「なにかをよいと言うときに,わるいものを引き合いに出す必要はない.あるいは,引き合いに出すべきではない」という考えについて.
これは,場合によるよね.たとえば,「Aさんはとても歌がうまい」と褒めたいのだったら,「それに引き比べて,Bさんはひどい音痴だ」と付け加える必要はないし,もっと言えば,それを加えるとせっかくの Aさんへの讃辞が濁ってしまって,褒められた Aさん本人もうれしくないかもしれない.それに,むしろ Bさんを貶してやろうという意図の方がよほど露わになっていることもある.「わるいものを引き合いに出さなくていい」というとき,多くの人は,こういうことを思い浮かべていると思う.
他方で,「こうするとよくなる,こうするとうまくいかない」という論点があって,その例示のためなら,よい例とわるい例を比べるのは必要ですらある.たとえば,「ドアのデザインでは,どこを押せばいいのか一目で分かる方がいい」という論点のために,その例示としてよいデザインとわるいデザインを出すのは理にかなっているし,必要なことだ.
このふたつがごっちゃになる人は,そうそういないだろうと思う.ただ,たとえば映画やら音楽やら漫画やらの感想を語るときに,(a) 作品をほめるのを目的にしているのか,(b) 作品のよしあしの論点を語ることを目的にしているのか,区別がつけにくくあやふやになってしまうことはあるかもしれない.
それに,全体としてなにかを「ほめる」話であっても,
(1) 大きな目的「Aをほめる」
→(2) そのための小さな目的「Aの具体的に優れているところを語る」
→(3) そのための例示「悪い例 B を示して対比する」
――という構成になってることもあるだろう.
また,ぼんやりした人だと,とにかく Aをほめる話のなかで B を悪く言う箇所が出てきたというだけで「気分悪くなった!」とか言うかもしれない.そういう人に,「いや,(2) と (3) のつながりがわかってれば,そんなに気分を悪くするようなものじゃないでしょ」と言っても,むなしい.