましたけど(笑).発想はそうなんだなって,すごくびっくりしました.

栗原 反経済成長,脱経済成長というのは社会科学系にとってドグマなんですよね.だから浜矩子(…)とか水野和夫とか,そういう人たちのほうにばっかり行ってしまう.

北田 1920,30年代ブームというのが,1990年代にあったんですよ.なにかというと1920年代とか30年代というかモダンというものに,批評にしても思想にしても社会学も可能性を見出す時期がありました.吉見さんはその典型.つまり前近代から近代に立ち上がっていく時に,半分フーコー,半分消費社会,これがセットになって資本主義となったというのは,見取り図としてわかりやすい.
 そういうものが根底にあって,特に吉見さんは経済学は全くスルーで,消費社会論でカバーできるものとして対応してきた.本当は吉見先生は栗原さんと同じ東大理一組なので,数字が苦手なはずがない.でも,見田系列,作田(啓一/社会学者,1922年生)系列が乗れるのは,消費社会論.消費社会論だといろんな理論装置があるし,記号論とかも使えるから,それこそラカンとかも使えたりするので,そこで思考がストップしちゃう.

栗原 消費社会論というと,國分功一郎(…)の『暇と退屈の倫理学』(…)を読んだら,まず人というのは暇と退屈を持て余すものだっていうのが前提になっていてすごい違和感を覚えて.現在ってどちらかというと「退屈を持て余してる暇なんかねーよ」っていう人のほうが多いと思うんですよ.なんでこんな話になってるのかと思ったら,ボードリヤールの消費社会論が出てきて,消費が飽和していることが前提になっているわけ.あのー,今はバブルじゃなくてデフレなんですけど,というね.

北田 諸悪の根源が消費社会論にあるような気がしてきた.

後藤 それ絶対あります!

北田 内田樹さんは消費社会嫌いなんですよね.

栗原 あの人は重商主義者で鎖国主義者ですから.

後藤 内田樹さんは消費社会のせいで若い世代がニートになるとかも言ってますから.

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