2015年4月4日土曜日

「ノートをとるならラップトップより手書きがおすすめ」という心理学研究

伊達と酔狂のサイト「経済学101」にタバロックの短文を訳した:
タバロックが参照している Vox の記事はコレ:
で,この Vox 記事が参照してる研究はこちら:

アブストラクト:
Taking notes on laptops rather than in longhand is increasingly common. Many researchers have suggested that laptop note taking is less effective than longhand note taking for learning. Prior studies have primarily focused on students’ capacity for multitasking and distraction when using laptops. The present research suggests that even when laptops are used solely to take notes, they may still be impairing learning because their use results in shallower processing. In three studies, we found that students who took notes on laptops performed worse on conceptual questions than students who took notes longhand. We show that whereas taking more notes can be beneficial, laptop note takers’ tendency to transcribe lectures verbatim rather than processing information and reframing it in their own words is detrimental to learning.
手書きではなくラップトップPCでノートをとることは,ますます広まっている.多くの研究者たちは,学習に関してラップトップPCでのノートとりは手書きよりも効果で劣ると提案してきた.先行研究では,ラップトップPC利用時に学生たちがマルチタスクを行う能力と注意散逸に主として焦点を置いてきた.本研究では,ノートをとるためだけにラップトップPCを使用した場合であっても,〔内容を租借する〕処理が浅くなるために,学生たちの学習が損なわれるかもしれないと提案する.3つの研究を行ったところ,手書きでノートをとった学生に比べてラップトップPCでノートをとった学生は概念的な質問に関して成績が劣った.より多くノートをとるのが有益なこともある一方で,ラップトップPCでノートをとると,情報を処理して自分の言葉でとらえ直すのではなく講義を言葉どおりに転記する傾向があり,これが学習の弊害となることを本稿では示す.

考えるためには勇気を支払わねばならない

"Man könnte Gedanken Preise anhefen. Manche kosten viel, manche wenig. Und womit zahlt für Gedanken? Ich glaube: mit Mut."
英訳:"You could attach prices to thoughts. Some cost a lot, some a little. And how does one pay for thoughts? The answer, I think, is: with courage."
(Wittgenstein, Culture and Value, p.52)


2015年3月31日火曜日

メディアでの誤報に注意:マルチタスクの機会があるだけでも知的効率は落ちる(かもしれない)という実験

要点

  • 一般にマルチタスクが作業効率を下げるのは事実だろう.
  • でも,ヒューレット・パッカードの「インフォマニア研究」とされてるものには要注意かな.

メモ本文

ダニエル・レヴィティンの一般書 The Organized Mind で,気になってた箇所をこっちにメモする:
Just having the opportunity to multitask is detriment to cognitive performance. Glenn Wilson of Gresham College, London, calls it infomania. His research found that being in a situation where you are trying to concentrate on a task, and an e-mail is sitting unread in your inbox, can reduce your effective IQ by 10 points.
マルチタスクの 機会 があるだけでも,認知パフォーマンスには有害だ.グレシャム大学のグレン・ウィルソンはこれを「インフォマニア」と呼んでいる.彼の研究では,あるタスクに集中して取り組もうとしている状況で,インボックスでメールが未読のままになっていると実効的な IQ が10ポイント低下しうることがわかっている.
(Levitin, The Organized Mind, p.95)

なるほどなるほど.日常生活での実感にも合ってるし,おもしろい.

ただ,ここで引用されている研究には注意が必要っぽい.レヴィティンが参照してるものは次のとおり (p.413):

2015年3月30日月曜日

心理学教科書でアッシュの「社会的圧力」実験が正しく紹介されていないらしい

イギリス心理学会 (British Psychological Society; BPS) のブログの記事:
棒が並んだ画像を見せられ,どれが一番長いかをたずねられたとき,同じ被験者だと信じているサクラたちの答えに合わせて,被験者が明らかに間違った答えを言うというソロモン・アッシュの実験は有名だけれど,心理学教科書での紹介が誤解を誘うかたちになっているという.

同ブログが紹介しているのはフロリダ大学名誉教授のリチャード・グリッグズによる調査.
  • Griggs, R. (2015). The Disappearance of Independence in Textbook Coverage of Asch's Social Pressure Experiments Teaching of Psychology, 42 (2), 137-142 DOI: 10.1177/0098628315569939 

もとの実験では,被験者の応答のうち,63.2% は多数派に合わせず見たままを答えたのに対して,36.8% が多数派(サクラ)の間違った答えに合わせた.一貫して多数派に逆らった人は 25%,一貫して多数派に順応した人は 5% で,少なくとも1回は多数派に逆らった正解を答えた人が 95% にのぼる.つまり,社会的圧力に順応したのはけっして多くない.

グリッグズによる上記論文のアブストラクト:
Asch’s classic social pressure experiments are discussed in almost all introductory and social psychology textbooks. However, the results of these experiments have been shown to be misrepresented in textbooks. An analysis of textbooks from 1953 to 1984 revealed that although most of the responses on critical trials were independent correct ones, textbooks have increasingly over time emphasized the minority conformity responding and deemphasized the majority independent responding. An analysis of 20 introductory psychology textbooks and 10 introductory social psychology textbooks revealed that this distorted coverage has not only persisted but increased over the past 30 years. Given the entrenchment of such coverage in current texts, a suggestion for how to address this distorted coverage without major text revision is provided.
アッシュによる古典的社会的圧力実験は社会心理学の入門教科書のほぼすべてで取り扱われている.だが,実験結果が教科書で誤ったかたちで紹介されていることが明らかになっている.1953年から1984年までの教科書を分析したところ,決定的な試行でなされた反応の大半は独立した正解だったにも関わらず,時が下るにつれて,教科書では少数派の同調が強調されるとともに多数派の独立した反応が軽視されるようになっている.入門的な心理学教科書20冊と入門的な社会心理学教科書10冊を分析したところ,このように歪曲した紹介はたんに継続しているだけでなく,過去30年間で増加していることが明らかになった.こうした紹介が現行のテキストで定着していることを踏まえ,本文を大幅に書き直さずにこの歪曲に対応する方法を本稿では提案する.

2015年3月22日日曜日

Tog のキーボード vs. マウスの話

ちょっと気になったことをメモっておく.

ポイント

  • 「キーボードショートカットの方がマウス操作よりも速いように感じられるけれど,実はその逆である」という話がある.ソースはブルース・トグナッツィーニが1989年に公表したQ&A形式の文章だ.
  • ただ,トグナッツィーニが具体的に被験者にどんなタスクをやらせたのか,彼の文章からはよくわからない.(おそらくは,たとえばテキストエディタにある「ファイル」「編集」などのようなメニューから機能をマウスで選択したり,それに割り当てられたショートカットキー操作をする,といったタスクだったのだろう.)

2015年3月20日金曜日

誤解を誘う記事の作り方を学ぶ:NewSphereさまの事例

やや長文になったので,最初に要点を:
  • ここで取り上げるのは,経済政策の話じゃなくって,ニュース記事の書き方の話.
  • NewSphere は,クルーグマンのブログ記事を参照したと言いつつ,実際にはそこで論じられていない現日銀の政策批判が論じられているかのように誤解させる記事を書いている.
  • この書き方は単純な英文誤読ではありえない.
  • また,参照記事の明示が不適切だ.
  • もっとフェアで誠実な書き方をしてください.
  • 追記:その後,NewSphere の当該記事は取り下げられた.ぼくは,この対応は立派だと思う.

2015年3月19日木曜日

抜粋:ケント・バック「再帰的パラドクス?」

ケント・バックの論文「言うこと,意味すること,推意すること」から再帰的パラドクスについて述べた箇所をメモ:
さて,伝達に特有の意図された効果がどういうものか突き止めたところで,この意図そのものをグライスが当初どう特徴付けていたか,という話にもどれる.「この意図の認識によって聞き手にある効果をうみだす」という意図であると記述したあと,グライスはこう註記している.「ここには再帰的パラドクスがあるように見えるが,実はそんなことはない」(1957/1989: 219).なぜそう見えるかと言えば,意図が自己言及的だからだ.さらに,聞き手の推論にはなにかッ循環しているものがありそうに思える.なんといっても,聞き手は相手がそう意図しているという想定に部分的にもとづいて,話し手の意図を同定することになるのだ.だが,これにはほんとうに背理的なものがあるんだろうか? 
再帰的意図は,ある意図が別の意図を参照し,その意図もまた別の意図を参照するという数珠つながりの意図とはちがう.この点を理解しなかったために,多大な混乱が生じることになった.グライス当人ですら,混乱した.それどころか,さきほど引用したパラグラフの前半で,グライスはべつの定式化をしている.その定式化では,話し手は「自分の初wがそう意図されているものとして認識されるようにも意図していなければならない」とある(1957/1989: 219).Grice (1969) では,従前の定式化を改良しようと試みて,はっきり言明して再帰的意図を放棄し,かわって反復的な意図を支持している.グライスを批判した Strawson (1964b) もしかり,そして擁護した Schiffer (1972) もしかりだ.彼らによりいっそう複雑な定式化は,それぞれ先行する定式化に対する反例にうながされてなされたものだが,まず,あることを伝えようとする意図からはじめて,その最初の意図が認識されるようにする意図がきて,さらにその意図が認識されるようにする意図がくるとつづいて,無限につづきうるようになっている.グライスがやがてこうした着想全体を捨てて,かわりに必要とされるのは「コソコソした意図」("sneaky intention") の不在だ,と述べるに至ったのもムリはない (1989: 302).自己言及的な意図〔という着想〕を固持すれば,この複雑さも無限後退の恐れも避けられる.上記のように意図される効果が適切に特徴付けられると仮定すれば,グライスの当初の着想にはなにもまちがいなどなかったからだ.この着想は,グライスが懸念した再帰的パラドクスには至らない.
グライスのもともとの定式化に再帰的パラドクスがあるかのような外見は,「この意図の認識によって」(by means of the recognition of this intention) というキーフレーズから生じる.このフレーズを見ると,話し手を理解するためには,聞き手はなんらかの種類の循環的な推論を行わなくてはいけないかのように思えるかもしれない.まるで,聞き手がすでに話し手の伝達意図がどんなものか知っていなくては,その意図が認識できないかのように聞こえる.聞き手は,話し手があることを伝えようと意図しているという前提から話し手がまさにそのことを意味していると推論するわけではない.そうではなくて,どんな話し手もそうであるように,自分が相手している話し手も,なにかを伝達しようと意図しているという推定 (presumption) をもとに,聞き手は推論している.聞き手は,特定の意図の内容ではなくて,この一般的な事実を考慮に入れて,その意図がどういうものかを突き止めようとするのだ.

(Kent Bach, "Saying, meaning, and implicating," The Cambridge Handbook of Pragmatics, 2012. pp.54-55.)