2016年5月27日金曜日

ヘレン・スウォード「ゾンビ名詞」

日本語でも英語でも,ただひたすら抽象名詞がつづく文章を読んでいると,意味がはっきりつかめなくて,だんだん目がよどんでくる.

ヘレン・スウォードの『書き手のためのダイエット法: 引き締まった散文への手引き』は,そういう文章を改善するヒントを教えてくれる好著だ (Helen Sword, The Writer's Diet: A Guide to Fit Prose) .

同書から,「ゾンビ名詞」について述べた箇所を訳して抜粋する:

(…)同様に,形容詞や具象名詞からつくられる抽象名詞も,まるで骨髄のない骨のように実質や中身に欠けがちだ(形容詞 suspicious「疑わしい」 → suspiciousness「疑わしさ」,具象名詞 globe「地球」→ globalization「グローバル化」).それで,このようにちがう品詞からつくられた名詞を(専門用語でいう「名詞化」でできた名詞を),くだけた呼び名で「ゾンビ名詞」と言ったりする:ゾンビ名詞は,生き生きとしたものになれたはずの文章から生気を吸い取ってしまう.
ゾンビ名詞を一掃するとなると――というか数を減らすだけでも――文章のスタイルだけでなく主題についても考え直さないといけなくなるかもしれない.極端な場合だと,文章全体をイチから考え直さないといけなくなる.下記に引用したのは,経営学の学術論文の一節だ.みてもらうと,名詞化が満載になってる. 
The capacity of a decision unit to induce innovation implementation within an adoption unit is crucial to organizational success. Risk and complexity are characteristics of innovations that can lead to resistance within organizational adoption units. Communication costs, types of power, and communication channels are structural characteristics that can be used by a decision unit to overcome this resistance. The interaction of these factors can determine the degree of successful innovation implementation within organizations.
意志決定ユニットが採用ユニットにおいてイノベーション実施を引き起こす能力は,組織の成功にとって決定的に重要である.リスクと複雑性は,採用ユニットにおける抵抗につながりうるイノベーションの特徴である.伝達コスト,権限の種類,伝達チャネルは,この抵抗を克服するために意志決定ユニットが使用できる構造的な特徴である.こうした要因どうしの相互作用により,組織におけるイノベーション実施の成功度が決定されうる.
この論文の著者たちが本当に言おうとしてることはなんだろう? 論文のタイトル「伝達とイノベーション実施 はすごく抽象的で,あまり助けになってくれない.それに,ちりばめられた抽象名詞や複合名詞句もあまり理解の助けになっていない(capacity「能力」,success「成功」,risk「リスク」,complexity「複雑性」,characteristics「特徴」,innovations「イノベーション」,resistance「抵抗」,types「種類」,power「権限」,interaction「相互作用」,factors「要因」,degree「度合い」,organizations「組織」;desicion unit「意志決定ユニット」,innovation implementation「イノベーション実施」,adoption unit「採用ユニット」,communication costs「伝達コスト」,communication channels「伝達チャネル」).名詞からつくった形容詞も同様だし(crucial「決定的に重要な」,organizational「組織の」,structural「構造的な」),be 動詞のいろんな形式も助けになってくれない(is, are, are[sic]).この一節を手直しするのに必要な編集作業ときたら,胃バンディング外科手術なみだ.
ジャーゴンをあらかた取り除いてやって,「意志決定ユニット」だの「採用ユニット」だののゾンビどもを人間に転換し,パラグラフの重心をつきとめれば,ちいさな意味の核心がのこる:
Organizations thrive on change; however, many employees resist new ideas that they perceive as too risky or complex. Successful managers break down such resistance by communicating with staff clearly and strategically.
組織は変化して成長する.だが,多くの従業員は,「あまりにリスクが大きい」「あまりに複雑だ」と受け止めたアイディアに抵抗する.首尾よい経営者は,スタッフと明瞭かつ戦略的にコミュニケーションをとって,こうした抵抗を打破する.
こうして手直しした一節で述べられているのは,会社経営の方法についてほんものの意志決定をくだすほんものの人間たちであって,「イノベーション実施」に関わるオートマトンじゃあない.具象名詞(employees「従業員」,managers「経営者」)や動作動詞(resist「抵抗する」,perceive「受け止める」,communicate「コミュニケーションをとる」,break down「打破する」)は,一握りの重要な抽象(ideas「アイディア」,organization「組織」,resistance「抵抗」)を安定させるバラストになってくれる.

著者による講演動画:


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