2014年12月29日月曜日

リスト更新:クルーグマン@経済学101

クルーグマン@経済学101も配信終了になったことだし,これまでに訳した記事のリストを更新しておいた.2013年10月から2014年12月までやってきたんだね.1つ1つの記事は比較的に短文だけど,こうしてみるとわりと分量がある.

2014年12月28日日曜日

メモ:クルーグマン@経済学101で配信されてこなかったマクロ経済論議


時事ネタ優先らしく,ニューヨーク・タイムズのシンジケートから配信されてこなかったエントリをメモっておく:




2014年11月23日日曜日

メモ:量的緩和に関するベックワースとクルーグマンの議論(2010年10月~11月)

ほんとにただのメモですぞ.




2014年11月19日水曜日

クルーグマン:「リカード等価定理」について区別すべき5点

ピーター・テミン&ダヴィッド・ヴァインズ「なぜケインズが今日大事なのか」に言及して,クルーグマンが「複数の別々なダメ論証を「リカード等価定理」の見出しのもとに混在させてるように思える」と指摘して,次の5点を区別すべきだと述べている:

First, there’s the Say’s Law argument: because spending must equal income, any increase in government spending must be matched by a fall in private spending. “This is just accounting,” declared John Cochrane. No, it isn’t — and it was the remarkable fact that prominent economists were saying things like this, as if none of the debates of the 1930s had happened, that led me to proclaim a Dark Age of macroeconomics.
第一に,セイ法則の論証がある:支出は所得に等しく成らざるをえないので,政府支出をどれほど増やそうと,それは民間支出の下落で相殺されざるをえない.「これはたんなる会計だ」とジョン・コクランは宣言している.いや,ちがうよ――名だたる経済学者たちがこんな風なことを言っていたってことは,目を見張る事実だった.まるで,1930年代の論争がどれ1つとして起こらなかったかのような発言だ.これがきっかけで,ぼくは「マクロ経済学の暗黒時代」を宣言するようになった.
Second, there’s the misuse of Ricardian Equivalence. It’s important to understand that we’re not debating about whether Ricardian equivalence is right; even if it were (it isn’t), what the anti-Keynesians were saying was wrong, as I tried to explain a number of times. It’s crucial, I’d argue, to realize that what the people invoking Ricardo were saying was wrong even in terms of their own model. If you don’t get that, you don’t appreciate the depths to which all too many economists sank.
第二に,リカード等価定理の誤用.リカードの等価定理が正しいかどうかをめぐって論争してるわけじゃないってことを理解するのが大事だ.仮に(ほんとはちがうけど)リカードの等価定理が正しいとしても,反ケインジアンたちが言ってたことは間違っていた.この点を,ぼくは何回も説明しようと試みてきた.ぼくに言わせると,リカードを持ち出している人たちが言ってたことは,当人たちじしんのモデルで見ても間違っていた.その点がわからないなら,これまであまりにも多くの経済学者たちが陥ってきた深みがわからないんだよ.
Third, there’s the standard textbook crowding out story, in which increased government spending in the face of a fixed money supply, or maybe a nominal income target, causes interest rates to rise and private investment to fall. The money supply argument doesn’t work when we’re at the zero lower bound, which is after all why we’re talking about fiscal policy in the first place; but there is a school of thought that insists that the Fed and the ECB and the BoJ could achieve full employment if only they wanted to. I disagree, and I think this is mostly wishful thinking, but at least it’s not the kind of raw nonsense involved in arguments #1 and #2.
第三に,標準的な経済学教科書のクラウディングアウト論.この筋書きでは,貨幣供給が固定した状況で政府支出の増加や,あるいは名目所得目標は,金利の上昇を引き起こし,民間投資が減少する.この貨幣供給の論証は,ゼロ下限に直面してるときには機能しない.そもそもぼくらが財政政策について語ってるのは,まさにこの状況にあるからだ.だけど,あくまでこう主張する一派がいる――「連銀や欧州中央銀行や日銀は,のぞみさえすれば完全雇用を実現できる」 ぼくはこれに同意しないし,これは大半が願望ばかりの思考[ウィッシュフルシンキング]だと思う.ともあれ,少なくともこれは論証 #1 や #2 で挙げた混じりっけ無しのナンセンスとはちがう.
Fourth, there’s the claim that we’re at full employment, or maybe always at full employment, that demand-side economics is wrong, so any government use of resources must divert them from other uses. I think this is empirically silly for the US and Europe in recent years, but again it’s not the kind of raw nonsense of the first two arguments.
第四に,こういう主張もある――「ぼくらは完全雇用にある.あるいは,つねに完全雇用にあるのかもしれない.だから,需要サイド経済学は間違ってる.だから,政府がなにかの資源を使えば,それを他の用途から転用せざるをえない」 これは近年のアメリカやヨーロッパに関しては実証的に馬鹿げてると思う.ただ,これも,最初の2つみたいな混じりっけ無しのナンセンスとはちがう.
Finally, there’s the confidence fairy: demand-side economics is valid, but business hates big government so much that any attempt to use fiscal policy will backfire. Oh, kay.
第五に,「信認の妖精さん」がいる:需要サイド経済学は妥当なのに,実業界は大きな政府をきらうので,財政政策を試みれば必ず逆効果になるという言い分がある.あ,はい….
(Krugman, "The Unwisdom of Crowding Out," November 15, 2014)


言葉をはしょっているところがあり,これだけでは説明不足なように思える.いくらかたどってみた範囲では,過去の関連エントリに次のものがみつかる:





デロングの当惑:リカード等価定理について

リカードの等価定理について,前に英語圏の経済学ブログで話題になっていた時期がある.少したどっておきたい.

ブラッド・デロングが2009年にこういう当惑をブログで述べている

Somewhere, somehow, without as far as I know leaving any paper trail, Chicago-School economists became convinced of two false things:
どこかで,いったいどうやってか,ぼくの知るかぎりまるで足跡も残さずに,シカゴ学派の経済学者たちは,2つの虚偽を信じるようになったらしい:
1. Ricardian equivalence means not just that deficit-financed tax cuts have no short-term stimulative effects but also that deficit-financed spending increases have no short-term stimulative effects on nominal spending.
1. リカードの等価定理が意味するのは次のことだ――赤字による減税はなんら短期の刺激効果をもたらさないし,そればかりか,赤字による支出は名目支出にもなんら短期の刺激効果をもたらさない.
2. There are no issues worth discussing at the zero nominal interest rate bound: monetary expansion via open market operations retains its full potency and power to affect the level of nominal spending spending even when open market operations are just the swap of one zero-yielding government liability for another.
2. 名目金利ゼロ下限において論じるに値することは1つもない:〔ゼロ下限において〕公開市場操作がたんに利回りゼロの政府債を別のものと交換するだけの場合であっても,公開市場操作による金融拡張は,名目支出水準に影響を及ぼす力を完全に維持する.
If anyone can help me understand the process by which these strange doctrines of economics became Holy Writ among the Monsters of the Midway, I would be very grateful...
こういう奇妙な経済学説がシカゴのみなさんのあいだで聖典になったプロセスを理解する助けをくれる人がいたら,すごく有り難いんだけど…

2014年11月16日日曜日

例文メモ:could have VP で反事実の意味が打ち消されているケース

出典はおなじみのクルーグマン

Well, I could have told you all of that at the time — and, in fact, I did, over and over again.
当時,ぼくにはそういうことをちゃんと伝えることもできた――で,実際に,何度も繰り返してそう伝えた.
(Paul Krugman, "International Mensch Fund," November 4, 2014.)

太字強調は引用者によるもの.

2014年11月5日水曜日

浜田宏一内閣官房参与の資料から

今後の経済財政動向等についての点検会合」第1回(2014年11月4日)て提示された浜田宏一内閣官房参与の資料 (PDF) から引用(強調は引用者によるもの):

増税は国内問題で、国際公約ではない。
消費税を上げなかったら財政再建の国際公約が反古になって日本に対する国際信頼が揺らぐという意見がある。そうだとすると、昨年秋に消費税引き上げに確定した時、日本の株式は上がるはずであった。しかし、その直後シカゴ取引所の日本の先物株式指数は、各国の株式よりも激しい下落幅を示した。このことから、以上のような意見は財務省の内外に対する情報操作、認識捕囚の手段であることがわかる

どストレートに書かれていた.

追記:『日経新聞』の「経済教室」(2014年10月13日)ですでに述べられていたことだったのね(参照).

2014年11月3日月曜日

クルーグマン「実業 vs 経済学」(2014年11月2日)

この月曜のコラムは,日銀の新たな緩和に言及して,これを歓迎する一方,この対策が 5対4 の僅差で承認されたことを指摘し,反対した審議員が実業界寄りの人たちであることに注目している.

メモ:クルーグマン「インフレ・デフレ・日本」(2010年5月25日)


流動性の罠においてマネタリーベースを拡大させてもインフレの昂進を引き起こすことはない,と述べている例をメモしておく.全文訳ではないのでご注意を.
そう長くない文章だけど,論点は次のとおり:
  • 流動性の罠においてマネタリーベースを増やしても,インフレが進むわけではない.
  • たとえば,日銀によるかつての「量的緩和」はマネタリーベースを増やしたけれど,デフレの脱却にはいたらなかった.
  • マネタリーベース拡大では不十分で,長期資産の大量購入か,あるいは中央銀行がもっと高いインフレ目標にコミットメントをとる必要がある.
  • 一方,財政政策にはそうしたコミットメントの必要がなく,その点も目下の状況で財政政策を打つべき根拠になる.

2014年11月2日日曜日

クルーグマンは何を「失敗」と言ってるのか

[2014年11月5日更新:セクション1を書き改めた(当該箇所の修正前バージョン)]


ポール・クルーグマンが,『ニューヨークタイムズ』(10月30日付け)のコラム "Apologizing to Japan" で,「日本にごめんなさいしなくちゃいけない」と書いている.

クルーグマンやバーナンキ元連銀議長は,デフレに陥った日本のマクロ経済政策が間違っていると批判していた.もしもアメリカやヨーロッパで同様の経済問題が起きたならずっとうまく対処できる用意があると思っていたのに,いざフタをあけてみたら,日本以上に対応がお粗末だった.だから「ごめんなさい」というわけだ.

2014年10月28日火曜日

2014年10月14日火曜日

古市憲寿氏による吉野作造の「雑訳」はたんに雑であって訳ではない

ツイッターでご教示いただいたのでとりいそぎメモる.

社会学者の古市憲寿氏が,吉野作造の文章を次のように「雑訳」している
(雑訳)もし日本の荒廃の原因が、あまりにも西洋化して、美しい伝統が失われたっていうのならば、西洋はとっくに滅んでないとおかしいじゃん。(by 吉野作造「蘇峰先生の『大正の青年と帝国の前途』を読む」1917年)  
しかし,これは原文の趣旨をまげているおかしな訳だ.吉野の文章と照らし合わせてみよう.

2014年10月8日水曜日

IMFの世界経済見通し:「次の消費増税」に言及した箇所

新たに公表されたIMFの世界経済見通しについて解説したロイターの記事に,次のような箇所がある:

「一方、2015年10月に予定される10%への消費税率引き上げについては、予定通り実施するべきとの見解を示した。」
(「IMF、日本の14年経済成長率見通しを0.9%に大幅引き下げ」;ロイター,2014年10月7日)

ためしに,実際のレポート (pdf) を見てみよう (pp. 20-21):

2014年9月11日木曜日

デリダを参照してる人たちが言う,言語の「引用と反復」ってなんのことなんだろ?


ずいぶん前に,ツイッター上で「『ぱふぉーまてぃびてぃ』ってどういう意味で使ってるの?」という議論があったとき(e.g. コレとかコレ),意味がわからんと思った発言:

2014年9月6日土曜日

"technically": 「厳密に言えば~だ(けどそれより大事なことがある)」を1語で表す

副詞 technically を「いちおう」くらいの意味で使ってる用例:
Technically Evernote is free.
But for 5 follars a month or forty five dollars a year you get better offline access, better search, and more security. 
"The best note-taking apps for iPhone and Android," The Verge, September 4, 2014. [1:00-1:06]


ラジオ書き起こし:TBSラジオ「Session-22:内閣改造を徹底分析!」:その2

その1」に続いて,ポッドキャストから主に飯田せんせの発言を書き起こしてみる.

2014年9月5日金曜日

ラジオ書き起こし:TBSラジオ「Session-22:内閣改造を徹底分析!」:その1

ふだんポッドキャストでよく聞いてるラジオ番組に,TBSラジオの「Session-22」がある.先日は,安倍政権の改造内閣を取り上げていて,経済学者の飯田泰之せんせがスタジオゲストに登場していた.


以下,主に飯田せんせの発言を書き起こす.めんどいので,2回か3回にわけて掲載.(無駄に書き起こしてるけど,なにか特別に意義がある発言だと思ってるわけじゃないので,ご注意.)

批評界隈に見られる「コンスタティブ」「パフォーマティブ」の詮索:東浩紀 (1998)

もとは哲学者オースティンが講義録 How To Do Things With Words で一時的に考案していた「パフォーマティブ」(行為遂行的発語)と「コンスタティブ」(事実確認的発語)という用語を,批評家・作家の東浩紀氏が独特な使い方で使っている.ここでは,その用法を追いかける資料として,同氏の著作から抜粋しておく.

2014年9月4日木曜日

東先生とのある日のやりとり:「パフォーマティブ」と「コンスタティブ」についての詮索

なぜか,批評をやっている人たちの間では,言語行為論の初期にオースティンが講義 (How To Do Things With Words) で考案し,その同じ講義で放棄した「事実確認的発語(コンスタティブ)」と「行為遂行的発語(パフォーマティブ)」の区別が,いまも使い続けられている.(ここでは,この用語の定義には踏み込まない.)

3年前に,評論家・作家の東浩紀氏が次のようにツイートしたとき,少し質問をしてみたことがある.とくに目立つ発言を引き出しているわけではないけれど,記録のためにこちらにまとめておく.派手な喧嘩や批判を楽しみにしている人の期待にはまったく応えられないのであしからず.

篠原健一『アメリカ自動車産業』(中公新書,2014年)

一月前に,ツイッターでつぶやいていた読書メモをこちらに写しておく.

2014年9月3日水曜日

カジュアルな場所でも出典を示すべき

とくにツイッターのような場所では,引用にあたって出典を示す人は,意外と少ない.わざわざ出典を明示するのが大げさに感じられるのかもしれない.

だけど,できるかぎり明示した方がいい.主な理由は次の2つだ:
  • 他人がその発言をたどりやすくするために
  • 歪曲を防ぐために
1つ目の理由について.その文章やデータがなにのどこに載っているかをじぶんが知ってるかどうかじゃなくて,そんなものを知らない他人が手間取らずにアクセスできるかどうかが大事だ.

2014年9月2日火曜日

クルーグマン@『週刊現代』

おじさん週刊誌の『週刊現代』に,クルーグマンのインタビュー記事が掲載された(2014年9月13日号, pp.42-45).インタビュアーは大野和基氏.『そして日本経済が世界の希望になる』でもインタビューと翻訳をやっていた人だ.有料だけど,ウェブ版もある.(追記:その後,「現代ビジネス」にも無料で読めるバージョンが掲載されている.)



インタビュー内容を4つの論点にわけてツイッターでつぶやいたことを,こっちにも載せておく.

2014年8月31日日曜日

ワイヤレスだしノイズキャンセリングだし中古で6,990円だし:MDR-ZX750BN

2015年2月27日追記:後継機種の ZX770BN が発表された(記事).ノイズキャンセリングと Bluetooth 接続の機能は共通で,デザインが変更されているのが確認できる.]

中古で手に入れたソニーのヘッドホン MDR-ZX750BN [Amazon] がえらく優秀だった.そこそこしっかりした音を鳴らすヘッドホンに,Bluetooth ワイヤレスとノイズキャンセリング機能がつまっていて,その割に手頃な実売価格になってる.

2014年8月29日金曜日

"to the extent" の翻訳処理

イディオム的な構文 to the extent that S は,基本的には条件節のように訳せばいいと思ってる.「~であるかぎりにおいて」みたいな訳し方はできるだけ避けたい.

以下,自分がこれまでに訳した文章から to the extent がでてきている箇所をいくらか抜粋してみる.どれくらい他人の参考になるのかわかんないけど.

2014年8月26日火曜日

文献メモ:西山 (2004)「語用論と認知科学」

語用論の位置づけについて簡略に解説していて,ぼくがよくおすすめしてる文献:
西山佑司 2004.「語用論と認知科学」『認知科学への招待』.東京:研究社.

「メディアはメッセージ」なんて言わなくていいのに――松田『うわさとはなにか』(中公新書)

松田美佐『うわさとは何か』(中公新書,2014年),全体として面白い本なのだけど,マクルーハンを引用して「メディアはメッセージ」と述べている箇所がおかしい (pp.152-3).著者じしんはちゃんと自分が扱っている事例をわかってるはずなのに,マクルーハンに引き寄せようとして,無理がでてる.

2014年8月25日月曜日

文献メモ:ホーン & アボット (2012)「〈the, a〉: (不)定性と推意」


  • L. Horn & B. Abbott, "〈the, a〉: (In)definiteness and implicature." In William P. Kabasenche, Michael O'Rourke, and Matthew H. Slater (eds.) Reference and Referring. pp. 325-355. MIT Press, 2012.
  • 拙訳 [PDF


メモ:クルーグマンの発言として出典不明のデタラメを広める岩上安身氏


「ジャーナリスト」を称する岩上安身(いわかみ・やすみ)氏を主な発信源として,ポール・クルーグマンが次のように言ったという話が,ごく一部で広められている:
2008年のリーマンショック以後、ノーベル経済学賞のポール・クルーグマンが言った言葉が忘れられない。
「この大不況を乗り切るためには惑星一個分の新たな輸出市場か、第三次世界大戦が必要だ」。
(参照:IWJ Independent Web Journal) 

2014年8月23日土曜日

文献メモ:チョムスキー「明示対象と明示行為に関する小論」


Noam Chomsky, "Notes on denotation and denoting." In Caponigro and Cecchetto (eds.) From Grammar to Meaning: The Spontaneous Logicality of Language. Cambridge University Press, 2013.

頼まれもしないのに訳した

2014年8月19日火曜日

メモ:クルーグマン「なんで戦争なんかやっちゃうのか」(2014年8月17日)

今日の『ニューヨークタイムズ』コラムで,クルーグマンがウクライナ情勢を中心に戦争の要因について述べている:

とくに現代で戦争はまったく割に合わないのだが,それでも戦争は起こっている.なぜだろう? クルーグマンが挙げるのは,国民全般の利益には完全に反していたとしても,戦争によってときの政権は大きな支持獲得ができる,というインセンティブだ.とくに経済不振のもとで,そこから国民の注意をそらすはたらきがあり,これは政権にとって大きな誘惑になりうるとクルーグマンは論じる.また,コラム末尾では,中国について懸念を述べている.

以下,かるく文章をなぞっておく:

2014年8月18日月曜日

文献メモ:スペルベル (2010) 「グル効果」("The Guru Effect")

Dan Sperber (2010) "The Guru Effect," Review of Philosophy and Psychology 1 (4):583-592. [PDF]


アブストラクト
表現が曖昧模糊として不明瞭なのは欠点だと考えられている.だが,知的グルたちの口話や文章では,そうでもない.往々にして,読者たちは自分が理解しかねた事柄は深遠なのだと判断する.この「グル効果」を説明するために本稿が目を向けるのは,信用と解釈の心理,権威と論述の役割,そして集団のレベルで機能するときにこうした傾向・プロセスがもたらす効果である.集団のレベルでは,過剰解釈という暴走現象が生じることがあることを本稿は論証する.

  • 1 信じることと信用すること
  • 2 信用と解釈
  • 3 権威と論述
  • 4 権威への信用が暴走するとき
  • References


追記:関心があるという奇特な人がいたので訳した:PDF

2014年8月11日月曜日

マイクロソフトさまがまたやってる:Surface Pro 3 vs. Mac


なぜか Blogger で動画を埋め込もうとしてうまくいかないので,直接リンクだけ:

▼ 書き起こしと対訳

A: Wait. Are you running full Adobe Photoshop on a tablet?
えっ,タブレットでフォトショップ動かしてんの?
B: Yup, but it's not just a tablet, it's really a laptop. It's a Surface Pro 3 with a touch screen.
うん.でもただのタブレットじゃないよ.実はラップトップだし.タッチスクリーン付きの Surface Pro 3 だし.
A: Well, it can't be as fast as my Mac.
まあ,ぼくのマックほど速いわけないっしょ.
B: Sure it can, and it is.
それが同等なんだなこれが.
A: But you probably can't plug anything into it.
でもなんでもつなげるわけじゃないでしょ.
B: I have a USB, Mini Display Port -- by the way, and this is my favorite: it's the kickstand.
USBポート1つと Mini Display Port もあるよ――ちなみにぼくのお気に入りはこのキックスタンドでね.
A: So you're saying it does more than my Mac.
じゃあなに,ぼくのマックよりできること多いって言うの?
B: Well, technically, YOU said it.
まあ,厳密にはキミがそう言ったんだけどね.
(※YouTube の動画には自動で機械的な書き起こし字幕がついてくれて,ないよりはマシな程度に役に立つものの,いまのところ誤認識が目立つ.上記のはぼくの人力.)

2014年6月25日水曜日

はてしなくどうでもいい訳文:Cumings (1984)


搾取を語るなら論文を読め」(はてな匿名ダイアリー,2010年1月19日)とそれに応酬した「Re: 搾取を語るなら論文を読め」(はてな匿名ダイアリー,2010年1月23日)で,Cumings という人の文章を取り上げて議論をしている.訳文に少し問題があるように思ったので,ぼくならこう訳すんだけどな,というモノを挙げる――といっても,議論は4年以上前のことで,いまさらどうともならんだろうけど:

2014年6月22日日曜日

どうでもいい話:不要本を片付けた

ぼくもクソオタの端くれなので,これまで漫画・ラノベはそこそこ買ってきた.月日とともに増えていく物量は,たった2つしかない本棚に収まるわけもなく,ダンボールにつめては押し入れに押し込んだり,机の下に積み重ねたり,トイレや玄関の壁面にちょっとしたタワーを立てたりしてきた.なにもしなければ,生活スペースは圧迫されていく一方だ.

それでもここ何年かはマシになった方だった.裁断しては ScanSnap [Amazon] でスキャンして PDF にしてハードディスクに「お引っ越し」させてきたからだ.それでも急激に減るわけもなく,大多数はほぼ二度と読み返されることもないまま死蔵させてきた.

――が,とあるきっかけで,大幅に減らすことにした.

ピンカー講演 "Sense of Style" (MIT, 2012)

いつも動画を探せなくなってしまうので,自分用にメモ:


ダウンロードはさせてくれないご様子.

この講演は shorebird さんがブログでとりあげておられる:



2014年6月21日土曜日

「ナイキはウェアラブルのタオルを投げ込もうとしてる」――イディオムが修飾される例

ずいぶん前のことだけど,日頃,ヒマなときによく見てる The Verge の動画で,こんな表現がでてきた:
"It looks like Nike is throwing in the wearable towel.
Hit the shower of fuel, then. "
直訳すると,こんな日本語になってしまう:
ナイキは着用可能なタオルを投げているように見える.
なら,燃料のシャワーを浴びなさい.
ちなみにグーグル翻訳せんせいはこんな訳を返す:
ナイキはウェアラブルタオルで投げているように見えます。
その後、燃料のシャワーをヒット。


――でも,もちろん,言わんとしてるのはそういうことじゃあない(というか,これだとなんのことだか意味不明だ).

この2文を理解するには,次の2点をおさえなくちゃいけない.

2014年6月17日火曜日

ピンカー on 知識の呪い

Edge に掲載されたスティーブン・ピンカーのインタビューから,「知識の呪い」について話してる箇所だけ,抜粋して訳しました.

ここに訳したものは授業のおまけとして用意したもので,この箇所でとくにすごいことを言ってるわけではありません.

インタビュー全体は,この9月に発売予定になっている文章術の新著 The Sense of Style に書かれている内容のつまみ食いみたいな感じなんでしょうね.

2014年6月15日日曜日

朝日新聞訳のクルーグマン・コラムに赤ペンを入れると


めったに読まないんだけど,朝日新聞に掲載されていたクルーグマンの『ニューヨーク・タイムズ』コラムを読んだ.どうもいまいちヘタクソな訳だ.

でも,ただ「ヘタクソだ」って言ってるだけだと,たんにぼくの好みの問題なのかどうか区別がつかない.そこで,3点だけ,改善すべきところを指摘してみよう.

2014年6月10日火曜日

メモ:理由節に疑問文がでてくる例文


It is possible that emotions like these - and perhaps other emotions that we can't begin to dream of - could exist on other planets, but only if those planets also contain brains - or something equivalent to brains; for who knows what weird thinking organs or feeling machines may lurk elsewhere in the universe?
〔喜びや嫉妬のような〕こういう感情が――さらには,もしかするとぼくらには夢想もできない他の感情すら――他の惑星に存在していてもおかしくはないけど,それも,その惑星に脳がある場合にかぎられる――あるいは,脳に相当するものがある場合に限られる.だって,この宇宙のどこかに,どんなへんてこな思考器官や情動機械がいるかもしれないなんて,誰が知ってる?
(Richard Dawkins, The Magic of Reality, Bantam Press, 2011, p.19)

こういう例については,レイコフがどこかで書いていたハズだけど,いま見あたらないのでまた後日.