2025年1月3日金曜日

「なにかをよいと言うときに,わるいものを引き合いに出す必要はない」

 「なにかをよいと言うときに,わるいものを引き合いに出す必要はない.あるいは,引き合いに出すべきではない」という考えについて.

これは,場合によるよね.たとえば,「Aさんはとても歌がうまい」と褒めたいのだったら,「それに引き比べて,Bさんはひどい音痴だ」と付け加える必要はないし,もっと言えば,それを加えるとせっかくの Aさんへの讃辞が濁ってしまって,褒められた Aさん本人もうれしくないかもしれない.それに,むしろ Bさんを貶してやろうという意図の方がよほど露わになっていることもある.「わるいものを引き合いに出さなくていい」というとき,多くの人は,こういうことを思い浮かべていると思う.


他方で,「こうするとよくなる,こうするとうまくいかない」という論点があって,その例示のためなら,よい例とわるい例を比べるのは必要ですらある.たとえば,「ドアのデザインでは,どこを押せばいいのか一目で分かる方がいい」という論点のために,その例示としてよいデザインとわるいデザインを出すのは理にかなっているし,必要なことだ.


このふたつがごっちゃになる人は,そうそういないだろうと思う.ただ,たとえば映画やら音楽やら漫画やらの感想を語るときに,(a) 作品をほめるのを目的にしているのか,(b) 作品のよしあしの論点を語ることを目的にしているのか,区別がつけにくくあやふやになってしまうことはあるかもしれない.


それに,全体としてなにかを「ほめる」話であっても,

(1) 大きな目的「Aをほめる」

→(2) そのための小さな目的「Aの具体的に優れているところを語る」

→(3) そのための例示「悪い例 B を示して対比する」

――という構成になってることもあるだろう.


また,ぼんやりした人だと,とにかく Aをほめる話のなかで B を悪く言う箇所が出てきたというだけで「気分悪くなった!」とか言うかもしれない.そういう人に,「いや,(2) と (3) のつながりがわかってれば,そんなに気分を悪くするようなものじゃないでしょ」と言っても,むなしい.

2024年11月16日土曜日

アメリカ民主党はこの10年でえらく左寄りにシフトしてきたらしい

 『フィナンシャルタイムズ』記事のグラフ (John Burn-Murdoch, "Trump broke the Democrats' thermostat," Financial Times, November 16, 2024):


Some counter that this is simply what progressive politics is, but the evidence suggests otherwise. America’s decades-long progress towards racial and sexual tolerance and equality has been a gradual shift, led by progressives with the centre and right quickly following.

The pivots of the past decade, by contrast, have been abrupt and are leaving the majority behind. They are better characterised not as moves towards greater tolerance and equality but as shifts in rhetoric or proposed solutions for addressing disparities, where there is plenty of room for disagreement without bigotry.


コリン・ライトの2021年8月のツイート



2023年9月30日土曜日

用例メモ: 認識用法の have to?

『刑事コロンボ』の1シーンから (Columbo: An Exercise in Fatality)  : 

A: But the fact remains you can't prove that I did it. It could have been anybody. 

Columbo: It could only be you, by your own admission. It had to be you. 

被害者の靴紐のループが本人の結んだ場合と真逆になっていることから,靴紐は他人が結んだのだと推理を披露するコロンボに,容疑者が「だが私がやったとは証明できていない.誰であってもおかしくない」と反論する.それに対して,コロンボが「あんたでしかありえないんですよ,あんた自身の証言でね.あんたしかいないんだ」と指摘する.この have to は認識用法だと考えたくなるけれど,動的用法かもしれない.つまり,can/could が出来事の実現可能性を表すのと対をなすような「それしか可能でなかった」(他のことは不可能だった)という意味だったりはしないか,とも思う.

2021年11月27日土曜日

シドニー・モーゲンベッサー語録・レストラン篇

 哲学者シドニー・モーゲンベッサーといえば,ジョン・オースティンの講演でこんな発言をした人物として知られているんじゃないかと思う:

オースティン「二重否定で肯定を表す言語はありますが,二重肯定で否定を表す言語はないのです」

モーゲンベッサー「はいはい」("yeah, yeah")

そのシドニー・モーゲンベッサーが死去したとき,各所でその逸話が語られていた.そのひとつ:

シドニー・モーゲンベッサーがレストランに来て,夕食を楽しんだ後,ウェイトレスにデザートは何があるかとたずねる.「アップルパイとブルーベリーパイがありますよ.」 「ではアップルパイをもらおう.」 そのあとすぐにウェイトレスが戻ってきて声をかける.「チェリーパイもありますが.」 そこで,シドニー・モーゲンベッサーは言う.「そういうことなら,ブルーベリーパイをもらおう.」 

“Sidney Morgenbesser walks into a restaurant, has dinner, and then asks the waitress what they have for dessert. She says apple pie and blueberry pie. Sidney Morgenbesser says he’ll have the apple pie. She comes back in a moment and says that they also have cherry pie. So Sidney Morgenbesser says “In that case, I’ll have the blueberry pie.”

出典は Crooked Timber のコメント欄で,ほんとうにそんなことがあったのか定かではない.野球コーチのヨギ・ベラ語録みたいなネタなんだと思う (via Language Log).

スティーブン・ピンカーが新著 Rationality で,合理的選択の公理のひとつ「独立性(無関係な選択肢からの独立)」を解説する際にこのネタを引用している.


 

2021年8月14日土曜日

「YouTube のおすすめはユーザーの急進化に寄与しているか?」

――という問いを検討した論文が出ている:

著者たちの答えは「ノー」だ. アブストラクトは下記のとおり:

Although it is under-studied relative to other social media platforms, YouTube is arguably the largest and most engaging online media consumption platform in the world. Recently, YouTube’s scale has fueled concerns that YouTube users are being radicalized via a combination of biased recommendations and ostensibly apolitical “anti-woke” channels, both of which have been claimed to direct attention to radical political content. Here we test this hypothesis using a representative panel of more than 300,000 Americans and their individual-level browsing behavior, on and off YouTube, from January 2016 through December 2019. Using a labeled set of political news channels, we find that news consumption on YouTube is dominated by mainstream and largely centrist sources. Consumers of far-right content, while more engaged than average, represent a small and stable percentage of news consumers. However, consumption of “anti-woke” content, defined in terms of its opposition to progressive intellectual and political agendas, grew steadily in popularity and is correlated with consumption of far-right content off-platform. We find no evidence that engagement with far-right content is caused by YouTube recommendations systematically, nor do we find clear evidence that anti-woke channels serve as a gateway to the far right. Rather, consumption of political content on YouTube appears to reflect individual preferences that extend across the web as a whole.

他の各種ソーシャルメディア・プラットフォームに比べて研究が不足しているものの,YouTube は世界最大のオンライン・メディア消費プラットフォームでありもっとも人々の興味を集めているといっていいだろう.近年,YouTube の規模が大きくなるとともに,YouTube ユーザーが急進化しつつあるのではないかとの懸念が強まっている.ユーザーを急進化させると目されているのは,バイアスのかかったオススメやこれ見よがしに没政治的な「反・覚醒」(anti-woke) 系チャンネルだ.いずれも,急進的な政治コンテンツにユーザーの注目を誘導していると主張されている.本稿では,この仮説を検証する.検証に当たって用いるのは,30万人以上のアメリカ人のと彼ら個々人レベルでの YouTube 内外の閲覧行動の代表的パネルだ.2016年1月から2019年12月までのデータを用いる.政治系ニュース・チャンネルそれぞれにラベルをつけたセットを用いて検討すると,YouTube でのニュース消費は主流のおおよそ中道的なソースが大勢を占めているのがわかる.極右コンテンツの消費者たちは,平均よりも熱意・関心が高いものの,ニュース消費者の一握りを占めるにとどまり,増加もしていない.他方で,進歩的知性・政治目標への対立で定義される「反・覚醒」系コンテンツの消費は人気が安定して伸びており,プラットフォーム外での〔YouTube以外での〕極右コンテンツ消費と相関を示している.YouTube のおすすめによって極右コンテンツへの関心が系統的に引き起こされているという証拠は見出されない.また,反・覚醒系チャンネルが極右への入り口として機能しているという明白な証拠も見出されない.むしろ,YouTube での政治コンテンツの消費は,ウェブ全体にまたがる個々人の選好を反映しているように見受けられる.


2021年4月22日木曜日

クルーグマン「粘着的な物価指数に注目しよう」(2021年4月16日)

 大型の支援策とインフラ投資案が実施されるアメリカでは,インフレ率がどうなるか論議されている(少なくともマクロ経済学界隈では).

支援策・インフラ投資をおおむね支持してるクルーグマンの考えでは,変動の大きい食品・エネルギーを除外したコア消費者物価指数に注目するのが大事なのは相変わらずだけれど,賃金みたいな価格が粘着的なものに注目するのがいっそう重要になるんだという.

全般的に消費が落ち込むふつうの景気後退とちがって,パンデミックでの景気後退では分野によってはげしく落ち込んだり逆に景況がよくなったりする.同様に,パンデミックからの景気回復も分野によるちがいが大きくなりそうだ.すると,とくに値上がりが著しい分野を見て「ほら見ろ,インフレがガンガン進んで来ちゃったじゃないか」とマクロ経済政策の引き締めを訴える声が出てくる.金融危機からの「大不況」でも,そういう声があった.そして…FRB は「そうはならない」と金融政策を維持したし,現に一部で言われたようなそんな激しいインフレにはならなかった.で,今回の景気回復でとりわけ注目すべきなのは,年に1回くらいしか企業が改定しない価格なんだとクルーグマンは言う.