評価感応性 Assessment Sensitivity
ルイスが明らかにしているように,こうした理論で指標が果たす役割はひたすら技術的なものだ.パラメタを動かす演算子がない場合には,そのパラメタは指標に必要ない.また,パラメタを動かす演算子がある場合には,そのパラメタを指標に入れるのを正当化する理由は他に必要ない.指標は,たんに文脈にてらした真偽の体系的な定義を与えるために仕組みの一部でしかない.指標にそれ以外の役割はなく,体系の外で他の制約にしばられてもいない.
よって,指標に奇妙なパラメタ(味覚・趣味趣向 [taste],情報状態,etc.)が存在しているとしても,それだけでは意味理論が哲学的に興味深い意味で「相対主義的」になるわけではない.そうしたパラメタが指標に存在していたとしても,文脈にてらして文に真理値を付与したり確言が正確かどうかを絶対的に判断したりできなくなるわけではない.
この点は,標的とする観念を変えて,正確かどうかが絶対的でない可能性の余地が残るようにすると,もっと明瞭になる.真偽を使用文脈にてらして定義するのではなく,使用文脈と評価文脈とにてらして真偽を定義しよう――評価文脈とは,言語行為や心的態度が評価される可能な状況のことをいう.文脈感応性には2種類が区別できる.ある表現が使用感応的 (use-sensitive) なのは,その外延が評価文脈の各種特性に左右される場合だ.あるいは,もっと細やかな区別をするなら:ある表現が F-使用感応的なのは,その外延が使用文脈の F に左右される場合であり,F-評価感応的なのはその外延が評価文脈の F に左右される場合だ.「相対主義的な」意味理論とは,ある表現が評価感応的だと考えるもののことだ.これはようするに,正確かどうかが評価文脈に相対的だと考えるということになる〔「評価文脈の F」と言っているのは,「特性」(feature) の頭文字 f をとっているのだろう〕 .なぜなら――
正確性嗜好 [taste] パラメタを指標に採用する構成的な意味論(おそらくは「どんな嗜好の基準でも」('on any standard of taste') のような演算子が意味をなすようにすべく嗜好パラメタを採用する意味論)は,どんな表現であっても,それが嗜好-評価感応的だと考える必要がない.そうした意味論は,文脈主義的ポスト意味論とでも相対主義的なポスト意味論とでも組み合わせうるからだ.
文脈 c での S の確言が c' から評価して正確なのは,c で使用された S が c' から評価して真であるとき,そのときにかぎられる.
文脈主義のポスト意味論 (Contextualist postsemantics)文脈主義の理論によれば,「これはおいしい」という確言が正確かどうかは,確言した時点で提示されている食べ物の物理的な傾向性 [disposition] とそう確言した時点における話し手の嗜好とに左右される.これと対照的に,相対主義の理論によれば,この確言が正確かどうかは確言した時点で提示されている食べ物の物理的な傾向性と評価時点における評価者の嗜好とに左右される.同じ確言でも無限に多様な視座から評価できることから,この確言が正確かどうかという問いには視座に相対的な答えしかない.
文脈 c で使用された(そして c' から評価された)場合に S が真になるのは,S が c, <w_c, t_c> で真であるとき,そのときにかぎられる.ここで言う w_c は〔発話文脈である〕 c の世界であり,t_c は〔評価文脈である〕c の行為者(すなわち評価者)の嗜好である.
相対主義のポスト意味論 (Relativist postsemantics)
文脈 c で使用され,さらに c' から評価された場合に S が真なのは,S が c, <w_c, t_c'> で真であるとき,そのときにかぎられる.ここで言う w_c は c の世界であり,t_c' は c' の行為者(すなわち評価主体)の嗜好である.
2019年1月24日木曜日
マクファーレン「評価文脈相対主義」を訳読してみよう #05
つづきだよ.今回から 'taste' の訳語を「嗜好」に改めた.
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