2016年5月15日日曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(03)

ピンカーとスペルクの議論をちまちま訳しています(前回分はこちら).以下,訳文:


性差を研究する理由は? どうか信じてください,まさか認知科学のボビー・リッグズになりたいなんて,夢にも思っていません.では,ぼくが性差を気にかける理由があるでしょうか? まして,性差を自分の研究テーマにしているわけでもないなら,なおのこと理由はないのでは?
まず,男女の性差は,人間の条件の一角を占めます.ぼくらはみんな,父親と母親がいます.大半の人たちは,異性の誰かに魅力を感じるものです.そうでない人たちは,他の人とのちがいに気づきます.生活のあらゆる側面で,我が子や友人や同僚たちの性別は気にするなというのがムリというものです.

また,ありうる性差というテーマは,おおいに科学的な関心を引きます.性は生物学の根本的な問題ですし,性的繁殖と性差は数十億年もむかしにさかのぼります.ここでは時間がなくて説明できませんが,ある興味深い理論の予測によれば,息子と娘に対する投資は全体として同量のはずだと言います.どちらの性も,全体的に他方に優越しているとは予想されません.また,ある優美な理論,ボブ・トリヴァースの「親の投資理論」では,どんな性差がどんなときに生じるかについてきわめて具体的な予測を立てています.

性差の性質と出所は,実践のうえでも重要です.たいていの人は,世界にはさまざまな側面があり,そこには性の格差もあり,これを変えたいとのぞんでいる点で合致しています.ですが,世界を変えたいというなら,まずはこれを理解しなくてはなりません.理解すべきことがらには,性差の出所も含まれます.


説明すべきデータに話をもどしましょう.いくつもの点で,これは奇妙な現象です.この現象には,生物学的に準備されたのではない才能と気質が関わっています:つまり,たとえば MIT で機械工学教授の仕事をするよう心のどこかを進化が形成したわけではないのはたしかです.このデータは,基本認知プロセスとも関わりありませんし,日常生活や学校やたいていの大学課程で使うような認知プロセスとも関わりありません.こうした場面では,現に性差はほとんどありません.
また,ここで話題にしているのは極度の達成です.たいていの女性はハーバードの数学教授の資格をもちあわせていませんが,それを言うならたいていの男性だってハーバードの数学教授の資格をもちあわせてはいません.これらは人口の中の極端な事例です.

また,ここで話題にしているのは,さまざまな分野の一部です.女性がじゅうぶんに登用されていないといっても,その度合いはあらゆる学術分野で同じではありません.まして,格式の高い職業すべてで同じということもありません.



――今日はここまで.

つづきます

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