2014年9月4日木曜日

東先生とのある日のやりとり:「パフォーマティブ」と「コンスタティブ」についての詮索

なぜか,批評をやっている人たちの間では,言語行為論の初期にオースティンが講義 (How To Do Things With Words) で考案し,その同じ講義で放棄した「事実確認的発語(コンスタティブ)」と「行為遂行的発語(パフォーマティブ)」の区別が,いまも使い続けられている.(ここでは,この用語の定義には踏み込まない.)

3年前に,評論家・作家の東浩紀氏が次のようにツイートしたとき,少し質問をしてみたことがある.とくに目立つ発言を引き出しているわけではないけれど,記録のためにこちらにまとめておく.派手な喧嘩や批判を楽しみにしている人の期待にはまったく応えられないのであしからず.




しかし、理系連中は文系をバカと決めつけているようだが、そういう人々は言語行為論とかコミュニケーション論とか勉強したことあるのか? 自然言語にはコンスタティブな真理値とは別にパフォーマティブな効果があるとか、知ってるのか? こういうときは少し勉強したほうがいいぞw


@hazuma 東先生,言語行為論はどんな言語学のテキストでもとりあげますし(e.g. エイチソンの Linguistics, ch9),計算的アプローチでの形式化もなされております(東京大学出版局からでている『談話と対話』で手頃な解説が読めます).宜しければお暇な時にでも. 


@hazuma また――釈迦に説法で面はゆいのですが――オースティンは遂行的/事実確認的という区別を例の講義で放棄しております.それ以降の言語行為論でも同様です. 


ありゃそうですか。それは失礼。RT @optical_frog: @hazuma 東先生,言語行為論はどんな言語学のテキストでもとりあげますし(e.g. エイチソンの Linguistics, ch9),計算的アプローチでの形式化もなされております(東京大学出版局か 


それは知っております。しかしぼくは(デリダに倣い)その区別のほうが本質的だと考えます。RT @optical_frog: @hazuma また――釈迦に説法で面はゆいのですが――オースティンは遂行的/事実確認的という区別を例の講義で放棄しております.それ以降の言語行為論でも同様で 



ただそちらで、オースティン→サール→デリダによるサール批判やハーバーマスのコミュニケーション論との接続、あるいはルーマンのシステム論やベイトソンとの関係などの流れはあるのかしら……。ダブルバインドとか脱構築とかそういう問題なんだけど。 



まあつまり、学問って(とりわけ分離境界領域では)たえず分岐し細分化しているので、こっちで正典だと思われているのがむこうではぜんぜん相手にされていなかったり、語彙もぜんぜん違ったりするって話なんです。でも参考になりましたー。情報ありがとう。@optical_frog 


おっしゃるとおりです.いわゆる大陸哲学の系統とこちらの言語学畑で文献の重みづけが大きく異なりますね.リプライ感謝します.QT @hazuma: 〔前略〕 こっちで正典だと思われているのがむこうではぜんぜん相手にされていなかったり、語彙もぜんぜん違ったりするって話なんです。〔後略〕 



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