2016年6月2日木曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(15)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクとの対論をちまちま訳してます.前回でピンカー側の主張はおわり,今回からスペルクによる主張に移ります.

以下,訳文:




エリザベス・スペルク:ありがとう.とくに,スティーブ.こうして議論ができてほんとにうれしく思います.今回の機会を待ち望んでいました.

まずは,スティーブと私で意見が一致している点についてお話ししましょう.彼が述べたように合意点はたくさんあります.そのなかでも,ここ数ヶ月の議論にとりわけ関連している合意点だけをすこしとりあげます.
第一に,広く社会全般をとってみても,せまく私たちの大学をとってみても,あらゆる意見を俎上に載せてそれぞれの長所を議論できれば,健全そのものになるでしょう.この点はお互いに同意見です.また,性差に関わる主張は実証的なものであって,証拠によって評価されるべきだという点も同意見ですし,また,その評価にあたってできるだけ感情を差し挟まず合理的にできれば誰もが万々歳だろうという点も同意見です.心が「空白の石版」ではないことも同意見です.それどころか,ステーブと私の同意点でとりわけ深いことはなにかと言えば,「人間本性というものがあって,これを研究するのは心が沸き立ち最高にたのしい経験だ」という点です.また,最後に,社会で化学者が果たす役割がかなり穏当なものだという点でも同意見だと思います.科学者は,物事を探り出します.それよりずっと難しいのは,そうして見つけ出した情報をどうやって使うのか,人生をどう生きるのか,私たちの社会をどんな構造にするのか,ということです.そうした難問は,科学が答えられる問いではありません.みんな1人1人が考えるべき問いです.

さて,それでは見解の不一致はどこにあるのでしょうか?
私たちが見解をたがえているのは,こんな問いへの答えです――「どうしてハーバードの数学科や他の同じような部署に,これほどまで女性がわずかしかいないのか?」 目下の論争では,2種類の要因がこのちがいを説明すると言われてきました.一方には,社会的な力という要因があります.これには,表立った差別・暗黙裏の差別や,男女それぞれが異なった技能や優先順位をつくるにいたらしめる社会的影響が含まれます.もう一方には,遺伝的なちがいという要因があり,これによって男女がそれぞれに異なった能力を備えたり異なったモノを求めるような素因があたえられます.

著書の『心の仕組み』(The Blank Slate) で,性差の原因として社会的な力が過大評価されているとスティーブは何度も論じています.生まれもった資質のちがいの方が大きな要因であり,生まれもった動機のちがいはなかでも最大の要因だと彼は言います.スティーブが挙げている例の大半は,生物学的な基礎のある動機のちがいだと彼が考えているものに関わっています.

私じしんの見解は異なります.この隔たりを引き起こしている大きな力は社会的な要因だと私は考えます.男女のあいだで,科学や数学に対する生まれもった資質全体にはなんらのちがいもありません.ここでご留意ください――男女の性別は区別がないと言っているわけではありません.男女があらゆる点で似たり寄ったりだと言っているわけでもありませんし,まして,男女で認知的な特性 [cognitive profiles] が同一だと言ってるのではありません.私が言っているのは,男性が得意なことすべてを積み上げ,そして,女性が得意なことすべてを積み上げてみると,全体として,男性が数学と科学の分野でトップにたつようになるほどの優位はない,ということです.

動機の問題に関して言えば,男女それぞれが言う「自分の求めるもの」のちがいが社会的な力だけから生じているのか,それとも部分的には生まれもっての性差から生じているのか,私には知るよしもありません.いまは,私たちには知りようがないだろうと思います.

――今回はここまで.

続きます

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