2016年6月7日火曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(17)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクとの対論をちまちま訳してます(前回はこちら).ピンカーは,「男の子と女の子で自然と関心を向けるものがちがう」という論拠を挙げていましたが,スペルクはこれと真っ向からくいちがう論拠を提示しています.

以下,訳文です:



男の子でも女の子でも,乳幼児はモノに同程度の関心を見せます.また,発達の同時期に,男の子でも女の子でも,乳幼児はモノの動きについて同じ推論をします.乳幼児たちは,発達の同時期に,モノの仕組みについて同じことを学習します.

大量の研究を見ていくと,ときおり,一方の性が他方の性よりなにかに秀でているとする研究に行き当たることもあります.たとえば,モノにぶつかる力の強弱でそのモノが動く距離がちがってくることを,女の子は男の子よりも1ヶ月遅く学習するという研究があります.ですが,こうしたちがいは小さく,しかもバラバラで一貫していません.大部分については,男女でかなりの一致が見られます.就学前の数年にわたって,男女共通の学習経路がずっと続きます.子供たちが長方形のブロックを手にとってまるい穴に入れられるかなぁとあれこれ動かしたりして,同じことを学習していくのです.そうしたことを理解する速度をみても,男女になんらのちがいもみられません.男女で同じ発達経路がみられます.

この研究は,重要な結論を支持していると私は考えます.性差について議論するときには,男女の共通点はなんだろうかと考える必要があります.共通点を1つ挙げてみましょう.乳幼児たちは,世界を理解するときに〔男女で得意なものに〕分業してはいません.男の子は仕組みに関心を集中し,女の子は情動に関心を集中する,といったことはしないのです.男の子でも女の子でも,乳幼児たちはモノと人の両方に関心をよせますし,どちらについても学習します.マッコビーとジャクリンが1970年代のはじめに導き出したこの結論は,以後の研究に支持されています.



次に,第二の主張に目を向けましょう.なるほど物理的な世界の直観的な理解を発達させる能力は男女で同等だとしても,形式的な数学や科学は,こうした直観を基礎にしているわけではありません.科学者たちは数学を使って世界の新しい特徴づけを考え出したり,世界のはたらきを説明する新しい原理を考え出したりします.もしかすると,男性は数学の才能で優れているために,科学的な推論で〔女性より〕少し優位にあるのかもしれません.



スティーブが言ったように,私たちは形式的な数学をやるように進化してきてはいません.これは,近年になってなされた達成です.動物たちは形式的な数学も科学もやりません.更新期の人間も同様でした.私たちの数学的推論能力になんらかの生物学的な土台があるとすれば,それは他の目的のために進化したシステムに依存しているにちがいありません.しかし,そのシステムを転用して,数や幾何学図形を表示したり操作したりといった新しい目的に利用できるようになったのです.



認知神経科学・神経心理学・認知心理学・認知発達学の分野が交錯してなされた研究から,数学的推論の基礎にある5つの「中核システム」を支持する証拠が得られています.中核システムの1つ目は,少数のモノの正確な数を表示するシステムです――1つ,2つ,3つを区別します.このシステムは,人間ですとだいたい生後5ヶ月あたりから現れ,成人になっても存続します.2つ目の中核システムは,大きな近似的数量を区別するシステムです――「だいたい10個くらい」の集合と「だいたい20個くらい」の集合を区別します.また,このシステムは,生後4ヶ月から5ヶ月という幼児期の早期から現れ,成人になっても存続して機能します.

3つ目のシステムでようやく,おそらく人間固有な数能力の基板のおでましです:言葉で[「ひとつ,ふたつ,みっつ」と]数えるのを覚えるときに子供が構築する自然数の概念を扱うのがこのシステムです.自然数概念の構築は,だいたい2歳半から4歳くらいの間になされます.残る2つのシステムは,子供がじぶんの位置や方向を理解して動き回るときにはじめて見られます.2つのうち一方は周辺環境の配置の幾何を表示します.もう一方は,位置・方向の目印となるモノを表示します.

これら5つのシステムは,どれも,多数の幼児を対象にかなり大規模に研究されてきました.そこで,「数学的な思考の基礎にあるこうしたシステムの発達になんらかの性差はあるだろうか?」と問うことができます.ここでも,答えは「ノー」です.ここでは2つの事例だけからデータを引用して紹介しましょう.


――今日はここまで.

続きます

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