「active shooter とは,閉じた場所や人で混雑した場所で能動的に人々を殺すか殺そうと試みる個人をいう.大半の場合に,active shooter は銃器を使用し,犠牲者の選別になんらのパターンも手法もない.」(An Active Shooter is an individual actively engaged in killing or attempting to kill people in a confined and populated area; in most cases, active shooters use firearms(s) and there is no pattern or method to their selection of victims. )
おそらく,たいていの大学で,教室設備の更新はものすごくゆったりとしかすすんでないんだろう.もっと一般的に,日本の多くの職場でも,事情は大きく変わらないんじゃないかと思う.そういう環境では,「ビジネス用途」のモバイル PC において HDMI よりも VGA の方が優先度が高くなるのは当然といえば当然だ.
でもまあ,機器を更新するほどの余裕がないっていう,切ない話ではある.
2015年5月にでた VAIO Pro13 Mk2 の開発者インタビューで,こういう発言もある:
前のVAIO Pro 13は日本だけでなくグローバル市場での商品性を意識した製品だった。VGAとEthernetは日本市場に限って言えばニーズは非常に大きいのは分かっていたが、日本以外の市場だと、なぜこんなレガシーなポートが付いているのだ、と言われてしまう。しかし、新生VAIOでは日本市場にフォーカスした製品を作ることになり、セキュリティへの観点から有線を使いたいニーズのためにEthernet端子を、さらにプロジェクターに直接接続したいというニーズのためにVGA端子は追加することにした
いま,ぼくが主に仕事で使ってる PC は VAIO Duo13 で,これには VGA がなくって HDMI 端子しかない.しかたないので,VGA 変換アダプタをかましてつないでいる.「つながるならそれでいいじゃん」と思うかもしれないけれど,HDMI→VGA の変換アダプタを使うと,オーディオ端子からの音声出力は無効になってしまう.授業でなにか音声をながす必要があるときには,USB でサウンドカードをつないで,そこから音声を出力するという手間をかけなくちゃいけない.プレゼンタのレシーバに USB 端子を必ず1つ使うので,これで2つしかない USB 端子がふさがってしまう.学生からプレゼン用ファイルを USB メモリで受けとるとなると,いちいちどっちかを外すはめになる.それに,かんじんのアダプタを忘れてきたり不具合が起きたりすれば,それでいっきに詰んでしまう.
"(...) it’s another $149 for the Bluetooth keyboard"「Bluetooth キーボードにもう149ドルかかる」(The Verge)
もとの文章では,グーグルの Pixel C 本体が 499ドルで,さらに専用キーボードをそろえるなら「追加で149ドルかかる」と言っている.明らかに,another X の X に該当するのは '$499' じゃあない.しいて言えば,X=「購入代金」だろう.こういう用例はべつにめずらしいわけではないはずだ.
むかしばなしをすると,ぼくが公立中学校ではじめて英語を習ったとき,ネイティブの教員に other とちがって another には an- 「1つの」があるだろう,と言われた.なにかしら「1つ」という意味が another の用法にはあるぞ,と言われて「なるほどなー」と思ったもんだ.でも,another が含む「1つの」の意味は,上記 The Verge のような用例ではいっそう抽象的な単位になっているようだ.
前に,"An emotional Bill Gates" という例をメモっておいた.ああいった 不定冠詞 a + 形容詞 + 固有名詞のパターンについて,ホーンとアボットの論文がかるく触れている:
例 (25a) と (25b) のちがいを考えよう(Cheney のドッペルゲンガーなどいないと仮定する.よって,修飾語 churlish「粗野な」は非制限的にとる〔複数のチェイニーがいて,そのなかの粗野な a Cheney という解釈をとらない〕):
(25)
a. A churlish Dick Cheney (... reacted angrily to the reporter's questions).
粗野な a-ディック・チェイニー(…が,記者の質問に怒りをあらわに反応した).
b. The churlish Dick Cheney (... was a poor choice to mediate the dispute).
粗野な the-ディック・チェイニー(…は,論争の調停役にはまるでそぐわない).
不定冠詞 a を使うと一時的な状態が示されるのに対し,the を使うと粗野であることがこの個人の永続的な条件として標示される.このため,不定冠詞は,チェイニーの(潜在的な)有様 [stage] またはみかけ [guises] が複数あることを示唆する一方で,定冠詞はさまざまな有様に個別化することなくその個体の属性を提示する:つまり,ディック・チェイニーはただ一人だけいて,彼は粗野だということになる.A rude and obnoxious Dick Cheney shouted at me on my way into the meeting(粗暴で感じのわるい a-ディック・チェイニーが会議にいく途中でぼくに叫んできた)と報告すると,チェイニーはいつでも(または永続的に)粗暴で感じがわるいわけではないという Q-推意が生じる.決定的に重要な点として,このように 限定詞-形容詞-固有名 [Det-Adj-PN] 文脈で機能しているのと同種の <the, a> 尺度は,a CN が the CN と競合する通常の専一性/最大性/網羅性の事例でも機能している.
L. Horn & B. Abbott, "<the, a>: (In)definiteness and implicature." In William P. Kabasenche, Michael O'Rourke, and Matthew H. Slater (eds.) Reference and Referring. pp. 325-355. MIT Press, 2012.
In a recent interview Mr. Deaton suggested that middle-aged whites have “lost the narrative of their lives.” That is, their economic setbacks have hit hard because they expected better. Or to put it a bit differently, we’re looking at people who were raised to believe in the American Dream, and are coping badly with its failure to come true.
1. Support Glossa. Submit your best work to it, agree to review for it, help it get ranked and recognized across the academy. Glossa を支援しよう.じぶんの最良の研究を Glossa に投稿し,査読を引き受け,学術業界全体にその名が知れ渡り高く評価される助けをしよう.
2.Do not support Zombie Lingua. The community should not assist Elsevier in standing up a new journal that usurps the Lingua goodwill. Do not serve on the editorial team, do not submit articles, do not review for them. ゾンビと化した Lingua を支援しないこと.学術コミュニティは,Lingua〔の名声と伝統〕を盗用する新学術誌を Elsevier が立ち上げるのを助けるべきではない.編集チームの任を引き受けないこと.論文を投稿しないこと.Elsevier のために査読を引き受けないこと.
さらに:
1.Support Fair Open Access in Linguistics. The resignation of the Lingua editorial team and the foundation of Glossa are part of a larger movement. Sign the petition! 言語学における公正なオープンアクセスを支援しよう.Lingua の編集チームが辞任して Glossa を立ち上げるのは,もっと大きな運動の一環だ.嘆願書に署名を!
2.Boycott Elsevier. Do not publish, referee, or do any editorial work for Elsevier journals. Add your name to the list! Elsevier をボイコットしよう.Elsevier が発行する学術誌での論文公表・査読,あるいはいかなる編集作業もしないこと.リストにあなたの名前も連ねよう!
L. Horn & B. Abbott, "〈the, a〉: (In)definiteness and implicature." In William P. Kabasenche, Michael O'Rourke, and Matthew H. Slater (eds.) Reference and Referring. pp. 325-355. MIT Press, 2012.
They look carefully at the archival evidence, and find that a key factor was the complaints of commercial banks that low interest rates on government securities were squeezing their profits. That is, the turn to tight money in the face of deflation and a collapsing real economy was driven by the same narrow banker interests I have suggested explain current demands for higher rates despite low inflation.
著者たちは文献資料を注意深く調べた上で,政府債券が低金利になってじぶんたちの利益が圧迫されることに対する民間銀行の不満が重要な要因だったのを見いだしている.つまり,デフレに直面しながら金融引き締めに転じて実体経済を崩壊させるよう促したのは,銀行業界のせまい利害関心だった.いま低インフレにも関わらず金利引き上げを要求する声があがってる理由の説明にぼくが提案したのと同じ要因が当時もあったわけだ.
Epstein & Ferguson (1984) のアブストラクト:
Early in 1932 the Federal Reserve System made a serious attempt to reverse the "Great Contraction" through expansionary open market operations, but abandoned it a few months later. In this paper we offer an interpretation of the episode that throws new light on the Fed's behavior during the Depression. Key are the attitude of private bankers, Britain's abandonment of the gold standard, and the brief open market campaign. To protect bank profits the Fed abandoned the progarm which set the stage for the complete financial collapse of the United States in early 1933.
Levy の言ってることは単純だ:ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは,タブレットについてまるっきりちがう方向を構想していた,と Levy は言う.ゲイツの構想では,タブレットはラップトップをすべて置き換える端末だ.ラップトップでできることはなんでもできるスレート状の端末.でも,2001年頃にできた端末は,「基本的に,モノにならなかった」――「ハードも不十分,ソフトも不十分,バッテリーも不十分,ワイヤレス・ネットワークなんてなかった」.
Taking notes on laptops rather than in longhand is increasingly common. Many researchers have suggested that laptop note taking is less effective than longhand note taking for learning. Prior studies have primarily focused on students’ capacity for multitasking and distraction when using laptops. The present research suggests that even when laptops are used solely to take notes, they may still be impairing learning because their use results in shallower processing. In three studies, we found that students who took notes on laptops performed worse on conceptual questions than students who took notes longhand. We show that whereas taking more notes can be beneficial, laptop note takers’ tendency to transcribe lectures verbatim rather than processing information and reframing it in their own words is detrimental to learning.
手書きではなくラップトップPCでノートをとることは,ますます広まっている.多くの研究者たちは,学習に関してラップトップPCでのノートとりは手書きよりも効果で劣ると提案してきた.先行研究では,ラップトップPC利用時に学生たちがマルチタスクを行う能力と注意散逸に主として焦点を置いてきた.本研究では,ノートをとるためだけにラップトップPCを使用した場合であっても,〔内容を租借する〕処理が浅くなるために,学生たちの学習が損なわれるかもしれないと提案する.3つの研究を行ったところ,手書きでノートをとった学生に比べてラップトップPCでノートをとった学生は概念的な質問に関して成績が劣った.より多くノートをとるのが有益なこともある一方で,ラップトップPCでノートをとると,情報を処理して自分の言葉でとらえ直すのではなく講義を言葉どおりに転記する傾向があり,これが学習の弊害となることを本稿では示す.
"Man könnte Gedanken Preise anhefen. Manche kosten viel, manche wenig. Und womit zahlt für Gedanken? Ich glaube: mit Mut."
英訳:"You could attach prices to thoughts. Some cost a lot, some a little. And how does one pay for thoughts? The answer, I think, is: with courage."
ダニエル・レヴィティンの一般書 The Organized Mind で,気になってた箇所をこっちにメモする:
Just having the opportunity to multitask is detriment to cognitive performance. Glenn Wilson of Gresham College, London, calls it infomania. His research found that being in a situation where you are trying to concentrate on a task, and an e-mail is sitting unread in your inbox, can reduce your effective IQ by 10 points.
マルチタスクの 機会 があるだけでも,認知パフォーマンスには有害だ.グレシャム大学のグレン・ウィルソンはこれを「インフォマニア」と呼んでいる.彼の研究では,あるタスクに集中して取り組もうとしている状況で,インボックスでメールが未読のままになっていると実効的な IQ が10ポイント低下しうることがわかっている.
Griggs, R. (2015). The Disappearance of Independence in Textbook Coverage of Asch's Social Pressure Experiments Teaching of Psychology, 42 (2), 137-142 DOI: 10.1177/0098628315569939
Asch’s classic social pressure experiments are discussed in almost all introductory and social psychology textbooks. However, the results of these experiments have been shown to be misrepresented in textbooks. An analysis of textbooks from 1953 to 1984 revealed that although most of the responses on critical trials were independent correct ones, textbooks have increasingly over time emphasized the minority conformity responding and deemphasized the majority independent responding. An analysis of 20 introductory psychology textbooks and 10 introductory social psychology textbooks revealed that this distorted coverage has not only persisted but increased over the past 30 years. Given the entrenchment of such coverage in current texts, a suggestion for how to address this distorted coverage without major text revision is provided.
アッシュによる古典的社会的圧力実験は社会心理学の入門教科書のほぼすべてで取り扱われている.だが,実験結果が教科書で誤ったかたちで紹介されていることが明らかになっている.1953年から1984年までの教科書を分析したところ,決定的な試行でなされた反応の大半は独立した正解だったにも関わらず,時が下るにつれて,教科書では少数派の同調が強調されるとともに多数派の独立した反応が軽視されるようになっている.入門的な心理学教科書20冊と入門的な社会心理学教科書10冊を分析したところ,このように歪曲した紹介はたんに継続しているだけでなく,過去30年間で増加していることが明らかになった.こうした紹介が現行のテキストで定着していることを踏まえ,本文を大幅に書き直さずにこの歪曲に対応する方法を本稿では提案する.
グライスのもともとの定式化に再帰的パラドクスがあるかのような外見は,「この意図の認識によって」(by means of the recognition of this intention) というキーフレーズから生じる.このフレーズを見ると,話し手を理解するためには,聞き手はなんらかの種類の循環的な推論を行わなくてはいけないかのように思えるかもしれない.まるで,聞き手がすでに話し手の伝達意図がどんなものか知っていなくては,その意図が認識できないかのように聞こえる.聞き手は,話し手があることを伝えようと意図しているという前提から話し手がまさにそのことを意味していると推論するわけではない.そうではなくて,どんな話し手もそうであるように,自分が相手している話し手も,なにかを伝達しようと意図しているという推定 (presumption) をもとに,聞き手は推論している.聞き手は,特定の意図の内容ではなくて,この一般的な事実を考慮に入れて,その意図がどういうものかを突き止めようとするのだ.
(Kent Bach, "Saying, meaning, and implicating," The Cambridge Handbook of Pragmatics, 2012. pp.54-55.)
Remember, you've (probably) heard the name before, so you're not having to learn a new /name/, so you just need to associate a familiar name with a new face.(いいかな,その名前は(おそらく)前に聞いたことがあるはずだ.だから,その場で覚えなくちゃいけなくなってるのは新しい *名前* じゃあない. おなじみの名前を新しい顔に結びつける必要があるだけだ.)
(Levitin, The Organized Mind, p.374)
ついでながら,なんで名前を聞いたことがあるはずかと言えば,英語圏の話なので名前といっても John だの Paul だの Robert だの,だいたいプールが決まってるからだろう.日本とはちょっと事情がちがう.
ベストセラー作家マルコム・グラッドウェルの講演での紹介スピーチから引用.冠詞の the と a には強勢がおかれている.
... we have the honor of hearing from Malcolm Gladwell, (拍手) No, no, don't ... not... not THE Malcolm Gladwell, A[eɪ] ...(笑い) there is more than one, so don't, eh, ... don't leave ...
引用したのは記事のタイトル.直訳すると,「感情的なビル・ゲイツがスティーブ・ジョブズとの最後の面会を詳しく語る」くらい.ここでは不定冠詞 a(n) を伴った Bill Gates が可算名詞として扱われている.
本文を見ると,次の箇所がある:
... but the longtime richest man in the world got emotional when the conversation turned to friend and rival Steve Jobs.(…だが,長らく世界一の富豪をつづけている男は,会話の話題が友人にしてライバルのスティーブ・ジョブズに及ぶと感情的になった)
ビル・ゲイツはそんなに感情をはげしく表に出すタイプじゃない.そのゲイツにも,感情をあらわにする側面があるというわけで,その側面を数えることで an emotional Bill Gates という名詞句がなりたつのだろう.
And when technical terms are unavoidable, why not choose ones that are easy for readiers to understnd and remember? Ironically, the field of linguistics is among the worst offenders, with dozens of mystifying technical terms: themes that have nothing to do with themes; PRO and pro, which are pronounced the same way but refers to different things; stage-level and individual-level predicates, which are just unintuitive ways of saying "temporary" and "permanent" (...)
どうしても専門用語が避けられないときには,読者がかんたんに理解して覚えられるものを選べばいい.皮肉にも,言語学はこの指針に反している分野のなかでも最悪の部類で,煙に巻くような専門用語であふれている:「主題」は主題となんの関係もない;PRO と pro はまったく同じ発音なのに別物を指している;ステージレベル述語と個体レベル述語は,「一時的」「永続的」と言えばすむのをピンとこない言い方で呼んでいるだけだ.(…)
サールのインタビュー本 Conversations with John Searle (Libros EnRed, 2001)[Amazon] で引用されている「テロリスト的蒙昧主義」の出典と当該箇所をメモっておこう:
Searle: With Derrida, you can hardly misread him, because he's so obscure. Every time you say, "He says so and so," he always says, "You misunderstood me." But if you try to figure out the correct interpretation, then that's not so easy. I once said this to Michel Foucault, who was more hostile to Derrida even than I am, and Foucault said that Derrida practiced the method of obscurantisme terroriste (terrorism of obscurantism). We were speaking French. And I said, "What the hell do you mean by that?" And he said, "He writes so obscurely you can't tell what he's saying, that's the obscurantism part, and then when you criticize him, he can always say, 'You didn't understand me; you're an idiot.' That's the terrorism part." And I like that. So I wrote an article about Derrida. I asked Michel if it was OK if I quoted that passage, and he said yes.
Foucault was often lumped with Derrida. That's very unfair to Foucault. He was a different caliber of thinker altogether.