2018年9月13日木曜日

定義のルール #2:「用語の意味が争点になったときは明瞭な事例から手をつけよう」

ウェストンせんせいの「定義」解説の続き(こちらも参照: #1 & #3; これで定義の箇所はぜんぶ訳しちった).
D2: 用語の意味が争点になったときは明瞭な事例から手をつけよう
たまに,用語の意味が争点になる場合もある.つまり,用語そのものの適切な適用をめぐってああだこうだと議論になる場合がある.そういうときには,たんに用語の意味をはっきりさせる案を出すだけでは足りない.もっと込み入った論証が必要になる.

言葉の意味が議論の的になったときには,それに関連する3つの物事を区別するといい.1つめは,その言葉がはっきりと当てはまる物事.2つめは,その言葉が当てはまらないのがはっきりしている物事.そして,この中間にあるのが,当てはまるかどうかがはっきりしない物事だ――これには,当てはまるかどうか議論のわかれているものも含まれる.そこでキミの仕事は,こういう定義を編み出すことだ:
要件1. その言葉がはっきり当てはまるものすべてを含み;
要件2. その言葉が当てはまらないのがはっきりしているものすべてを除外し;
要件3. 中間のどこかに *できるだけ平易な* 線引きをして,他でもなくそこに線引きをする理由を *説明* する.
たとえば,「鳥」をどう定義したらいいか考えてみよう.正確なところ,鳥とはなんだろう? コウモリって鳥だっけ? 
要件1 を満たすには,定義しようとしているものがもれなく属す一般的な範疇(類概念)から出発するとやりやすいことが多い.鳥だったら,自然界の類概念は動物だ.次に,要件 2 と 3 を満たすべく,鳥が他の動物たちとどうちがうのかつきとめる必要がある(「種差」(the differentia).そこで,ぼくらが知りたいのはこれだ:鳥を――あらゆる鳥,そして鳥だけを――他の動物から区別するのは正確に言ってなんだろう? 
見かけよりこれは面倒かもしれない.たとえば,飛べるかどうかで線引きはできない.ダチョウやペンギンは飛ばない(ので,いまネタだしした定義ではとりこぼされる鳥が出てきて,要件 1 を破ってしまう).しかも,クマバチや蚊は飛ぶ(ので,さっきの定義だと鳥でないものも含まれて要件 2 に違反してしまう).
実は,鳥だけをもれなく他から区別するのは,羽毛をもっている点だ.ペンギンやダチョウは飛ばないけれど羽毛ははえている――飛ばなくても鳥にはちがいない.でも,飛ぶ昆虫には羽毛はないし,(「あれはどうなの?」と疑問が浮かんでいるなら)コウモリにも羽毛はない.
じゃあ,もっと難しい例を考えてみよう:「ドラッグ」を定義するのはなんだろうか? 
今回も,はっきりしている事例から出発しよう.ヘロイン・コカイン・マリファナは明らかにドラッグだ.一方,空気・水・たいていの食べ物・シャンプーは明らかにドラッグじゃない――それでいて,どれもみんなドラッグと同じく「物質」で,しかもみんなの体につけたり摂取したりする物質だ.当てはまるかどうかはっきりしない事例にはタバコやアルコールがある.[n.12] 
そこで知りたいのはこれだ:「はっきりドラッグに該当する事例を *もれなく* 含む一方で,明らかにドラッグに該当しない事例は *ひとつも* 含まないで,両者にはっきりした線引きをする一般的な記述はあるだろうか? 
これまで,ドラッグは体や心に影響する物質と定義されてきた――大統領諮問委員会ですらそう定義した.でも,この定義はあまりに広すぎる.この定義だと,空気・水・食べ物などなども該当してしまって,要件 2 を満たせない.
また,こんな具合に定義するわけにもいかない――「ドラッグとは,心や体になんらかの影響をもたらす *違法な* 物質である.」 なるほどこの定義ならしかるべき物質をおおよそ含むことになるかもしれないけれど,要件 3 を満たしていない.どうしてそこで線引きするのか,理由を説明してない.そもそも,「ドラッグ」をなんとか定義しようとしてる狙いは,どの物質が合法でどの物質が違法なのかを決めることだったんでしょうに.ドラッグを違法な物質と定義すると,途中をとばしてこの狙いを先取りしてしまう.(専門用語で,これを論点先取りの誤謬 (the fallacy of beggin the question) と呼ぶ).
これはどうだろう:
《「ドラッグ」とは,特定のかたちで我々の心の状態を変えるのに主に使われる物質である.》
ヘロイン・コカイン・マリファナは明らかに該当する.一方,食べ物・空気・水は該当しない――なぜなら,たしかに空気や水も心に影響するけれど,その効果はこれと決まったものではないし,飲んだり食べたりする主な理由はそういう効果を得るためでもないからだ.次に,当てはまるかどうかはっきりしない事例については,こう訊ねてみよう:その *主な* 効果は特定のもので,しかも *心に* 影響するものだろうか? ドラッグをめぐるいまの道徳的な論争でもっぱら関心事になっているのは,知覚をゆがめたり気分を変えたりする効果のように思える.すると,この定義は人々がほんとうに立てたがっている区別をうまく捉えていると言えそうだ.
「ドラッグは中毒性である」という項目も入れた方がいいだろうか? たぶん,いらない.物質によっては中毒性があってもドラッグではないものもある――一部の食べ物はたぶん中毒性だ.それに,「特定のかたちで心の状態を変える」物質であっても中毒性が *ない* ものがあるとわかったとしたら,どうだろう?(一部の人たちによれば,マリファナはまさにそうだという.) そうすると,マリファナはドラッグでないんだろうか? たぶん,中毒性が定義するのは「ドラッグ濫用」であって,「ドラッグ」そのものではないんじゃないかな.

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