2017年8月7日月曜日

練習問題の解説:意味のすり替えは論証ではないよ

昨日の「哲学めいた文章を読む練習問題」のフォロー編.

ここでも,みなさんのお手元に森山至貴『LGBTを読み解く』があって随時参照できることを前提にして,お話をすすめます.(ぼくはKindle版だけを参照しているので,紙バージョンでの参照ページは省略します.)

さて,前回はこういう練習問題を出していました:
問題】筆者がもちいる「パフォーマティブ」は,当初,約束のような行為を遂行するという意味で導入されていますが,その後,この短いセクションのどこかで意味が変わっているようです.「発語においてなんらかの行為を遂行する」という意味でなくなった箇所はないでしょうか.候補を見つけ出してください.また,その箇所での「パフォーマティブ」は,パラフレーズするとだいたいどんな意味でしょうか.


解説


さっそく答え合わせをしてみましょうか.

「パフォーマティブ」が発語における行為の遂行とはちがう事柄を意味している箇所は,このセクションのおわりにある次の一文です(太字強調は引用者によるもの):
言語が,辞書的な意味の綻びによって成立可能となるのならば,言語の根本的な特徴はむしろ,辞書的な意味を超えてしまう,そのパフォーマティブな側面ということになります.
では,この箇所の「パフォーマティブ」が「行為遂行的」とちがうどんな意味で使われていて,どういう流れでそうなっているのか,確かめていきましょう.

「言語は綻びによってこそ可能になる」と題されたこのセクションを俯瞰すると,こんな具合になっています(画像参照):

▲セクションの俯瞰(クリックして拡大)

このセクションでは,まず冒頭でこの先の議論のあらましを予告してから,次に,J.L.オースティンが言った「パフォーマティブ」「コンスタティブ」の対を解説しています.

「彼の研究室は14階にある」のような事実を主張する発話がコンスタティブ(事実確認的な発話),「私は明日14時に研究室に行くことを約束します」のように事実を主張するのではなく約束の行為を遂行しているような発話がパフォーマティブ(行為遂行的な発話)である――この解説そのものには,大きな問題はありません.

オースティンを踏襲したそれぞれの定義をまとめておきましょう:
  • コンスタティブ1:事実を主張する
  • パフォーマティブ1:事実の主張でなく発話においてなんらかの行為(e.g.約束)が遂行される

ただ,ここで伏線になっているのがコンスタティブの扱いです.コンスタティブとは真偽が定まりうる主張をなす言明のことなのですが,著者はここでそれ以外の点を強調しています:「言葉の辞書的な意味の伝達」「辞書上の意味を正しい文法知識で連結させた意味そのままを伝達」というのがそれです.

著者が強調する定義を以下のようにまとめます:
  • コンスタティブ2:事実を主張する(+辞書的な意味の伝達

このあとに続くパラグラフでは,ジャック・デリダが「コンスタティブ」について提示した疑念を紹介しています.その疑念が向けられているのは,コンスタティブな発話が事実を主張するという部分ではなく,「辞書的な意味の伝達」になっているという部分です.森山によるデリダ紹介によれば,「語や句は繰り返し使用され,かつその使用は一度として同じ文脈を持ちません」――その例示としては,次の2点があげられています:
  • 「猫」が場合によってちがう指示対象をもつこと
  • 時・場所・話し手・聞き手がまったく同じ文脈はないこと

そして,森山はこう続けます:
であるならば,語や句は,その意味が異なる文脈に流用されてしまう,つまり安定した辞書的な意味が綻びることによってむしろ成立可能となっているのです.
この箇所の論証にもたいがいな飛躍・欠陥がありますが,いまは無視しておきましょう.それより,「コンスタティブ」の中心的な要素が事実の主張から「安定した辞書的な意味」にズレたうえで,それはありえないのではないかという疑念が述べられていることの方がいまは重要です.

デリダ解説パートでの定義を次のようにまとめておきましょう:
  • コンスタティブ3:辞書的な意味の伝達(に関わるもの)

ちょっと前の「コンスタティブ1~2」と見比べてくださいね.

こうして,問題の箇所がやってきます:
言語が,辞書的な意味の綻びによって成立可能となるのならば,言語の根本的な特徴はむしろ,辞書的な意味を超えてしまう,そのパフォーマティブな側面ということになります.
ここでは,「パフォーマティブ」は約束のような行為遂行の面がもはや後景に退いてしまい,「辞書的でない・安定していない意味の伝達」くらいの意味になっています.コンスタティブ3 と対比されるものに変わっているのです.
  • パフォーマティブ2: 辞書的でない・安定していない意味の伝達(に関わるもの)
このように,このセクションの論述は,もっぱら「コンスタティブ」との対比において「パフォーマティブ」の意味をずらすことで成り立っています.きびしく評価するなら,たんなる意味のすりかえであってまともな論証ではありません.インチキです

  • 論証のルール:一連の論証において,キーワードの意味は一貫させねばならない.定義を変えるときにははっきりと宣言すること.

コメントでのご指摘を受けての加筆:著者には,「じぶんはオースティンやデリダの言ったことを要約・紹介しているのであって,じぶんの論証を展開しているわけではない」という言い分があるかもしれません.だとしても,このような用語の意味の変化・ズレを読者にはっきり伝えない紹介には欠陥があります.)

しかし,もう少し協調的に読むならどうでしょうか? 言い換えれば,この論述で意味のすりかえをせずにすませつつ,論述の主眼と論拠だけを残すにはどうすればいいでしょうか? この改善案を次の練習問題としましょう.

  • 問題】:このセクションで紹介されている議論の主眼と論拠を抽出してみましょう.

――続きはまた後日.


答案サンプル


最後に,あらためて問題の答案サンプルをまとめておきます:

《どの箇所で意味が変わっている?》――答え:セクション最後の「言語が,辞書的な意味の綻びによって成立可能となるのならば,言語の根本的な特徴はむしろ,辞書的な意味を超えてしまう,そのパフォーマティブな側面ということになります」

《その箇所の「パフォーマティブ」をパラフレーズしてみよう》――例解:「辞書的・安定的でない,文脈によって意味が変わる言語使用がなされる(側面)」

2 件のコメント:

  1. ブログ主さんが定義する意味の「論証」を森山さんがやろうとしているかどうか、など、はっきりしない点も多いので、「森山さんが論証を行なっていない」ということそれ自体は問題でない、という点を付け加えないと、森山さんに対してフェアではない気がします。あるいはブログ主さんの定義する意味の「論証」は、「哲学的」論考の著者が必ずやらねばならないものでしょうか。そのように考えると、ヘーゲルやデリダが読めなくなるので、損失も多いきがしますが、いかがでしょう?

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  2.  ご指摘をうけて,一部に打ち消し線を引き,加筆しました.ありがとうございます.
     ただ,紹介・要約であっても明らかにその内容に賛成する態度を表明しているのであれば,引用者もその論証を評価し,不備があれば指摘したり補ったりするなどの責任を引き受けるべきだと思います.森山さんの場合にはその区別がときおりあいまいなのですが,あくまで中立的な紹介なのだろうと考えることにしました.
     あと,「ヘーゲルやデリダが読めなくなる」というご懸念に触れますと,難解な文章に整合的な解釈を試みるという意味であれば,おっしゃるように,解釈者がその論証の評価をみずからの責任で行う必要はありません――「この主張が成り立っているかどうかはさておき,とにかくヘーゲルはこのように言っているようだ」でOKです.したがって,損失もうまれないと思いますよ.

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