2015年11月3日火曜日

授業:悩みは深まるばかり

3つ授業まわりのエントリを書いた:

べつにすごい授業をしてると自負してるわけじゃなく,その逆で,ひたすら困りながら試行錯誤を続けてる.
さすがに教師もどきをやって何年にもなるので,なにをどう工夫すればいいのか,ある程度のノウハウはたまってる.

いちばんできてないのは引き算だ:できる工夫をやればやるだけ時間と労力はとられる.日によっては,午前1時におきて授業準備にとりかかり,始発電車で長距離通勤して,ついた先でもさらに授業準備,そして授業本編をこなして夜9時10時に帰宅,そのまま眠ってまた午前1時ごろに起きて…という生活パターンになることもある.泥沼といっていい.これを少しでも軽減しようとすれば,やるべき作業を減らす必要がある.

楽なやり方はあるといえば,ある.たとえば,語学教科書で長文読解パートをやるとしたら,担当箇所を学生に分担させて「まとめ」させればいい.間違ってる部分に訂正を入れつつ,講師が進行役に回ってやれば,こまごまとスライドをつくりこまなくてすむ.そういうやり方をとっている教員もいるし,それなりに成立してるらしい.

この手を(いまのところ)とっていないのは,学生の粗雑な理解での「まとめ」を見過ごすのがぼくにとってストレスだからだ.英文の構造もなにも正確に理解しないままで,適当なアタリをつけてお茶を濁されるのでは,困る.じゃあ,ダメなところや誤解を全部正す? できるわけがない.確実に学生の意欲はしぼむ.

それがいやなら,正確に理解してポイントを押さえて「まとめ」てもらうためのやり方を教えなくてはいけない――そのやり方っていうのは,つまるところ,そこにある英文を正確に理解することにつきる.それには正確な理解を助ける補助線を教員が用意しなくてはいけなくて,するとけっきょくはいまやってるスタイルの授業と大差なくなる.もちろん,労力も時間もかかる.

それに,たいていの学生がやる「まとめ」は,それを聞いている他の大多数の学生にとってほとんどまともな学習にならない.ようするに,クラス全体でみた時間の空費が大きすぎる.

手の抜きどころは探らなくちゃいけないけど,じぶんがかろうじて納得できる水準の授業を維持しようとすれば,どうにもコストがかさむ結果になってしまう.悩みは深まるばかりだ.

――なんてことをいまブログに書いていられるのも今週はたまたま休みが連続してるからで,ふだんは悩みを書く余裕もない.

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