2016年6月18日土曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(22)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクとの対論をちまちま訳しています(前回はこちら).

以下,訳文:




3つ目の例は,大きくなった子供たちの例です.ジャッキー・エクルズによる研究を参照します.エクルズは,6年生の男の子・女の子をもつ親たちにこんな質問をしました――お子さんは,どれくらい数学の才能があると思いますか? 女の子の親たちと比べて,男の子の親たちは,我が子に才能があると判断する傾向が上回っていました.学校での数学の成績・標準化テストでの点数・教師による評価・子供じしんが表明した数学への関心度合いを総合してみると,男の子と女の子になんらのちがいもありませんでした.それでも,目に見えず触れもしない我が子の才能を親たちがどう捉えているかという点にはちがいがあったのです.他の研究でも,理科で同様の効果が示されています.

親による子供たちの捉え方と客観的な数値のあいだには不一致があります.しかし,親たちには,客観的な数値にはでてこないなにかが見えているという可能性はないでしょうか? もしかすると,数学クラスで B 評価をとる男の子に実は数学の天賦の才があって,パパやママはそれに感づいている,ということもありうるのでは? この可能性をはっきりさせるには,まったく同じ赤ちゃん,または子供,または Ph.D 申請者をいろんな人に観察してもらって,対象を男女のどちらを思っているかという点を操作する必要があります.そして,男女どちらを思っているかによって観察する人たちの捉え方が影響されるかを調べればいいでしょう.

そういう研究は困難ですが,例はあれこれとあります.そのごく一部を紹介しましょう.多くの研究は,次のかたちをとります:いろんな親たちや学生たちのグループに,性格を知らない赤ちゃんの動画を見てもらいます.グループの半数には赤ちゃんを男の子の名前で紹介し,もう半数には女の子の名前で紹介します.(男の子でも女の子でも,赤ちゃんの見た目はあまりちがいません.) 観察役の人たちに赤ちゃんの様子をみてもらったあと,一連の質問をします:「赤ちゃんはなにをやっていますか?」「赤ちゃんはどう感じているでしょうか?」「強い弱いの尺度で赤ちゃんをどのへんに評価しますか? より利発かそうでないかの尺度ではどうでしょう?」 すると,重要な発見が2つ得られました.

第一に,赤ちゃんがやっていることが「こう」としか解釈できないときには,〔観察役の人たちによる〕報告は赤ちゃんの性別に影響されませんでした.赤ちゃんがはっきりニコッと笑っているときには,誰もが「赤ちゃんは笑っています」「よろこんでいます」と言います.子供の捉え方はたんなる幻覚ではないわけですね.第二に,子供たちはよくあいまいなことをします.すると,見て分かる子供の行動から容易に答えを読み取れない問いに,親たちはぶつかります.そうしたとき,興味深い性別によるラベリング効果が現れるんです.たとえば,ある研究では,子供がびっくり箱で遊んでいる様子が動画に映ります.箱からいきなりピエロが飛び出して,子供はおどろいて後ろに飛び退きます.人々に,「子供はどう感じていますか?」と訊ねると,女の子の名前を知らされていた人たちは「怖がってるんですよ」と答えました.ところが,男の子の名前を知らされていた人たちは「怒ってるんだ」と答えました.同じ子供,同じ反応でありながら,解釈が分かれたのです.

他の研究でも,男の子の名前で紹介された子供たちは「強い」「利発」「活発」と評価されやすく,女の子の名前で紹介された子供たちは「小さい」「やさしい」などと評価されやすい傾向がでました.


――今日はこれだけ.

つづきます

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