2018年5月28日月曜日

スタンフォード哲学事典の「言語行為」を訳読しよう #24

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また,以上を踏まえるとライカンが定式化したコーヘン問題も進展させられる.Green 2000 で論じたように,「私は(ここに) p と確言する」('I (hereby) assert that p') の確言において,話者はみずからを p に拘束させる.話者の言葉からは論理的にこの〈命題〉が伴立されるわけでもなく,前提されているわけでもなく,会話の推意や慣習的推意で含意されるわけでもないにも関わらずである.だが,発語内的にはこれを伴立する:確言で「私は p と確言します」に拘束されている人は,それによって p にも確言で拘束される.これと対照的に,論述の便宜上で「私は p と確言する」に拘束されている人は,それによって p に拘束されはしない.このため,「私は~と確言する」のようなフレーズは意味論的に不透明だ(それが生起する文の真理条件に単純でない貢献をする)が,他方で,語用論的には透明だ.つまり,〔この「私は~と確言する」のようなフレーズが〕もっとも広い左様行をとる文に確言でみずからを拘束させる話者は,その文の補部〔=命題 p の部分〕にも確言で拘束される.これと同様のことは「私は~と推測する」('I conjecture that') などにも当てはまる.

また,セクション1で立てておいた問いでも進展があった.すなわち,「言語行為理論」はその名に値するか,という問いだ.適切に発語内行為を定義すれば,言語行為のいろんな特徴の一部をただ記述するだけでなく説明もできるようになる.ヴァンダーヴェーケンは,言語行為どうしに成り立ついろんな推論関係を描き出すタブローを提供している (Vanderveken 1990).たとえば,下記はヴァンダーヴェーケンが確言に用意したタブローの抜粋だ――物事のありさまを記述することを発語内目的とする言語行為は,このように描き出されている:
castigate reprimand accuse blame criticize assert suggest
懲戒する 譴責する 告発する 非難する 批判する 確言する 示唆する
発語内的妥当性の強度順で左がもっとも強く,右に進むにつれて弱くなる.こうなるのは,こうした言語行為がどれも物事のありさまを記述することを発語内目的とする点で共通しつつ,その命題内容条件と発語内目的の強度は左はしから右に進むにつれて弱くなっているからだ.この種の説明からは,次のような問いに内実のある答えが出せるようになるのではないかとの希望が見えてくる――「しかじかの事態について誰かを懲戒 (castigate) したとき,それは同時にその事態の成立に確言によってみずからを拘束することになるのか?」「『発語内トートロジ』『発語内無意味』といった現象を発見して,「この発話は確言である」「私はまさにこの主張そのものを疑う」〔疑うという主張を疑っている自己言及〕といった発話についてなにか理解できるようになるだろうか?」 こうした疑問に肯定で応えられるなら,「言語行為理論」という名称を用いることに歓迎すべきさらなる正当化がなされるだろう.

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つづく.

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