2018年9月17日月曜日

言い過ぎじゃない? だいじょうぶ?

與那覇潤「大学でいちばん大切なこと」(『B面の岩波新書』,2018年9月15日)という文章がTwitterのタイムラインで流れてきて,うっかり読んでしまった.


だいたいこんな話だ:とても優秀な学部生が提出した卒論が盗用してたのが発覚してしまった,他人の文章を適切に引用する基本もおさえずに学部を修了しようとしていたことは嘆かわしい,引用も含めた議論の「作法」を身につけることで他人と「口喧嘩」ではない「討議」ができるようになるのだ――とまあ,こういう話があって,そのあとにこんな箇所がやってくる:
この意味で、政治学に限らず大学教育は「民主主義への通過儀礼」だったはずであり、専門が英文学か日本史か、はたまた分子生物学かは、「儀式の祭具になにを用いるか」の相違でしかない。(太字強調は引用者によるもの)
ほんとに? 「民主主義への通過儀礼」の「祭具」になりさえすれば――討議の基本になる作法を身につけさせる手段になりさえすれば?――,英文学や日本史や分子生物学みたいな分野の違いはどうでもいいの? それぞれの分野の専門知識の習得は,そのための手段になりさえすればOK?

…そうだね,適切な引用の仕方も含めて議論の作法を身につけることが他人とうまく討議する役に立つという話は,きっとそうだろうと思う.それが民主主義に参加する一員としてのぞましい資質だってことも,わかる.でも,大学教育ではそういう作法の習得さえできれば専門分野のちがいはどうでもいいの? 議論の作法が大事だってことを言いたいあまりに,大学で学ぶ他の事柄の値打ちを否定してしまってるように思える.

もしかすると著者としてはそこまで言うつもりはなかったのかもしれないけれど,それなら上記の言い回しは言いたいことと釣り合いがとれてなくて,強すぎる.

「~でしかない」みたいな言い方をやめて,こういう話にしててくれれば,それほどおかしくはないと思う:
専門分野ごとの知識も大事だけれど,{それよりも/それと同じくらい},議論の作法を身につけるのは大事だ.だって,民主主義に欠かせない討議の質をよくするだろうから.大学教育はそういう部分も担ってるし,これからも担うべきだよ.
これじゃ穏当であまりかっこよくない? そうかもね.でも,言わんとする主張を強調したいあまりに言い過ぎてしまったら,いいことを言ってても台無しだよ.

(別件:冒頭にでてくる卒業論文での盗用の件については,大学教育の根幹みたいな話をするより,もっと実際的な対処法を考えた方がよさそう.1つの問題事案から大学教育全体の議論まで話が進むのは,飛躍が大きすぎる.)


追記:なるほどそれもそうだな,というツイートを見かけたよ:


さらに追記:ごもっともな指摘をいただいたよ:


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