たとえば,友達に(子供たちに,親に,まあとにかく誰かに),もっと豆を食べるよう納得させたいと思ってるとしよう.きっと,世界でいちばん有望な命題にも大重要な命題にも思えないだろうけれど,ともあれ,最初の例題としてはわるくない――それに,食生活は大事だよね! この論証を立てるにはどうすればいいか考えてみよう.結論はこれだ:ぼくらはもっと豆を食べた方がいい.キミはそう信じてる.でも,どうして? 理由はなに? なによりはっきりさせるために,そこのところをじぶんで言葉に言い表して,ほんとうにちゃんとした理由になっているかどうか確かめる必要があるかもしれない.他人にもこの結論に賛成してもらって食生活を変えてもらおうというなら,必ずよい理由を述べないといけない.というわけで再び:きみの理由はなんだろう? おそらく,主な理由にはこれがある――「豆は健康的だ:たいていの人たちがいま食べているモノに比べて,豆の方が繊維とタンパク質が豊富で脂肪とコレステロールは少ない.」 そうすると,適切に他の食品で補完していれば,豆の多い食生活は寿命を延ばし生活をもっと活発にできるだろう.キミとしては,友達や家族がこの理由を前に耳にしたことがあったりよく理解したりしていると想定したくないかもしれない――かりに相手がこの理由を知っていたとしても,少なくとも,思い出してもらうのは有用だ.人々にその気を起こしてもらうには,さらに主な前提を付け加えた方が役立つだろう.豆は味気ない食べ物だというステレオタイプで覚えられている場合も多いので,ここはひとつ,ほんとは豆料理だって多彩でおもしろい味わいにできると論じてみたらどうだろう? いくつか具体例を出してみよう.なんなら,自己流の豆料理もいいだろう:たとえば,スパイシー黒豆のタコスに,(ひよこ豆でつくった)豆ペーストなんていいんじゃないかな.ジョークだって,論証になりうる.まあ,理由はバカっぽく思えるかもしれないけれど.地上に暮らすのはたいへんかもしれない.でも,こいつには毎年太陽の回りを一周できる権利が無料でついてくるんだよ.人生が苦しいときになんとか耐え忍ぼうとするときに,ふつう,「太陽の回りを一周できる権利が無料でついてくる」なんて理由を持ち出したりはしない.でも,これも理由にはちがいない:ときに人生がほんとうにろくでもないものに思えるとしても,実はそれほどわるいものじゃないという主張を正当化する試みに,これはなっている.ルール #1「前提と結論をはっきりさせよう」の「はっきりさせる」には,関連し合った2つの意味がある[*1].ひとつは,それぞれを区別することだ.理由は結論とは別物だ:両者をはっきり区別しておこう.太陽の回りを一周する権利が無料でもらえるというのは,苦しいときに人生を耐え忍ぶのと別の事柄であり,そちらの方が論理の上で先にくる.これが前提だ.もっとうまく耐え忍べるようになるのは,そこから導かれることかもしれない.そちらが結論.前提と結論が区別できたら,どちらも自分が責任をもちたい主張かどうか確かめよう.これが「はっきりさせる」のもうひとつの意味だ.もし責任をもちたくないなら,他のに変えること! ともあれ,他の人にはっきり言えるようになるには,その前に自分にはっきり言えるようになる必要がある.本書では,論証がとりうるいろんな形式をとりそろえたリストを提示する.このリストを利用して,キミの前提を発展させてほしい.たとえば,なんらかの一般化を擁護するには,第2章を読んでみるといい.そうすれば,一般化するときに一連の具体例を列挙して前提にする必要があるのを思い出せるし,どんな種類の具体例を探せばいいのかもきっとわかる.キミの結論に,第4章で解説してるような演繹的論証が必要なときには,そこであらましを述べているルールから,必要なタイプの前提がわかるはずだ.もしかすると,何通りかの論証を試してみてやっとうまくいく論証が見つかるかもしれない.
[*1] 訳註: 原文では,ルール #1 をこう述べている: "Resolve premises and conclusion".動詞 resolve には,「要素に分解する」という意味と,「決心する」という意味がある.つまり,前提・結論という要素に分解しましょうという話と,その前提・結論に責任をもつ決心をしようという話をこのルールではやっているわけだ.
旧版では,ルール #1 の解説にホームズの例なんかを使ってたけど,それはぜんぶ改めたらしい.
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