2013年10月1日火曜日

経済学101でクルーグマンの配信がはじまりました.

初日の第1弾は次の2本:


経済学101で権利取得して配信しているのは,クルーグマンのブログ The Conscience of a Liberal の投稿をもとにニューヨークタイムズが独自に編集した Krugman & Co というパッケージです.シューン・トレイナー記者の背景解説と読者のコメント選がついてきます.

ぼくはただ訳すだけのボランティア参加ですが,運営してる瀧波さんによると,このパッケージの取得にはけっこうお金をとられているようです.よければ,少額寄付のご支援をお願いします:「寄付のお願い

2013年9月24日火曜日

(not SCP)

画像フォルダを整理していたら,去年ふたばで「」たちが話題にしていたものがでてきた.




グーグルマップ

2013年9月16日月曜日

今日のクルーグマン:「雇用にチャンスを」(2013年9月15日付)

原文:"Give jobs a chance," New York Times, September 15, 2013.


今週,アメリカ連邦準備制度理事会の公開市場委員会が金融緩和の手じまい (tapering) を公表するだろうと予想されるなかで,今日のコラムでは「やめろ」「手じまいすんな」と主張.早期に手じまいをしてしまった場合のリスクと,手じまいが遅れた場合のリスクを比較すると,前者の方が圧倒的に大きい,というのがその根拠だ.

早期に手じまいをしてしまった場合,まだまだ完全雇用にほど遠く,むしろ緩和を継続すべきなのに引き締めに転じてしまうと,景気の低迷を続けて失業者を増やしてしまう.このコストはとても大きい.

他方,手じまいが遅れた場合には,完全雇用が達成されてもしばらく金融緩和がなされて,インフレを加速してしまう――けど,そもそもいまは連銀のインフレ目標 2% すら下回っているし,クルーグマンや他の経済学者(たとえばIMFの主席エコノミスト)は 4% 目標の方がのぞましいとすら考えている.したがって,余計にインフレを加速してしまったとしても,そのコストは問題にならない.

この2つを比べれば,かりに判断ミスだったとしても引き締めに転じるのが遅れる方が,その逆よりもずっとマシであり,したがって「経済成長によせて間違う方が賢明というものだ」(to err on the side of growth is wise) とクルーグマンは述べる.

2013年9月14日土曜日

クルーグマン『そして日本経済が世界の希望になる』(PHP新書,2013年)

出たので読んだ:クルーグマン『そして日本経済が世界の希望になる』(PHP新書,2013年).「アベノミクスの金融政策・財政政策は正しい,いいぞもっとやれ」という話を中心に,日本の各種制度についての提言や,今後の世界経済の展望なども語った一冊.日本オリジナル版.

[1] 本のなりたち:訳者でもある大野氏によるロングインタビューとメールでの質疑応答をもとに,語りおろしによる全5章の論述に構成されている.

[2] 骨子はきわめて明快だ――安倍政権が掲げる経済政策のうち,(1) そもそもクルーグマン自身が推奨していたインフレ目標政策は有効だしできればインフレ率4%くらいが望ましい;(2) 財政政策は「その積極的な拡大を行う必要がある」(p.39);しかし (3) 構造改革は重要でない:「為政者は誰もが構造改革を約束するが,そうした態度自体を私は疑っている」(p.48).(それぞれの論拠と,よくある異論に対する批判は,自分で確認してね.)

[4] ついでながら,(2) の財政政策については,研究の進展を経て,かつてと意見を変えたことをはっきりと述べている.

[5] また,直近の争点である消費税増税には明快に反対している:「日本に対してIMFやOECDはしきりに消費増税の実施を要求しているが,いったい何を考えているのか,私には理解できない」(p.129).97年の橋本増税は失敗したじゃないか.また,歴史をみれば,債務比率が高かった国,たとえばイギリスは,かつて債務がGDP比200%を越えていたのが70年代には50%にまで下がった.痛みに耐えて財政再建にはげんだのではなく,「穏やかなインフレと経済成長を両立させながら,少しずつ均衡策を実施していった」「ここに,日本が参考にすべき手法がある」(p.127).

[6] 訳文について:大野氏による翻訳は,じゅうぶんに自然に読み進められる文章にしあがっている.おなじみの山形浩生式のカジュアル文体とはちがうので,ぼくのように少し惜しむ読者もいるだろうし,逆に,かえって読みやすいと感じる人もいるだろう.

Apple Pro Speakers をふつーのアンプにつないで鳴らす

要旨】:Apple Pro Speakers のケーブルの中身はふつーのスピーカーのケーブルと同じなので,かんたんな加工でアンプに接続したらちゃんと鳴ってくれたよ.でも,マネするかどうかは自己責任でね.


1. 前置き


先日,とある先生からほぼ未使用状態の Apple Pro Speakers をゆずってもらいました.なかなかきれいなデザインのスピーカーで魅力的ではあるものの,困ったことにアップル独自仕様のプラグで,ふつーの機器にはつなげられないかのように見えます.でも,せっかくの美麗品だし,どうにか鳴らしてみようと調べてみました.結論としては,実にかんたんに鳴らすことが出来ます.



[開封:びっくりするほどの美麗品でございました]

2013年9月1日日曜日

今日のクルーグマン:「救われざる世界」(2013年8月29日)

昨日のクルーグマンのコラムは,「インドネシアとインドの通貨安は次のアジア危機につながるのか」という懸念について,そこはおそらく心配ないけど,金融危機からちっとも学んでないのはいいかげんどうにかせーよ,とのお話:

Paul Krugman, "The Unsaved World," New York Times, August 29, 2013

以下,コラムの概要をみておきましょう.

まず,90年代のアジア危機についておさらいしてる:当初,通貨安はドル立ての債務が資産に対して膨らみ,経済の深刻な収縮につながったけど,その後,まさにその通貨安が輸出主導の景気回復をもたらした.いちばん打撃を受けたインドネシアも,6年後の2003年には危機以前のピークを越えている.

ただ,このアジア危機は金融規制緩和の不安定性について実物教育になってしかるべきだったのに,そうはならなかった.グリーンスパンやらサマーズやらは経済を救った面々として称えられた.そして,それから10年後,2008年危機がおきる.

インドネシアは98年に13%の収縮という悲惨な状態になったあと,2000年には堅調な回復がはじまって2003年には危機以前のピークを超した.他方,ギリシャは2007年に20%の収縮,しかもまだ落下は続いてる.この10年で危機以前の水準に戻ることはなさそう.

要因の1つは,90年代のインドネシアには自国通貨があって21世紀のギリシャにはないということ.でも,それだけでなく,政策担当者がかつての方が柔軟に対応していた,とクルーグマン.アジア危機でIMFは当初緊縮を求めたけどまもなく方針転換した.でも,いまだに,ギリシャへの緊縮要求はきびしい.緊縮策の失敗が重ねられればそれだけ,なおさらに血を流すことが要求されている.

で,欧州の次はアジアで危機が起こるだろうか? おそらく,それはない.インドネシアはかつてよりも外国債務の割合が減っているし,自国通貨がある.インドはさらに外国債務が少ない.だから,90年代危機の再現は,見込み薄だ.

でも,それはそれとして,かりにいま危機が回避されたとして,2008年危機の下ごしらえをした連中が90年代の危機では「世界経済を救った」なんて称えられていたのを忘れちゃダメよ.おしまい.

――という内容でした.

このコラムに先だって,クルーグマンはブログでアジア危機と欧州危機を対比しています ("The Asian Crisis Versus The Euro Crisis").メモとして,グラフだけ引用しておきましょう.

まず,インドネシア・マレーシア・タイの1人あたり実質GDPの推移を,1997年を100として示しているグラフ:



次に,アジア危機におけるインドネシアと,欧州危機におけるギリシャ,それぞれの危機以前のピークを100とした実質GDPの推移(ギリシャは2007年を起点としてあり,6年目以後はIMFの予想によるもの):


さきほどのコラムで述べられていたように,インドネシアは危機のあと大きく落ち込んだ後に,堅調な回復を見せています.他方,ギリシャは2007年から現在まで,ずっと落ち込みが続いています.

2013年8月24日土曜日

備忘録:ファインマン引用

抽象的な話を聞いたり読んだりするときには,具体例を考えて,そいつと照らし合わせるといいぞ!

ほんとうのところ,僕の推測はまったくのでたらめではないのだ.というのは,僕に誰かが何かを説明してくれている間,今でも理論の正否を知るのに使っている,なかなか便利な「策略」があるのだ.それは自分の頭の中で,例を作り上げていくことだ.例えば数学の連中が何かすばらしい定理でも見つけて,すっかり有頂天になっているものとする.この定理の条件を彼らが僕に説明してくれている間,僕はその条件全部に当てはまるような,何ものかを具体的に頭の中でだんだんと作り上げていくのだ.つまりまず一つの集合(例えばボール一個)から始め,次に分離するとボールニ個になる.そして条件がつけ加えられていくごとに,このボールはだんだん色が変り,毛が生えという調子で僕の頭の中で緑色の毛だらけのボールには全然正しく当てはまらない.そこで僕は「間違い!」と叫ぶわけだ.R.P.ファインマン『ご冗談でしょう,ファインマンさん』上巻,岩波現代文庫,pp.135-6

2013年7月29日月曜日

今日のクルーグマン「スプロールに遠く流されて」(NYT,2013年7月28日付け)

今日のクルーグマン:「スプロールに遠く流されて」(Paul Krugman, "Stranded by Sprawl," New York Times, July 28, 2013. )

例によって,要点をかいつまんだ短縮版です.翻訳ではないので注意してください


デトロイトは衰退する旧産業の象徴だ.2000年から2010年の間に人口が大幅に減った.他方,アトランタはサンベルトの隆盛を象徴する都市で,同じ時期に住民が100万人以上も増えてる.でも,ある一点において両者は似通っている――それは,社会的な流動性の低さだ.親よりも子の方がどれくらい高い社会経済的な状態に到達できるか,という尺度で見て,アトランタはデトロイトにすら劣る.スプロールが進んだことで,文字通りに仕事が「遠く手の届く範囲の外に」あるんだ.

「機会平等プロジェクト」の研究によれば,機会の国という自己像がいまだ根強いアメリカは,実のところ先進国のなかでもとりわけ世代間で引き継がれる階級システムが強い国だという.

同じアメリカ国内でも社会的流動性の高低はさまざまだ.サンフランシスコでは,所得分配の下位1/5に生まれついた子供が上位1/5に上がれる率は11%,他方,アトランタではそれがたった4%でしかない.

研究者は社会的流動性の高低に相関する要因を調べている.驚いたことに,人種は直接的な役割を果たしていない.有意な相関は,既存の格差との間に見いだされた:「中流階級が少ない地域ほど,上方向への社会的流動性は低い」.他方,居住地域の分離(社会階級がちがえば住む場所も遠く離れる)と貧困から上昇する能力のあいだに,有意な負の相関も見いだされている.

そして,アトランタでは貧乏人と金持ちは遠く離れている.なぜって,スプロールにより,なにもかもが遠く離れているからだ.アトランタはスプロールの申し子みたいな都市で,サンベルトの他の主要都市よりもいっそうスプロールが進んでいる.効率的な公共輸送機関は不可能に近い.これに取り組もうという政治的意志があったとしても,無理だ(実際には政治的な意志すらないが).その結果,不利な地位にある労働者は,都市のなかで離れ島に暮らしている.たしかに仕事はあるかもしれない.でも,それは行ける範囲にないんだ.

このスプロールと社会的流動性の関連は,「スマート成長」都市戦略を明らかに支持するだろうけど,それ以上に,アメリカ社会で起きていることをめぐる論争に関わる.この研究を知って「ウィリアム・ジュリアス・ウィルソン」を思い出したのは,きっとぼくだけじゃないだろう.

四半世紀ほど前,社会学者ウィルソンは戦後に雇用が都市中心部から郊外に移ったのは,アフリカ系アメリカ人の家族が都市中心部に集中していたことに関わると論じた.まさに公民権運動が明示的な差別を終わらせようとしているときに,そうした事態が進行した.さらにウィルソンは,シングルマザーのような現象も,しばしば黒人の雇用実績がふるわない原因とされていたけれど,実は結果なんだと論じた.つまり,いい仕事がないことがそうした家庭をもたらしているというわけだ.

今日,アフリカ系アメリカ人の社会的な機能不全について耳にする機会は少なくなったのは,労働階級の白人たちのあいだで伝統的な家族が弱まっているためだ.なんで? 格差の拡大と労働市場の空洞化がおそらく主要な容疑者だろう.でも,社会的流動性に関するこの新研究からは,スプロールも一役買っているのがうかがい知れる.

さっき言ったように,この観察は,一家で何台も車をもたなくても家族がやっていける助けになる政策を支持する.でも,それだけでなく,アメリカ一国というもっと大きな文脈に目を向けるべきだ――機会平等を大々的に触れ回っているくせに,誰よりも必要としている人たちに与える機会を減らし続けている,この状況に.

2013年7月1日月曜日

今日のクルーグマン:「対失業者戦争」("War On the Unemployed," NYT, 2013年6月30日付け)

今日のクルーグマン:「対失業者戦争」("War On the Unemployed," NYT, 2013年6月30日付け).


【全体の要旨】:ノースカロライナをはじめとして,多くの州で失業手当削減が実行に移されている.これは失業者にとって無慈悲なだけでなく,みんなにとって経済状況を悪化させる非生産的な処置だ.みんな怒れ.

以下,パラグラフごとに内容をざっくりとみておきます(翻訳ではないのでご注意を):

2013年6月29日土曜日

今日のクルーグマン「新たに投資し,古きを処分し,繁栄を」(2013年6月27日付け)

今日のクルーグマン:「新たに投資し,古きを処分し,繁栄を」("Invest, Divest and Prosper," New York Times, June 27, 2013).オバマ大統領が「気候変動対策案」を新たに発表したのを受けて,これへのありがちな批判を退けている.

以下,例によって,かんたんに概要を見ておきましょう.翻訳じゃないので,注意してください

2013年6月24日月曜日

The Verge から:特集「見る影もなく:顔面移植」

"Beyond recognition: the incredible story of a face transplant"

元夫にバットと工業用苛性アルカリ溶液で暴行を受け,顔面も含め全身の80パーセントに大きな化学火傷を負った女性のドキュメンタリ.認可を受けて顔面移植手術を受けた経過について,彼女に取材している.



The Verge は,主に「アップルがどうした」「新しいスマホがどうだ」とかのIT関連を扱うメディアだけど,こうした記事・動画もよく掲載している.

先日のクルーグマン:「生産なき収益」(2013年6月20日付)

先日のクルーグマン:「生産なき収益」("Profits Without Production," New York Times, June 20, 2013)――いまの企業は投資からのリターンではなくてレントからの収益の比重がますます大きくなっているね,という話.

ハイライト [1]:50~60年代のジェネラルモーターズも市場支配の強い企業だったけど工場をたくさん所有し労働者をいっぱい雇用していた(農業以外の労働者の実に1%にのぼっていたという).

ハイライト [2]:他方,今日の市場支配力の大きな企業といえばアップルだけど,たっぷり収益をあげてキャッシュに埋もれていてもそんなに再投資には向かわないし,雇用する労働者も少ない(海外にアウトソースしてるってのもあるけれど,中国でだってそんなにたくさん雇用してるわけでもない).

ハイライト [3]:多くの経済学者が指摘するように,今日では,格差拡大は技能プレミアムの増加がものをいうって古い話は意義を失っている.所得分配は,賃金一般から収益へと急速に移行している.だいたい2000年頃からの話だ.

ハイライト [4]:市場を支配する独占企業はすっごく収益があがるけど,産出能力を拡大する投資を行う理由をもたない.これは賃金を押し下げるはたらきをもちうる.これは経済全体にとってマズイ効果になる.

ハイライト [5]:だからって,これは金融・財政政策のマクロ経済運営をガンガンやるべしって根拠を弱めるものじゃないけれど,それはそれとして,これは考えるべき論点だ.この話はまた後日のコラムで.――といった内容でした.まる.

あと,はずかしながら,このコラムではじめておぼえたフレーズ:"what the traffic will bear"「巻き上げられるかぎりの分(お金)」

今日のクルーグマン:「バーナンキ,お前もか」(2013年6月23日付け)

今日のクルーグマン:「バーナンキ,お前もか」("Et Tu, Bernanke?" June 23, 2013). 

連銀が積極的な金融緩和を手じまいにするとほのめかしているのはダメ,ゼッタイ.右派の脅しに屈したのかバーナンキ,という内容

[コラム要旨1] 連銀はいままで積極的な金融緩和をやってきた.クルーグマンにしてみれば「まだまだ足りない!」という部分もあったけれど,それでもやってる方向は正解だった.ところがここにきて緩和の切り上げをほのめかすメッセージが連銀からでてきている.

[コラム要旨2] そうしたメッセージは予測に働きかけて金利に影響をもたらし,それがさらに民間支出を減らす方向に影響をもたらしていく.まだまだ景気回復は低調だっていうのに.

[コラム要旨3] なのに,どうしていま緩和手じまいのメッセージなんか出してるんだろう? クルーグマンの推測では,右派からの「金融緩和はドルの『毀損』だ!」といった攻撃に譲歩しつつあるんじゃないか,ちょっと景気動向がよくなったのを言い訳に使っているんじゃないか,とのこと.

2013年6月18日火曜日

「WWDC 2013:アップル形容詞交響曲」


The Verge から,アップルが新製品を発表した WWDC 2013 で頻出した形容詞・副詞だけを抜き出した動画 "Apple's WWDC 2013 keynote: a symphony of adjectives".

空疎な形容詞(や副詞,フレーズ)の勉強にどうぞ:

今日のクルーグマン:「未来を争う」(要旨)

今日のクルーグマン:「未来を争う」――長期的な財政問題を持ち出していまの不作為の言い訳にしちゃいけない,という趣旨のコラム ("Fight the Future," New York Times, June 16, 2013).以下,要点をかいつまんでいきます:


欧州の雇用動向(クルーグマンのブログ経由)

Eurostat の資料 "Employment down by 0.5% in euro area and by 0.2% in EU27" (pdf) から,欧州の雇用の動向:


(via Paul Krugman, "Europe in Depression," June 17, 2013)

2013年6月14日金曜日

2013年6月12日水曜日

「SCP-173」: ネタ元&設定の翻訳など少々





画家・彫刻家である加藤泉氏の作品「無題2004」がネタ元.

すばらしくきもちわるい異形っぷりがウケてゲーム "SCP: Containment Breach" のクリーチャー SCP-173 にされてしまったらしい.

以下,同ゲームの wiki にある架空の記録資料を訳しておく:

  • 種目 #: SCP-173
  • 分類:ユークリッド
専用拘束手順:種目SCP0173は密閉コンテナ内に常時隔離すること.SCP-173のコンテナに職員が入る必要が生じた場合,必ず3名以上で行動せねばならない.また,ドアは職員の入室後に再施錠すること.職員全員が退室しコンテナを再施錠するまで常に2名の人員が SCP-173 に対する直接目視を維持せねばならない. 
説明:1993年にサイト19に移管.起源はいまだ不詳.鉄筋コンクリート製.クライロン社のスプレー塗装の痕跡あり.SCP-173 は有生であり極度に敵対的である.直接目視しているかぎり対象は動けない.SCP-173と対峙するに際しては視線を外してはならない.コンテナ入室に割り当てられた職員はまばたきする際に必ず互いに呼びかけ確認を行うよう指示される.対象は相手の頸骨を折るか窒息させる攻撃を行うと報告されている.攻撃に当たっては職員はクラス4危険対象拘束手順を遵守すること.
 職員の報告によれば内部に人間がいないときにコンテナから石を削る音が発生する.これは正常時の挙動と考えられる.この行動に変化が生じた場合は,当直のHMCL管理者に報告のこと.
 床に見られる赤茶色の物質は糞尿と血の混成物である.これらの物体の発生源は不明.室内は隔週で清掃せねばならない.



2013年6月5日水曜日

異文化論でいう「ハネムーン期」に,おそらく根拠はない

むかしつくったハンドアウトがでてきた: PDF.

異文化論・異文化コミュニケーションで,異文化体験の「Uカーブモデル」という話がもちだされることがある.これは,根拠があるのかどうかあやしい話で,そのまま真に受けるべきではなさそうよ,という内容.

以下,ハンドアウトそのまま貼り付けておく.

ダロン・アセモグル関連

アセモグルとロビンソンの Why Nations Fail (2012) の訳書『国家はなぜ衰退するのか』(上下巻,鬼澤忍=訳,早川書房)がでるそうで.

そのむかし,アセモグルの公式翻訳wikiをやってたなぁと思い出した:
Acemoglu公式翻訳プロジェクト @ wikia

関連して,いくつか短文の翻訳を発掘してみた:


(以前,Scribd にアップロードしていた PDF はまとめて削除してたんだった)


2013年6月4日火曜日

英語用例:「他の条件が同じなら」

「他の条件が同じなら」は決まり切った言い方で other things being equal という(もとになったラテン語ではceteris paribus).このフレーズの being は省略しても言えるようだ:
So you should, other things equal, favor a system of progressive taxation and generous aid to the poor and unlucky. (P. Krugman, "Ben Bernanke Endorses A 73 Percent Tax Rate," The Conscience of a Liberal, June 3, 2013)

ついでながら,ceteris paribus の発音(Longman Pronunciation Dictionary):


ceteris の語頭はラテン語を踏襲して [k] で発音してもいいし,英語的に [s] で発音してもいい(「ケタリース・パリバス/セタリス・パリバス」).

今日のクルーグマン:「爺さまたちは大丈夫」(要旨)

2013年6月3日付のコラム "The geezers are all alright"――アメリカの債務・財政赤字に関する報告書 (LINK) を議会予算局が公表したのを受けた内容となっている.以下,かんたんに要旨をみていこう(注意.翻訳ではありません):


2013年5月24日金曜日

ベン・バーナンキ『リフレが正しい』がでます


ベン・バーナンキ『リフレが正しい』(高橋洋一=監訳,中経出版)が今日,発売になります [Amazon].



FRB議長バーナンキの講演・プレスリリースの翻訳と,監訳者の高橋洋一氏(暗黒卿)による解説を編集した一冊になっております.(ぼく自身は,講演2点の翻訳で協力しただけです.別途,サポートページを用意しましたので,そちらを参照ください.また,第1章・第5章のサポートは,こちらを参照.)


2013年2月9日土曜日

clip: アッシュの「順応」実験(動画)

ソロモン・アッシュの「順応」(conformity) 実験.




被験者たちは4本の縦棒が描かれたパネルを見せられ,左端の棒と同じ高さのはどれか答えさせられる.実は1名をのぞく被験者はサクラで,全員そろって実験の途中から明らかに正解でないものを答えにあげはじめる.このとき,本物の被験者は,自分の目で見てはっきりと答えを知っていながらも,他の被験者たちの答えに合わせてしまう.

(via Tim Harford "The Asch Conformity Experiment")

追記:アッシュ実験については教科書での紹介も誤解を招くかたちになっているとのこと.こちらを参照.

メモ: 「(語用論的)不誠実性」(岡本 2013)


岡本真一郎言葉の社会心理学』(中公新書,2013年)で 「(語用論的)不誠実性」という用語が出てきたのでメモっておく:

  • 「不誠実性」(insincerity) :
《不誠実性はサールの言語行為論の「誠実性規則」に由来する概念であり.クモン‐ナカムラや内海彰の皮肉に関する議論では「語用論的不誠実性」とされた.ここではそれを筆者が修正したものを用いている.日常用語の「不誠実」とはニュアンスが異なる》 (pp.212-3) 

  • 挙げられている参照文献:
  • Kumon-Nakamura  et al. 1995: Kumon-Nakamura, S., Glucksberg, S., & Brown, M. 1995 "How about another piece of pie: The allusional pretense theory of discourse irony." Journal of Experimental Psychology: General, 124, 3-21. [PubMed]
  • Utsumi 2000: Utsumi, A. 2000 "Verbal irony as implicit display of ironic environment: Distinguishing ironic utterance from nonirony." Journal of Pragmatics, 32, 1777-1806. [ScienceDicrect]
  • 岡本 2004: 「アイロニーの実験的研究の展望――理論修正の試みを含めて」『心理学評論』 47, 395-420. 
  • Okamoto 2007: "An analysis of the usage of Japanese hiniku: Based on the communicative insincerity theory of irony." Journal of Pragmatics. 39, 1143-1169. 




メモ:表出型発語内行為では命題は前提となるので動名詞で表わされる

Searle (1979) "A taxonomy of illocutionary acts," Expression and Meaning (pp. 15-16) から:

Expressives. The illocutionary point of this class is to express the psychological state specified in the sincerity condition about a state of affairs specified in the propositional content. The paradigm of expressive verbs are "thank", "congratulate", "apologize", "condole", "deplore", and "welcom". Notice that in expressives there is no direction of fit. In performing an expressive, the speaker is neither trying to get the world to match the words nor the words to match the world, rather the truth of the expressed proposition is presupposed. Thus, for example, when I apologize for having stepped on your toe, it is not my purpose either to claim that your toe was stepped on nor to get it stepped on. This fact is neatly reflected in the syntax (of English) by the fact that the paradigm expressive verbs in their performative occurrence will not take that clauses but require a gerundive nominalization transformation (or some other nominal). One cannot say:
*I apologize that I stepped on your toe; 
rather the correct English is,
I apologize for stepping on your toe. 
Similarly, one cannot have:
*I congratulate you that you won the race
nor
*I thank you that you paid me the money.
One must have:
I congratulate you on winning the race (congratulations on winning the race)
I thank you for paying me the money (thanks for paying me the money). 
These syntactical facts, I suggest, are consequences of the fact that there is no direction of fit in expressives. The truth of the proposition expressed in an expressive is presupposed. (...) 

  • 表出型発語内行為では「適合方向」がない;命題内容は前提とされる.
  • この事実は,英語の統語法に反映している:
  • 表出型の遂行動詞では,that 節ではなく動名詞などの名詞化が要求される.

2013年2月8日金曜日

clip: クルーグマンの講義スライド「福祉国家の概観」

NYTのページを経由すると,無料閲覧回数が1回分減ってしまうので:

https://webspace.princeton.edu/users/pkrugman/The%20welfare%20state_overiew.pdf


リンク元のエントリはこちら:

"WWS 594E, Class #1: Overview of the Welfare State," The Conscience of a Liberal, February 8, 2013

2013年2月6日水曜日

クルーグマン,JPモルガン菅野氏を批判する


クルーグマンが菅野氏を批判しているエントリ:
Paul Krugman, "Rate Expectations (Wonkish)," The Conscience of a Liberal, February 5, 2013

菅野氏の主張は「インフレ予想が上昇してるのは日本人以外の投資家が多い為替市場であって,日本人投資家が多い日本国債の方ではなく,開きがある」というもの.で,クルーグマンはブレークイーブンインフレ率を示して,「そんなことないじゃん」と.

末尾のパラグラフ:「日銀がこれから緩和に積極的な機関に変わるだろうと受け取られたことで,インフレ予想は上昇し,実質金利は下がり,円安になった.どれも日本にとっていいことじゃないか」


update 

「クルーグマン経済学の翻訳ブログ」さんが紹介している:
Rate Expectations (Wonkish) 利子率予想(専門的)

クルーグマンのブログから:日本のおはなし


クルーグマンがブログで(また)日本について取り上げている.やや長文だし,論点のなかには注意深く読む必要がありそうなものがある.(※言わずもがなのコメントを挟んでいますが,なんというか,お察しください.クルーグマンの文章はあくまで「引用」でございます.はい.)

Paul Krugman, "Japan Story," The Conscience of a Liberal, February 5, 2013

まず,冒頭部分では話のきっかけに言及している.財政刺激が悪影響をもたらすのではないかという説が紹介される:

Dean Baker is annoyed at Robert Samuelson , not for the first time, and with reason. The idea of invoking Japan, of all places, to justify fears that stimulus leads to inflation or asset bubbles is just bizarre. And while there is much shaking of heads about Japanese debt, the ill-effects if any of that debt are by no means obvious.
ディーン・ベイカーがロバート・サミュエルソンにげんなりしてる [link].べつにこれがはじめてのことじゃないし,げんなりするにも理由がある.よりによって日本をもちだして,「財政刺激がインフレや資産バブルにつながる」と恐れを正当化するのは,とんちんかんな話だ.たしかに日本の債務には「いやはやまったく」と思うところはあるけれど,その債務の悪影響となると,自明とはまったくいえない.
But what remains true is that Japan has run budget deficits for many years while delivering what appears on the surface to be very disappointing economic performance. What’s the story there?
ただ,それでもたしかなことはある.日本は財政赤字を長年にわたってつづけてきたけれど,日本の経済的実績は表面的に見るとじつに残念なものだという点だ.ここはどう考えたものだろう? 

続けて,日本のマクロ経済状況について自説を2点にわけて述べている.1点目は人口の高齢化が経済成長の足かせになっているという指摘:

My answer would run in two parts.
ぼくの答えは2点からなる.
First, you should never make comments on Japanese growth or lack thereof without taking demography into account. Japan has low fertility and low immigration; this has translated into a dramatically aging population and a declining working-age population. So what does Japan’s performance look like if you calculate real GDP per working-age adult? (In the picture below I define working-age as 15-64; this is one case in which you DO NOT WANT to look at FRED, which defines working age as 16+ and therefore takes no account of aging).
第一に,日本の経済成長というか成長しなさ加減について論評しようってときには,人口動態を考慮した方がいい.日本の出生率は低いし,移民流入も少ない.このため,日本の人口は急激に高齢化してきているし,労働年齢人口は減少してきている.じゃあ,労働年齢にある成人あたりの実質GDPを計算してみたら,日本の経済実績はどんな風にみえるだろう? (下記のグラフでは,労働年齢を 15-64 歳に定義している.FRED の数字を *参照したくない* 理由の1つがこれだ.FRED では,労働年齢を16歳以上と定義しているので,高齢化が考慮されていない).

グラフは次のようなものだ:



I’ve used a log scale, so you can view vertical distances as percentage changes. If we look at growth from the early 1990s to the business cycle peak in 2007, we have growth of about 1.2% per year. That’s actually not bad; you can argue that demographically adjusted, the whole tale of Japanese stagnation is a myth.
グラフでは対数尺度を使ってある.これで,垂直方向の距離をパーセンテージの変化として見ることができる.1990年代はじめから2007年の景気循環のピークまでの経済成長を見ると,だいたい1年あたり 1.2% の成長が起きている.実のところ,悪くない数字だ.人口動態に調整して考えると,日本の景気低迷って話は神話だと言える.

(※ぼくとしては,人口動態を「デフレの」原因とする議論との混同を避けておきたい.)

2つ目の論点は,おなじみの「流動性の罠」のはなし.

What is true is that there were two long periods of depressed output relative to trend, one in the mid-1990s and another, much worse, between 1997 and 2007. And one other thing: Japanese monetary policy was still up against the zero lower bound in 2007, leaving it no room to counter the Great Recession, and hence leaving Japan open to a deep slump when exports plunged.
実態はどうだったかと言えば,トレンドに相対的にみて不況の期間が2つあった.1つは1990年代中盤で,もう1つもっと悪い方の不況は1997年から2007年までの期間だ.あと,もう1点:日本の金融政策は2007年時点でもまだゼロ下限に直面していて,この大不況に対処する〔金利を下げる〕余地が残っていなかった.そのため,輸出が急減すると深い低迷にはまるしかなくなっていた.
So how do we think about this problem? Here’s my take. Japan has pretty much spent the past 20 years in a liquidity trap; as I’ve been explaining for years , one way to understand such traps is that they happen when, even at a zero real interest rate, the amount that people would want to save at full employment exceeds the amount they would be willing to invest, also at full employment:
じゃあ,この問題についてどう考えたものだろう? ぼくの考えはこうだ.日本はこの20年の多くを流動性の罠にはまったまま過ごしてきた.何年もずっと説明しているように [link],流動性の罠を理解するには,こう考えるといい.実質金利がゼロのときですら,完全雇用のもとで人々が貯金したがるお金の量の方が,同じく完全雇用のもとで人々が投資してもいいと思っている金額よりも大きいとき,流動性の罠が起こるんだ:


Why is Japan in this situation? A debt overhang from the 1980s bubble surely started the process; but surely it’s reasonable to suggest that the demography also contributes, since a declining working-age population depresses the demand for investment.
なんで日本はこんな状況になってるのって? 1980年代バブルから持ち越された債務はたしかにこのプロセスの起点にはなった.だけど,人口動態もこれに寄与していると示唆するのは理にかなっている.なぜなら,減少中の労働年齢人口によって投資への需要が低く押さえ込まれるからだ.
What you need in this situation is a negative real interest rate — which means that you need some expected inflation, because nominal rates face the zero lower bound.
この状況で必要なのは,マイナスの実質金利だ――実質金利がマイナスってことは,いくらかインフレ予想がプラスになってもらう必要がある.なぜなら,名目金利はゼロ下限に直面してそれ以下には下がりようがないからだ.
この流動性の罠のもとで,実は中央銀行にはちゃんとできることがあるが,日銀はこれをやってこなかった:
But Japanese policy has never sought to achieve this. Deficit spending has put part, but only part, of the excess desired private saving to work; this has mitigated the slump, but not produced a booming economy, except perhaps briefly circa 2007. And the Bank of Japan has always pulled back on monetary policy when the economy looks better, instead of doing what it should, which is to keep the pedal to the metal until the inflation rate is solidly into positive territory.
ところが日本の政策はいっこうにこのインフレ予想を達成しようと模索してこなかった.赤字支出によって,超過民間貯蓄意欲額 [excess desired private saving] の一部が機能するようになった.でも,それはあくまで一部だ.これは不況を和らげはしたけれど,経済をもりあげることにはならなかった.例外は2007年ごろの短期間だろう.日本銀行は,経済が上向きかけると決まって金融政策を引き締めて,なすべきことをせずにいた.そのなすべきことってのは,インフレ率がプラス領域でしっかり定着するまでずっとアクセルを踏み続けることだ.
以下,まとめ:

The point is that as an analytical matter, Japan’s experience is perfectly consistent with an IS-LM type story, with nothing in there to suggest that fiscal stimulus has somehow backfired; stimulus has done exactly what you’d expect given its limited size and the refusal to take the opportunity to break out of the liquidity trap.
ここでの要点はこうだ.分析の問題として,日本の経験は完璧に IS-LM タイプの筋書きに整合していて,財政刺激が逆効果になったなんてことを示唆するものは1つもない.規模の限度もあり流動性の罠から抜け出る好機も拒絶されていた状況で,財政刺激は期待されるとおりになされてきた.
What Abenomics seems to be is an attempt, finally, to do what should have been done long ago: combine temporary fiscal stimulus with a real effort to move inflation up.
いまアベノミクスがようやくやろうと試みているのは,ずっと前からやってしかるべきだったことだ:つまり,一時的な財政刺激に,インフレ率を上げる実質ある努力を組み合わせることだ.
Oh, and what about the US relevance? We are, for the time being, in the same situation diagrammed above. What I think you can argue is that because we don’t share Japan’s demographic challenge, our liquidity trap is probably temporary, the product of an episode of deleveraging. So in our case fiscal stimulus is much more likely to serve as a bridge to a revived era of normal macroeconomics. That said, I welcome efforts by the Fed to modestly raise inflation expectations, and would like to see more.
あ,そうそう.アメリカにとっての関連性はどうだろう? いまアメリカはさっき示したグラフどおりの状況にある.ここで言えることは,ぼくらは日本とちがって人口動態の難題を抱えていないんだから,ぼくらのはまってる流動性の罠はおそらく一時的なもの,デレバレッジというエピソードの産物だろうってことだ.というわけで,アメリカの場合,財政刺激は経済を立て直して平時のマクロ経済にもどす橋がかりになってくれる見込みが日本よりも大きい.その上で言うと,ぼくとしては,連銀がほどほどにインフレ予想を引き上げようとしてる取り組みを歓迎するし,もっとなされてほしいと思ってる.
So, is Japan a cautionary tale? Yes, but not the tale everyone tells. Its performance isn’t that bad given the shortage of Japanese; and it’s a tale of fiscal and monetary policy that have been too cautious, not of stimulus that failed.
さて,日本は悪い例の教訓だろうか? うん.ただ,世間で言われているのとはちがう意味でだ.日本の実績は,人口動態を踏まえると,それほどわるくはない.また,日本はあまりに慎重すぎる財政・金融政策の教訓でもある.失敗した財政刺激の教訓ではなくてね.



2013年2月2日土曜日

クルーグマンのブログから:ブッシュ時代と比較して見る「財政緊縮の意味」

クルーグマンのブログで,ブッシュ時代と今回の「大不況」で政府支出を比較している:

Paul Krugman, "Our Incredible Shrinking Government," The Conscience of a Liberal, February 1, 2013.

政府による財・サービスの購入が減少したことが,景気回復を遅らせるのに一役買っていると述べて,次のグラフを示している:

(政府の消費・投資額.景気後退以前を100とした推移.)


ブッシュ時代の景気後退(青線)と今回の「大不況」(赤線)の比較.景気後退がはじまる前の水準を100として,四半期ごとの数字をプロットしている.景気後退がはじまって第10四半期に,赤線が下がり始めるのが緊縮への転換だ.クルーグマンは「前例のない財政緊縮」("unprecedented fiscal austerity") と形容している.

では,この緊縮でなにがもたらされたとクルーグマンは考えているんだろう? この緊縮がなくて,ブッシュ時代と同じように財政支出を行っていたら,どうなっていたんだろうか?

政府による消費・投資はおよそ3兆ドルだ.これがブッシュ時代と同じように今回も伸びていれば,12パーセント(3600億ドル)高くなっていただろう.乗数が1より大きいことを踏まえれば――これはIMFその他が目下の状況で妥当だと考える数字―― GDP がさらに3パーセント多くなり,4500億ドル増えていたはずってことになる.そして,失業率は現状より 1.5 ポイント低くなっていただろう.
(Government consumption and investment is about $3 trillion; if it had grown as fast this time as it did in the Bush years, it would be 12 percent, or $360 billion, higher. Given a multiplier of more than one, which is what the IMF among others now thinks reasonable under current conditions, that ends up meaning GDP something like $450 billion higher, which is 3 percent — and an unemployment rate 1.5 points lower.) 

クルーグマンの結び:
「これは政策の大失敗だ (policy disaster)」





2013年2月1日金曜日

無印良品「再生紙週刊誌ノート」

ハードルを低く,気楽に書きたいというのは,なにもブログにかぎったことじゃなくて,普段のメモ・ノート取りでも気楽さ・手軽さは大事だ.

たしかに,お高くてかっこいいノートはぼくも好きだし,ついつい買ってしまう.だけど,そういうノートはたいていうまく活用できていない.なぜなら――くだらないことが書けないからだ.ちょっとしたことを書くのに,値段の張ったノートだと「うーん,こんなんで1ページ使ってしまってええんじゃろか」とためらってしまう.

それじゃダメだ.くだらないことも大事なこともガンガン書き込んでこそ生きてくるのがメモ帳でありノートなんだから.

で,こいつがちょうどいいんじゃないかと期待してる.


無印良品の「週刊誌ノート」.名前のまんま,週刊誌サイズのノートだ.180円で,それなりにお安い.これなら,さすがにぼくもためらいなく書き散らせる.

それに,罫線のたぐいのない無地ノートってところもいい.



ただし,紙質はよくない:


ペンで書き込むとどんどんインクがしみてしまう.下のページにまでインクがしみ通ることはほとんどないけれど,両面使うのはムリ.

でも,それでいい.ためらいなく書き散らかすのが目的だから.


ところでこの週刊誌ノート,いったん廃盤になって復活したものらしい:

今日のクルーグマン先生: "Looking for Mister Goodpain"


Paul Krugman, "Looking for Mister Goodpain" New York Times, January 31, 2013. 

「《ミスター・良い苦しみ》を探して」――例によって緊縮策の批判.緊縮派は成功例らしきものを探しては持ち出すけれど,アイルランドといい,ラトヴィアといい,とてもじゃないけれど緊縮策の成功とは言えない.さっさと失業対策を主軸に据えろとの趣旨.

イギリスなんて,とくに必要もなかったのにキャメロン首相が緊縮策を打ってしまって,それまでアメリカ同様にいちおう景気回復が進んでいたのに,あそこで「経済の失速」(economic stall) になってしまったじゃないか,云々:
"What actually happened was an economic stall. Before the turn to austerity, Britain was recovering more or less in tandem with the United States. Since then, the U.S. economy has continued to grow, although more slowly than we’d like — but Britain’s economy has been dead in the water."

ラトヴィアについては,IMF のレポートが2つリンクされている(ぼくは目を通してませんよ):

  • http://www.imf.org/external/pubs/cat/longres.aspx?sk=40274.0
  • http://www.imf.org/external/pubs/cat/longres.aspx?sk=40275.0



しょうもないことを書きたいんだよ

よしゃいいのに,またブログを新設した.つまんないことを書く場所がほしくなったからだ.

いままでは,「はてなダイアリ」のブログ (left over junk) を主に使ってきた.2007年12月から開始しているから,5年以上になる.他にも併設してみたことは何度かあるけれど,どれもすぐに更新しなくなった.曲がりなりにも継続してきたのは,left over junk だけだ.

でも,最近はめっきり更新しなくなった.ひとつには,ゲリラ翻訳のエントリを一挙に削除したのが大きなきっかけになった.(ちなみに,つい昨日もゲリラ翻訳の PDF をグーグルサイトからまとめて削除した.とうとう正式な警告が権利者からきちゃったので.)

ただ,それと並んで大きな理由がある.しょうもないことで更新するのがいやになったからだ.このあたりには循環がある.まず,長らく更新しないでいると,なぜか自分で勝手にハードルを上げてしまうクセがある:「久しぶりに更新するなら,それなりに中身のあることを書かなくちゃいけない」という気分になってしまう.これがいけない.ハードルを勝手に上げちゃうから,ますます書かなくなる.すると更新しなくなって,さらにハードルが上がり…とわるいループに入る.――よくあることですな.

さて,気楽にしょうもないことを書くなら,twitter があるでないか,と思われるかもしれない.まあ,たしかにそうで,やれ「じんわりとコーヒー」だの「王将で豪遊」だの,それはもうしょうもないことを日夜つぶやいている.

けど,あそこでも意外と気後れする場合がある.なまじフォローしたりされたりする人数が増えているおかげで,あれはあれでハードルができてしまっている.なんといっても,長くなる話はダメ.連続ツイートはよくない.いや,誰も連続ツイートを禁止してなんかいないんだけど,「この話が自分のTLに流れてくるのをいやがる人はけっこういるだろうな」と思うと,自分でストップがかかる.

「いや,そんなん気にせずに自由にやればいいじゃん」という声もあるだろうし,自分でもそう思うけれど,ダメ.ぼくは小心者なので,「気にせず自由にやろう」と意識的にがんばらなくちゃいけなくなってしまうのだ.そして,ぼくはがんばるのキライ.

だいたい同じ理由で,Google+ もダメ.あれもフォローしている人のページに,こういうしょうもない話を流し込むことになってしまう.

ようするに,ソーシャル系のサービスはことごとくダメってことになる.ぼくみたいなタイプの小心者が,しょうもないことを垂れ流すチラシの裏は,あっちにはないんだと思う.

じゃあ,古式ゆかしい「ホームページ」はどうだろう.それもわるくない.実際,こんなページもつくってみたりした.いやー,びっくりするほどしょうもないぞ,自分.(それにしてもグーグルサイトは使いやすくていいですわね.)

ただ,時系列で整理されるのはやっぱりいいもんだ.記憶のフックには,やっぱり時間が効いてくる.それに,たんに非公開でしこしこテキストファイルに打ち込みたいわけじゃない.しょうもないことといえども,「もしかして読むかもしれない架空の読者」をうっすら意識しないと,意外に書けないもんなんだ,少なくとも,ぼくは.

じゃあブログがええんでないの――で,ことここにいたる.