2025年3月7日金曜日

消費者向けオーディオもけっこう変わってるみたい


ちょっと前に有線イヤホンを買う下調べをしていて,しばらく遠ざかっていたオーディオ界隈をちょっとのぞいてみたんだけど,数年でけっこう変化があったみたいだ.

以下,ただの素人の観察.

(1) 「中華イヤホン」の存在感がとても大きくなってる.ぼくが買った水月雨の Aria2 もそうなんだけど,eイヤホンの売り場でもたくさん並んでるし,日本語や英語でオーディオの話題を扱ってる人たちの話を調べてても,よく取り上げられてる.リンク先にあるcrinacle先生のランキングを眺めると,その感じがつかめるかと思う.

(2) スマホにつなぐドングル型DAC/アンプがたくさん出回ってる.スマホ側がイヤホンジャックを載せなくなったのが理由かな.Apple のアレくらいで十分という声もあるけれど,こだわる人はここにけっこうな高級機種を使うっぽい.

(2.1) スマホからイヤホンジャックが消えてるのは,bluetoothの無線接続,とくに完全ワイヤレスイヤホンが普及していったのと軌を一にしてる.とくに Apple の AirPods シリーズは「iPhone ユーザーならこれも使ってね,てか当然使いますよね?」くらいの勢いを感じる.Android スマホだとそういうエコシステムへの囲い込みはもっと弱い.安価なモデルからハイエンドまで完全ワイヤレスが普及してスマホにイヤホンジャックを載せる意義が薄れたし,スマホにイヤホンジャックがないから気楽に音を聞くのに完全ワイヤレスイヤホンをもっておく意義が強まった.

(3) 他方で,Walkman みたいな専用の音楽プレイヤーは,難しい位置にあるみたい.ストリーミングで音楽を聴くなら,プレイヤー側がアプリを動かせないといけない.すると,それこそ今の Walkman みたいに Android 搭載端末をつくることになって,「それって高性能なDAC/アンプを載せてる以外はほぼスマホですよね?」という機種がうまれる(なぜか性能の低いSOCを載せていて使い勝手はだいぶよくないらしい).というか,ずばり音楽用スマホっていうニッチなモデルも水月雨から出てる: 「MIAD 01」.ずっと前には,オンキヨーの GRANBEAT もあった.でも,そういう機種は,高価格なのにバッテリー劣化と OS/アプリのアップデートの限界で,数年で使い勝手が悪くなってしまう.「それでもかまわん!」という強火のユーザーじゃないと選ばない本当にニッチな存在かもしれない.

(4) それと関連して,オーディオ好きな人たちの間では,なんだかバランス接続が当たり前みたいになってる.ずっと前にソニーが対応アンプと合わせてヘッドホンの MDR-Z7 なんかでバランス接続を売りにしたときにはまだまだ珍しかったけれど,いまは当たり前の選択肢になってるみたい.で,DAC/アンプはたいていバランス接続端子と従来の 3.5mmアンバランス接続端子の両方を用意してる.規格は 2.5mmとかもあったらしいけど,もう 4.5mmが標準みたいになってる.

(5) ところで,本来の意味での "DAC" は文字どおりデジタル信号をアナログ信号に変換する回路のことで,音楽プレーヤーから完全ワイヤレスイヤホンまでもれなく DAC は載ってるわけだけど,その意味での DAC とアンプを搭載した小型機器を DAC って呼ぶケースもあるみたい

(6) バランス接続とも関連して,イヤホンと機器をつなぐケーブルを交換する「リケーブル」も人気らしくって,売り場でそういうケーブルだけを扱うスペースもできてた.レビューを読んだり聞いたりしてると,「リケーブルで音が変わった」なんて話が当たり前みたいに出てくる.このへんになると,ぼくはちょっとついていけない.

(7) イヤチップがさらに充実してる.ぼくが愛用してたコンプライもまだ売られてるけれど,それはちょっと古いらしくって,新素材を採用したイヤチップが各社から出てる.なかには左右ペアで4,000円近くする商品もあって,ちょっとたじろいだ.装着感をよくする点では,これはぼくにも理解できる.

こういう変化は,オーディオ技術の進化と消費者のニーズの変化を反映しているようだ.中華イヤホンの台頭や完全ワイヤレスイヤホンの普及は,市場の多様化と新しい使用シーンの出現を示している.一方で,高音質を追求するユーザー向けの製品も進化を続けていて,バランス接続やDAC/アンプの普及がそれを物語っている.ただ,専用音楽プレーヤーの位置づけが難しくなっているのは,スマートフォンの高機能化とストリーミングサービスの普及による影響が大きそうだ.

2025年3月5日水曜日

クルーグマンがNYTコラムニストをやめた背景,ノア・スミスがコラムニストを断った理由

ポール・クルーグマンが長年にわたってつとめていた『ニューヨークタイムズ』 コラムニストを辞めた後,ノア・スミスと Substack でおしゃべりをしていた.そのなかで出た話によれば,『ニューヨークタイムズ』はノア・スミスにコラムニストを担当しないかと打診していたそうだ.また,クルーグマンによれば,近年になって NYT コラムには3段階の編集が加わるようになり,かつてほどのびのびやれなくなっていたらしい.

以下,そのあたりのやりとりをざっくりと訳す:

ノア・スミス:『ニューヨークタイムズ』のコラムニストを辞めたんですよね.実は,NYT の誰かがぼくに電話をくれて…メッセージを書いて送ってきたんだったかな,「うちの論説コラムニストやりませんか」と言ってくれたんですが,断ったんですよ.

ポール・クルーグマン:面白いね.「タイムズはノア・スミスに依頼したんじゃないの」と言う人たちもいたんだけど,「いや,きっとノアは断るよ」と言ってたんだよ.

ノア・スミス:断った理由はふたつあって.ひとつは,社内のゴタゴタに関わりたくなかったんですよ.社内 Slack での争いだの,スタッフの反乱だの,そういう話をよく小耳に挟んでいたんで.

ポール・クルーグマン:それはぼくには無縁だったな.その手のことにはまるっきり無関係だったね.で,もうひとつの理由は? ぼくが辞めた動機について語ってもいいけど.

ノア・スミス:実は,理由はあと二つあるんですよ.ひとつは,編集者ぬきで書いた方がずっといい文章ができあがると気づいたってこと.あらゆる作家に当てはまるわけじゃないとは思いますけど.とくにジャーナリスト,本物の記者なら,編集者が必要かもですね.事実に関して正確さがとにかく大事なので.文章の書き方を身につける助けになったりもしますけど,ぼくは独自の文体をもうつくってるので.ところが編集者を間に挟むと,それがなくなっちゃって,まるで他人が語ってるように聞こえてしまうんですよ.

ポール・クルーグマン:なるほどね.昔の NYT コラムニストの仕事だったら,キミも気に入ったかもしれないね.もう何十年も前だけど,ぼくが NYT のコラムを書きはじめた頃は,とても楽しく執筆してたね.編集はとても軽かった.コラムの制限は厳しくて,約800語,というか空白も含めて 5,080字しか使えないんだ.その中で言いたいことを言わなくちゃいけない.しかも,予備知識のない読者を想定しなくちゃいけない.

でも,その制限内でうまく書く職人技には面白みがあったね.当時は,校閲者だけがいて,他はなんにもなかった.たまに校閲者が「この事実は説明不十分ですね」とか「ここの言い回しがぎこちないですよ」なんて指摘してくれるだけで.

つまり,完全に建設的なかたちでしか編集が加えられてなかったわけ.それに,当時はブログもあって("The Conscience of a Liberal"),そっちではもっと専門的な内容も書けたし,『ニューヨークタイムズ』の品位に合わせる必要なしであれこれ書けた.いい環境だったね.

ちょっと大変だったけど,その職人技を楽しんでやったんだ.でも,しだいにコラムニストの仕事環境が変わってきてね.いま,『ニューヨークタイムズ』には3段階の編集プロセスがあるんだ.校閲者に渡る前に,もっと大幅な編集を加える担当者が間に入る.

以前は,校閲者に冗談でグチられてたんだよ,「こっちがやることないじゃないですか(笑)」って.ぼくの原稿は分量も厳守してたし,事実はみんな確認をとってたから.ところが,いまはずっとたくさんの編集が加えられる.この編集段階が終わったら,次のこの編集段階を踏んで…って調子で.去年はとりわけ干渉が激しくなった.

コラム執筆が,すごく不快な経験になっちゃって.NYT は2015年にブログを廃止したものだから,さっき言ったようなことを書く場がなくなっちゃったから,Substack のアカウントをつくったんだよ.そしたら,NYT が「それはダメです」って言ってきて.

「もっと長い尺で考えを書き記したいし,たまにグラフを入れたりしたいんだよ」と伝えたら,NYT でニュースレターを出すことになった.ブログよりも制約が厳しかったけれど,まあなんとかかんとかそれでやってたわけ.そしたら,去年の9月に「クルーグマンさん,書きすぎです」」って言われて.ニュースレターは廃止になっちゃった.きっと,ぼくが去年やってたような仕事はキミも嫌がるんじゃないかな.ぼくはイヤになっちゃって.彼らのやり方は『ニューヨークタイムズ』の目的には合ってたのかもしれないけど,ぼくにとっては耐えがたかった.

ノア・スミス:そうですね.いや,実はぼくがブルームバーグをやめた理由はいくつかあるんですが,その一つはいまのお話と似てます.古い幹部連中がいなくなって,新しい人たちがやってきて,編集段階が増えたんです.原稿を書いたら編集を食らってまた直してって作業がほんとにめんどくさかったですね.コラムが切り刻まれて,平凡でつまんなくされて.おまけに,世に出るまでの時間がかかるようになりました.世に送り出すまでに何層もの承認を経なくちゃいけなくて,やっと出たと思ったら,もう世間では別のネタに関心が移っちゃってたりして.〔いまの Substack では〕LA の山火事について書こうと思ったら,ニュースになったとたんにパッと書いて「公開」を押すだけです.それがいまのスタイルですね.ところが,ブルームバーグだと,そこまでに4日かかっちゃう.それだと公開されたときにはみんな別のことに関心を移しちゃってるじゃないですか.当時は,記事の意義が大幅に減ってしまったと感じましたね.


ちなみに,Substack では動画の「切り抜き」を手軽につくって共有・ダウンロードできる:


関連してそうな記事: