2017年8月11日金曜日

なんでかんじんの言語をみようとしないんだろう?

このところえんえんととりあげてる「パフォーマティブ」の件の続きというか,なんというか.『LGBT を読みとく』の著者の森山先生がこういうツイートをしてる:

調べるべき項目をわけるといいと思う:
  1. 森山さんがバトラーを誤解なく要約しているかどうか(「私がバトラーの要約に失敗しているのか」)
  2. J.バトラーは言語行為論を正確に理解しているか(「バトラーの言語行為論理解が間違っているのか」)
  3. バトラーの言語行為論(?)は言語のありように合致しているか
  4. 森山さんがまとめた「言語行為論」の要約(バトラーの要約であれなんであれ)は,言語のありように合致しているか

このうち,上記のツイートは (1)-(2) を考えていて,(3)-(4) を考慮していない.「パフォーマティヴ」どうのこうのの話に言語の具体的な話がほとんどでてこないのとあわせると,どうして言語についての話なのにいっこうに言語のありように目を向けようとしないのか,ぼくは不思議に思う.

ねんのために付け加えると,ぼくは言語行為論の専門家ではないし,ぼくじしんも専門家のひとの考えを知りたいと思ってるよ.

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