2018年9月12日水曜日

定義のルール#3:「定義は論証の代わりにはならない」

アンソニー・ウェストンせんせいの『論証のルールブック』の付論では,定義の取り扱いを解説している.ちょっとだけ抜粋してみよう:

D3: 定義は論証の代わりにはならない

定義は考えをまとめたり,似てるものどうしをひとくくりにしたり,重要な類似点や相違点を抜き出すのに役立つ.言葉をはっきり定義してみたらさっきまで議論で対立していた2人が実はその論点をめぐってなんにも異論がなかったのに気づくことだって,たまにある.
でも,定義そのもので難しい議論の決着がつくことなんてそうそうありはしない.たとえば,特定の物質にどういう立場をとればいいか決めたいという理由もあって,「ドラッグ」を定義しようと試みたりする.けれど,そういう定義そのものでは,この問いに答えられない.さっき提案した定義では,コーヒーはドラッグだ.カフェインはたしかに特定のかたちで心の状態を変える.それどころか,中毒性すらある.でも,だからコーヒーは禁止すべきだってことになるかな? ならないよね.だって,カフェインの効果は穏やかで多くの人にとって社会的に好ましいもの.どんな結論を下すにしても,そのまえに便益と害悪を天秤にかける試みが必要だ.
マリファナは,さっきの定義だとドラッグに該当する.さて,マリファナを(引き続き)禁止すべきだろうか? コーヒーと同じく,もっと論証が必要だ.人によっては,マリファナもごく穏やかで社会的に好ましい効果しかもたらさないと主張してる.彼らの主張が正しいと仮定すると,ドラッグに該当するとしてもマリファナは(コーヒー同様)禁止すべきじゃないと主張できる.他方で,マリファナははるかに悪しき効果をもたらすし,もっとハードな他のドラッグに手を出す「糸口」になりやすいと主張する人たちもいる.もし彼らの主張が正しいなら,ドラッグに該当してもしなくてもマリファナは禁止すべきだと主張できる.
あるいは,もしかするとマリファナは他のなにより特定の抗鬱薬や興奮剤に似ているのかもしれない――抗鬱薬も興奮剤も,(はい,ここテストに出ますよー)さっきの定義だと実はドラッグに該当する.だけど,こうした医薬品に求められるのは禁止ではなくて *管理* だ.
一方,アルコールはさっきの定義でドラッグに該当する.というか,他のなによりも広く利用されてるドラッグだ.アルコールの害はとても大きくて,たとえば肝臓の疾患や赤ちゃんの先天的障害につながるし,交通事故死の半数は飲酒運転だったりと,いろんな害がある.じゃあ,アルコールは制限か禁止が必要だろうか? もしかすると必要かもしれない――ただ,これにも反論がある.ここでもやっぱり,アルコールを禁止すべきかどうかの問いを落着させるのは,アルコールはドラッグだという定義じゃあない.是非をわけるのはアルコールの *効果* だ.
まとめよう.定義は議論をはっきりさせる役には立つけれど,定義そのもので論証が成り立つことはめったにない.自分の用語ははっきりさせよう――自分がどんな問いを立てているのか正確に知ること.だけど,議論や用語をはっきりさせるだけで問いに答えられるなんて期待してはいけない.
原書は今年の2月に第5版が出てる(実はさっき気づいた;上記の原文は第4版だったけど,照らし合わせてみたところ,この新しい方でも変更点はなかった).
旧版 (3rd edtition) の翻訳はいまでも古本でお安く入手できるようだ:

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