2018年9月12日水曜日

定義のルール #1: 「用語の意味がはっきりしないときは,意味をつきとめよう」

昨日抜粋した「定義は論証の代わりにはならない」のついでに,ウェストン『論証のルールブック』から定義を解説してる他の箇所も少し訳してみよう:

ときに,論証のなかで言葉の意味に注意を払う必要が出てくる場合がある.すでに定着した単語の意味を知らない場合もあるし,定着した意味が専門的な場合もある.たとえば,キミの論証の結論が「ウィージャックたちは草食動物だ」だったとしよう.キミが最初にとりかかる仕事は,用語を定義することだ.いや,議論相手がアルゴンキン族の生態学者だったら話は別だけど [n.11].他の人がこの結論を述べてるのに出くわした場合なら,最初にやるべきことは辞書を引くことだ.
原註 11. 「ウィージャック」はアルゴンキン族の言葉で,北米の東部に生息するイタチに似た動物のことだ.英語だと "fisher" と呼ばれている.「草食動物」とは,植物しか食べない動物か主に植物を食べる動物をいう.実は,ウィージャックは草食動物じゃない.
他方で,ふつうの人がよく使う言葉だけれど意味がはっきりしないものもある.たとえば,「幇助自殺〔安楽死〕」の議論をしているのに,正確なところこれがどんな意味なのか必ずしもわかっていなかったとしよう.幇助自殺について実のある議論をするには,その前に自分たちがいったいなんに *ついて* 議論しているのか理解の足並みをそろえておく必要がある.
他にも,定義が必要になる場合がある.言葉の意味が論議の的になっている場合だ.たとえば「ドラッグ」ってなんだろう? アルコールはドラッグなんだろうか? 煙草はどう? ドラッグだとしたらどうなの? こういう問いに答えるのに,なにか論理的な方法は見つけられるだろうか?
D1: 用語の意味がはっきりしないときは,意味をつきとめよう
うちのお隣さんに,厄介ごとが持ち上がった.お隣さんが玄関先の庭に高さ80センチほどのミニチュア灯台模型を建てたところ,市の歴史地区委員会からお叱りが飛んできた.市の条例では,歴史地区で庭に定着物を設けることが禁止されている.お隣さんは委員会に呼び出されて,撤去を命じられた.こうして,撤去するのしないのの騒動がはじまって,新聞に記事が載るまでになった.
ここで辞書が助け船になった.ウェブスター英語辞典を引くと,「定着物」(fixture) とは建物に固定されたり取り付けられたりしているものとある.たとえば,構造の一部になっていたり,備え付けになっているものが定着物だ.ところが,お隣さんのミニチュア灯台は固定されていなかった――庭の置物みたいなものだったんだ.というわけで,このミニチュア灯台は「定着物」ではございません,となった――条例を調べてみても,他の定義をとくに述べてはいない.だから,これは禁止されてはいないのがわかった.
もっと難しい問題だと,辞書もそこまで助けにならない.たとえば,辞書の定義ではよく同義語をもちだしているけれど,もともと定義しようとしていたその同義語の方も同じくらいはっきりしないこともある.それに,辞書は複数の定義を並べる場合がある.これだと,そのなかからどれかを選ばなくちゃいけなくなる.さらに,辞書がとんだ間違いをしてることもある.たしかにウェブスター英語辞典は,ときに危機を救ってくれるヒーローにもなるけれど,その一方で,「頭痛」を「頭部の痛み」と定義していたりもする――この定義は広すぎる.おでこや鼻先をハチに刺されたり切り傷をつけてしまったりしても頭部に痛みが走るだろうけど,これは頭痛とはちがう.
というわけで,単語によっては,自力でもっと正確にする必要がある.あやふやな言葉は使わず,具体的ではっきりした言葉で定義すること(ルール #4).意味を限定しつつ,言葉の意味を狭くしすぎないように.
《有機食品とは,化学肥料や殺虫剤を使わずに生産された食品である.》
こういう定義なら,なにを言ってるかすっきりわかって,検討・評価できる.言うまでもなく,必ず論証のはじめからおわりまで定義を一貫させること(「用語の意味をずらすべからず」).
辞書には,かなり中立的だという美点がある.たとえば,ウェブスター英語辞典では「中絶」を定義してこう言っている――「哺乳類の胎児を出産時期より早く強制的に排出すること」("the forcible expulsion of the mammalian fetus prematurely").これは適切な中立的定義だ.中絶が道徳にかなっているかどうかを決めるのは辞書の仕事ではない.中絶論争の一方の側でよく見かけるこんな定義と比べてみよう:
《「中絶」とは「赤子を殺害すること」という意味である.》("'Abortion' means 'murdering babies.'")
この定義は感情的な含みがある.胎児は赤ちゃんと同じではないし,「殺害する」(murdering) という言葉は善意の人たちに悪意を押し被せてしまって公平でない.胎児の生命を終わらせることは赤ちゃんの生命を終わらせることに似ているというのは,論証できる命題ではあるけれど,それは論証によって *示す* べきであって,ただ定義によって *決めてかかる* わけにはいかない.(ルール #5 と説得的定義の誤謬を参照.)
ときには,少しばかり調べ物をする必要があるかもしれない.たとえば,ちょっと調べてみれば,幇助自殺」とは意識があって正常な思考のできる人が自殺を手配して実行する手助けを医師に許すという意味だとわかる.患者につないだ管を本人の合意なく医師が外すことは,これに該当しない(こちらは「当人の意志によらない安楽死」で,また別の範疇に属す).この定義での幇助自殺に反対する立派な理由があるという人もいるかもしれないけれど,最初にこの定義をはっきりさせておけば,少なくとも賛否どちらの側も同じ事柄について議論することになる.
個々の事例が該当するかどうかを決めるテスト法や手順を特定して用語の定義ができる場合もある.こういう定義を「操作的定義」(operational definition) と呼ぶ.たとえば,ウィスコンシンの法律では,立法に関わる会議をもれなく市民に公開するよう求めている.だけど,この法律の趣旨に照らして「会議」に当たるのは正確なところどんなものだろう? 法律は,見事な規準を提示している:
《「会議」とは,そこで議論される法律の制定を否決するのに十分な人数の議員が集まることである.》
この定義は,普段みんなが言う「会議」を定義するには狭すぎる.けれど,この法律の目的ならちゃんと達成している:つまり,市民の目が届かないところで議員たちが重要な決定を下すのをこの定義は阻止している.

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