2020年12月16日水曜日

「犬笛を幻聴に置き換えても,告発の中身はなにも変わらないだろうと思いますね」

 しばらく前のスティーブン・ピンカー告発書簡では,ピンカーが人種差別的な「犬笛使用」(dogwhistling) をやったというのも LSA フェロー除名の理由に挙げられていた.これについて,Reason 誌の記事ではこんな風に書かれている:

ピンカーに対する6つ目の糾弾では,告発者たちがピンカーを人種差別的な「犬笛使用」(dogwhistrling) で告発している.彼らによれば,犬笛使用とは「〔そんなことはしていないと〕否認しうる言語行為」であり,外部集団と内部集団に同時に別々のメッセージを送る(内部集団あてのメッセージはおうおうにしてタブーであったり物議を醸すものであったり扇動的なものであったりする)」のだという.ピンカーが2つのツイートでやったとされる犬笛使用には, "urban violence"(都市での暴力)と "urban crime"(都市での犯罪)が含まれている.当該のツイートは,それぞれ別の社会学者が執筆した2本の『ワシントンポスト』論説を引用している.論説は,警察の予算を減らすとさまざまな問題が生じるだろうという内容だ.ピンカーをアメリカ言語学会〔のフェロー〕から追放しようと試みている人々の頭のなかでは,これらのフレーズは「黒人の人々を本質からして劣った存在ということにしたり,しばしば本質からして犯罪者として扱ったりする見解」を支持する暗号のような人種差別的表現だということになっている.ピンカーがそうした犬笛使用をしたという証拠に,どちらの論説でも論者じしんはそっくりそのままのフレーズを使っていないと書簡の執筆者たちは指摘する.

なるほどプリンストン大学の社会学者パトリック・シャーキーはこう書いている:「暴力は都市にとって根本的な課題だ:公共空間が安全でなければ,なにもごとも機能しない」〔"urban" を使っていない〕.さて,一般的に,形容詞 urban は「都市の」「都市に関わる」という意味だとよく定義されている.ちなみに,シャーキーは著書に『落ち着かない平穏:犯罪の大減少・都市生活の刷新・暴力に対する次の戦争』があり,2018年に『ニューヨークタイムズ』論説にこんな題で寄稿している:「都市犯罪減少から得られる2つの教訓」("Two Lessons of the Urban Crime Decline").この論説でシャーキーは(『ワシントンポスト』論説のときと同じく)こう論じている―――警察と協力している地域社会の組織・団体は「都市暴力の撲滅」("combating urban violence") できわめて重要な役割を果たしうる.

もう一人はノースイースタン大学の犯罪学者ロッド・ブランソンで,『ワシントンポスト』論説では警察活動が不十分な場合の危険について述べている.ブランソンは,効果の上がらない警察活動について長らく言われている不満を言い表す際に,こう書いている:「住人たちは都市の居住地域 (urban neighborhoods) に不安を感じている.」 また,近年,「とくに低所得の地域で,アフリカ系アメリカ人やその他の非白人の人々が警察に虐待を受けるおそれ」に関心が集まっていることにブランソンは注意をうながし,警察がなによりも解決に手こずっている種類の暴力犯罪が「まさにそうした地域社会にもっぱら集中している」という初見を述べている.興味深いことに,ブランソンは 2019年に Annual Review of Sociology に掲載された論文「人種・場所・効果的警察行動」の共著者でもある.この論文では,「都市犯罪問題 (urban violent crime problems) のお粗末な分析と不適切な記述は,刑事司法制度における人種間格差をいっそう悪化させるプログラムや問題のある警察行動政策の採用につながりうる.」 シャーキーやブランソンも,犬笛を使用していたことになるだろうか? 

どうやら,「ピンカーは犬笛を使っていたのではなくて,もしかして,人種と警察活動に関する現代の問いを理解するのに役立つと思った論説を読者に知らせようとして,Twitter で文字数を減らすフレーズを使っていただけなのでは」という考えは,熱狂していた書簡執筆者たちには思い浮かばなかったらしい.ピンカーはこんな所見を語っている.「犬笛使用というのは,当該の人物が口にした文字通りの実際の中身にはないのにあるということになっている犬笛使用をやすやすと聞き取れてしまうために誰であろうとどんなことでも言ったと主張できる玄妙な聖書解釈技法なんですよ.」「犬笛を幻聴に置き換えても,告発の中身はなにも変わらないだろうと思いますね.」


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