2016年5月19日木曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(05)

ピンカーとスペルクの議論をちまちま訳しています(前回分はこちら).


以下,訳文:


ピンカー:こうした統計の要点を念頭において,プレゼンの本筋に入りましょう.

まずは,政治的な論点と科学的な論点をつなげます.差別のさまざまなパターンを研究している経済学者たちは,長らくこう主張しています(たいていは物言えば口寂しいばかりですが)――「差異と差別には決定的な概念的ちがいがある.」 どんな職業であっても,男女比が 50:50 から離れているからといって,それだけでは,ここに差別があるということにはなりません.男女それぞれの利害関心や資質が同等なのに 50:50 から離れているというのでないかぎり,差別があるとは言えないのです.この点を,具体例で解説しましょう.実はぼくも関わっている例です.

ぼくは科学分野で研究しています――子供の言語習得の研究です.さて,実はこの分野は女性が大半を占めています.これに関わる研究職の75パーセントが女性です.ちょうど,今回のメインカンファレンスの基調講演者の大半が女性なのと同様です.ひとつ申し上げますと,これはべつに,ぼくのような男性たちが差別されているからではありません.ぼくが言語発達の研究を選んで,たとえば他の機械工学を選ばなかった理由はいくつもあります.自動車の伝送系を改良する設計という目標には,子供たちの言語習得を明らかにするという目標ほど,そそられませんでした.それに,伝送系の設計を選んでいたとしても,子供の言語の研究ほど上手くやれたとは思いません.

さて,差別や性差別主義的な不快な比較を持ち出すことなく性差を説明するには,次の一点で事足ります――ぼくにあるいろんな形質のうち,(たとえば)機械工学よりも(たとえば)子供の言語習得を選ぶ傾向をもたらすものは,男性と女性で統計的な分布がそっくり同じではないと仮定すればすみます.会場のみなさんも――どちらの性別であれ――機械工学の技術者でない方々なら,ぼくがなんのことを言っているのかきっとわかるはずです.

さてさて,それでは,男女でのそういう類似点・相違点はどんなものでしょう? とうぜん,類似点はたくさんあります.男性だろうと女性だろうと,平均でみて一般知能すなわち g にちがいはありません.そっくり同じです.また,認知の基本的な範疇に関して言えば――つまり,外界にどう対処して生活していくか,事物の概念,数の概念,人の概念,生き物の概念などなどに関して言えば――男女にちがいはありません.


それどころか,現にちがいがある場合にも,女性より男性の方がすぐれている場合と同じくらい,男性より女性の方がすぐれている場合があります.たとえば,男性はモノを投げるのに秀でていますが,女性の方が器用です.女性より男性の方がいろんなカタチのものを頭の中で回転させるのにすぐれています;男性より女性の方が視覚記憶にすぐれています.男性は数学の問題解決にすぐれています;女性は数学の計算にすぐれています.こうした例がいくつもあります.


しかし,このところ議論になっているデータに関連する性差は,少なくとも6つあります.こうした相違点に関する文献はものすごく大量にあって,ここではほんの一部しか取り上げられません.ここでは,データセットが豊富にある例やこれまでの研究を総括するメタ分析のある,ごくわずかな例に議論を限定しておきます.


――今日はここまで.

続きます

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