- 板野氏の発言の真理条件: 板野一郎氏が『イデオン発動編』で作画を担当したシーンで作中人物が「何人か」死んでいる.
- 犯人氏の発言@場面 A の真理条件:この当該の犯人氏が,発言時点よりも前に,何人かを殺している.
- 敏腕弁護士の発言@場面 B の真理条件:この敏腕弁護士氏が,発言時点よりも前に,死刑執行の見込みが大きい容疑者たちの弁護を何回か担当し,そのうちの一部の裁判で容疑者が死刑判決を受け,のちに死刑執行されている.
さて,以上の観察を踏まえて,前回はこんな問いを出しておきました:
- 問い 3: 板野氏の発言,場面 A の発言,場面 B の発言それぞれについて,「何人かは殺してますよ」という文そのものが貢献しているのではない真理条件の要素を洗い出してみよう.
今回は,これの答え合わせです.
3.1 答え合わせ:文脈の貢献をさぐる
さっそく,それぞれの例を見ていきましょう.
3.1.1 場面 A
比較的に単純な場面A からとりあげます.
- 場面 A: 大量殺人犯の無実を証明しようと敏腕弁護士が犯人と面会し「本当にこんなに殺したとは思えないんだ」と言うと、相手は「いや、何人かは殺してますよ」と答えた。(出典)
- 犯人氏の発言@場面 A の真理条件:この当該の犯人氏が,発言時点よりも前に,(彼が殺したと疑われている大勢の人々のうち)何人かを殺している.
文脈から得られているのは,次のような要素です:
- 動詞「殺す」の主語(殺す側):「大量殺人犯」で指し示されている特定の人物
- 目的語(殺される側)の限定:ここでいう「何人か」とは,大量殺人犯が殺したと疑われている大勢の被害者たちのうちの「何人か」をいう
だいたいこんなところです.
3.1.2 場面 B
次に,場面 B を考えてみましょう.
- 場面 B: 凶悪犯罪事件専門の敏腕弁護士はこれまで何人もの容疑者を死刑から救ってきた。「あなたはこれまで負け知らずでしょうね」「いえ、何人かは殺してますよ」(出典)
前回みたように,この例の真理条件はだいたい次のようにまとめられるものでした:
- 敏腕弁護士の発言@場面 B の真理条件:この敏腕弁護士氏が,発言時点よりも前に,死刑執行の見込みが大きい容疑者たちの弁護を何回か担当し,そのうちの一部の裁判で容疑者が死刑判決を受け,のちに死刑執行されている.
まず,動詞「殺す」の主語・目的語を解決しておきましょう.それぞれ,次のようになっています:
- 動詞「殺す」の主語(殺す側):「敏腕弁護士」=この発言の話し手本人
- 目的語の限定:これまでに弁護を担当した死刑判決を見込まれる容疑者たちのなかの「何人か」
さて,この例では「殺す」がちょっと変わった意味に解釈されます.この弁護士じしんがみずから手をかけて人殺しをしたという意味ではなくて,弁護を担当した容疑者たちに死刑判決が下るのを避けようとしてそれが叶わなかった,という意味で動詞「殺す」を使っていますし,聞き手・読み手もそのように解釈しなくてはこの場面での質問「あなたはこれまで負け知らずでしょうね」と話がかみ合いません.
- 「殺す」の特殊な解釈:弁護を担当した相手に死刑判決が下るのを回避しそこなう
この意味で何人か殺しているのが事実だとしても,この敏腕弁護士の件を警察に通報しようという人はいないでしょう.これは,みなさんがよく知っている「殺す」の意味とは大きく異なっていますね.そればかりか,このような意味に「殺す」を解釈することじたい,はじめてだという人も多くいるでしょう(ぼくもおそらくその1人です.こういう用例を他でみた覚えがありません).記憶から呼び出した意味ではなさそうです.それにも関わらず,場面 B の発言を解釈するのに苦労する人はそういないはずです.どういう仕組みかはわかりませんが,こういう特殊な解釈を導く推論がぼくらにはすんなりとできるようです.そうやって「殺す」の特殊な解釈,比喩的な解釈を導く推論には,文脈の情報がいくらか入力を提供しているのがわかります:
- 特殊な/比喩的な動詞解釈を導く推論への入力:容疑者を何人も死刑から救っていること,相手がそのことをふまえて「負け知らずでしょうね」と質問してそれに答えている発言であること
3.1.3 板野一郎氏の用例
最後に,板野一郎氏の「殺しています」用例を考えましょう:
小黒 『発動編』で、板野さんは人物は描いてないんですか。人が死ぬところとか。
板野 いや、何人かは殺してますよ。
小黒 あ、やっぱり。
(「animator interview 板野一郎(3)」WEBアニメスタイル,2005年1月28日)
例によって,「殺す」の主語・目的語には文脈から情報が補われています:
- 「殺す」の主語(殺す側):板野一郎氏が「何人かは殺して」いる.
- 目的語「何人か」の限定:ここでいう「何人か」は『イデオン発動編』の作中人物のなかの「何人か」を指す.
- 特殊な/比喩的な動詞解釈を導く推論への入力:アニメーション映画での作画の仕事が話題であること,「人が死ぬところ」を描いているかどうかを尋ねた質問に答えた発言であること
こうして,この発言の真理条件は,だいたい次のようなものになっています:
- 板野氏の発言の真理条件: 板野一郎氏が『イデオン発動編』で作画を担当したシーンで作中人物が「何人か」死んでいる.
3.1.4 いったんまとめ
以上,前回の問い3 の答え合わせをやってきました.同じ文「何人かは殺してますよ」が文脈ごとに異なる意味をもつ際にさまざまな文脈情報が利用されていることが具体的に確かめられました.
- いったんまとめ:同じ文でも,さまざまな文脈情報と組み合わさることで,さまざまに異なる意味を使用場面ごとに伝えうる.
3.2 「殺す」の意味: 心的辞書の意味と特殊な意味
この3つの事例で目を見張るのが動詞「殺す」の解釈がそれぞれにちがっているところです.とはいえ,解釈でどうとでもなるわけでもないし,「殺す」の通常の意味が無関係なわけでもなさそうです.ためしに,場面 B の「殺す」を他の動詞に入れ替えてみましょう:
- 場面 B': 凶悪犯罪事件専門の敏腕弁護士はこれまで何人もの容疑者を死刑から救ってきた。「あなたはこれまで負け知らずでしょうね」「いえ、何人かは食べてますよ」
たとえ意図する意味が「弁護する相手の死刑判決を回避し損なう」のようなものだとわかっていても,少なくともぼくの直観ではこの使い方はとてもおかしく感じられます(みなさんはどうでしょうか?)――ということは,どんな動詞からでも推論の力で意図する解釈が自然に導かれるわけではなく,そこには「殺す」と「食べる」の意味のちがいがものを言っているのだとわかります.
ここでものを言っている意味とは,「殺す」「食べる」それぞれについてみなさんが記憶している意味です.
「殺す」「食べる」のような動詞は,みなさんよく知っていますね.一方で,たとえば「あぺる」という動詞はごぞんじないはずです――なにしろ,いまぼくがでっちあげた動詞なので.
動詞も含めてあれこれの単語について,それを「知っている」というとき,そこには次のような情報が含まれます:
- 音韻的な情報――ひらたく言えばその単語の発音
- 文法的な情報――その単語は名詞なのか動詞なのか形容詞なのかといった品詞の情報,動詞ならどういう活用変化をするのか(「食べる-食べない-食べれば-食べろ…」)といった情報
- 意味-概念的な情報――その単語に結びつく意味・概念
音韻・文法(統語論)・意味-概念は,それぞれにちがった領域で,単語はこれらをつないでいます.その点で,たとえば言語学者のレイ・ジャッケンドフは「「単語は,ある概念構造を統語・音韻構造に結びつけるいろんなインターフェイス規則のうちの1つだ」と言っています ("Among the interface rules are words, which connect pieces of conceptual structure to pieces of syntactic and phonological structure"; Jackendoff 2007: 193).
こうした単語の情報の記憶を【心的辞書】または【メンタル・レキシコン】と呼びます.単語の意味を「知っている」とは,心的辞書にその単語の意味-概念情報があるということです.
こう考えると,動詞「殺す」が3つの場面・文脈で異なった意味になっているのは,心的辞書にみなさんがもっている意味からなんらかの推論を経て,それぞれの場面でちがう意味をもたらしているのだという見取り図がえられます.3つの場面で「意味がちがっている」といっても,心的辞書の意味がその都度ころころ変わっているというのはありそうにない話です.そうではなくて,同じ意味-概念情報をもとにして,それぞれの場面でちがった意味を導き出していると考える方が実態に近いでしょう.この見取り図にそって言えば,「殺す」と結びつけている意味-概念情報はさきほどのような特殊な意味を導く推論が自然にできるのに対して,「食べる」と結びつけている意味-概念情報はそうではないのです.
- いったんまとめ:話し手ひとりひとりがもちあわせている心的辞書の「意味」と,それぞれの使用場面での「意味」とを区別しよう.
最後に,今回のキーワード「心的辞書」にからめた応用問題を出しておきます:
- 問い 4: 森山至貴『LGBTを読みとく』の「パフォーマティヴ」を扱ったセクションでは,「安定した辞書的な意味」というフレーズがでてきます.これは,「心的辞書で単語に結びついた意味-概念」と同じものでしょうか,それともちがうものでしょうか.ちがうのであれば,どうちがうのでしょうか.
では,また後日.(#4 につづきます)
参照文献
- Jackendoff, R. (2007). Language, Consciousness, Culture: Essays on Mental Structure. MIT Press.
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