スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクとの対論をちまちま訳しています(前回はこちら).先行のピンカーが提示した証拠と対立する証拠をスペルクが提示しているところ.
以下,訳文:
エリザベス・スペルク:では,第三の主張に目を転じるとしましょう.この主張によれば,一般的能力か,あるいはもっと限定的に量的能力のどちらかにおいて男性の方が分散が大きく,そのため,能力分布の上下両端で男性の方が多くなるのだと言います.このへんは,スティーブがすでにカミリア・ベンバウとジュリアン・スタンリーの研究について話してくれていますので,さっさと話を進めて,数学的に早熟な子供たちの話に傾注するとしましょう.ここでとりあげるのは,13歳の時点でふるいにかけられて,密度の濃い特別進級プログラム [accelerated programs] に組み込まれた子供たちで,追跡調査の対象となって,数学その他の分野での達成度を調べられたました.
スティーブが言ったように,この生徒たちは SAT のスコアにより 13歳時点でふるいにかけられました.このとき,SAT-M の最高水準にいた生徒たちには,女の子よりも男の子が多くいました.1980年代に,この隔たりは,13対1ほどでした.いまは大幅に隔たりが狭まりましたが,それでも,大人数の才能ある標本からえられた最上位スコアをもつごく少数の集団では,男の子の方が多いことに変わりはありません.こうしたデータに基づいて,ベンバウとスタインリーはこう結論づけました――将来の数学者を生み出すだろうプールには,女の子よりも男の子の方が多い.しかし,この結論が抱える問題点に注意しましょう:この結論は,全面的に SAT-M に依拠しているのです.このテストにせよ,そこで明らかになった隔たりにせよ,説明を必要とします.つまり,この才能ある集団に見られる性差を評価し理解するために,もっとゆるぎないモノサシが必要です.
さいわい,ベンバウとスタンリーとルビンスキーは,こうした数学の才能豊かな男の子・女の子たちに関するデータをさらにたくさん収集してくれています:時間制限のあるテストでの最上位スコアのデータだけでなく,特別進級で学習を進めて追跡調査の対象となった男の子・女の子たちのもっと大きな標本を彼らは集めています.彼らが見いだした重要事項の一部を見ていきましょう.
まず,彼らは才能ある標本集団による大学の成績に目を向けました.それでわかったのは,男女ともに,同等に難しい数学クラスを受講し,同人数が数学を専攻にしたということです.生物学に進んだのは女の子が多く,物理学と工学に進んだのは男の子が多かったのですが,数学を専攻したのは同数でした.また,成績も男女で同等でした.SAT-M は,たんに大学での女性全般の成績を過小に予測したばかりでなく,才能ある標本に属す女性たちの大学での成績も過小に予測しました.こうした男女の学生は,私たちが有するなかでもっとも意味ある尺度で同等の才能を持ち合わせているのがわかっています.その尺度とは,最難関の教育機関の難しい数学クラスで新しい困難な題材を理解しきる能力という尺度で,彼らは同等なのです.この尺度をもちいた研究では,きわめて才能ある女の子と男の子のあいだになんらのちがいも見つかりませんでした.
では,数学・科学の諸学部で男女の不均衡を引き起こしているのはなんなのでしょうか? 生まれ持っての適性のちがいではありません.では,私がもっと重要だと考える社会的要因に目を転じましょう.なにぶん専門分野外に乗り出す冒険でもありますし,しかも持ち時間も短いので,ここでは1つの効果だけを語りましょう:男女の捉えられ方に,性別ステレオタイプがどう影響するのか,という点を語ります.
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