2016年5月29日日曜日

メモ:「テクノロジーの進化論」をほぼ同時に提起した5冊

マット・リドリーが The Evolution of Everything で,テクノロジーの発展を進化の観点で考えることを提起した本が自著も含めて同時期に5冊でていると述べている(第7章).その5冊:

  • Kevin Kelly, What Technology Wants
  • Brian Arthur, The Nature of Technology: What it is and How it Evolves
  • Matt Ridley, The Rational Optimist: How Prosperity Evolves
  • Steven Berlin Johnson, Where Good Ideas Come From: The Natural History of Innovation
  • Tim Harford, Adapt: Why Success Always Starts With Failure

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(12)

ピンカーとスペルクの議論をちまちまと訳しています.いまはピンカーによるプレゼンの途中.(前回分はこちら

以下,訳文:

さらに非制限関係節の使用パターン

こちらも,ちょいちょいみかける非制限関係節の使用例:
Physiological processes are fully explained by cellular biology, which is fully explained by molecular biology, which is fully explained by the quantum theory of the electromagnetic force, which is fully explained by particle physics.
生理的なプロセスは細胞生物学で完全に説明され,細胞生物学は分子生物学で完全に説明され,分子生物学は電磁気力の量子理論で完全に説明され,量子理論は素粒子物理学で完全に説明される. 
Of course no one proposes that degree of reductionism. But at least some scientists have endorsed one or more of the individual reductionism in that chain.
もちろん,ここまでの還元論を主張する人はいない.ただ,少なくとも,科学者のなかには,この連鎖のどこか一部くらいの還元論なら心に思っている人たちがいる.
(R.Nisbett, Mindware;下線と太字は引用者によるもの)


「ゴミとガラクタ」('garbage' vs. 'junk'),あるいは非制限関係節の使用例

As Sydney Brenner later made plain, people everywhere make the distinction between two kinds of rubbish: 'garbage', which has no use and must be disposed of lest it rot and stink, and 'junk', which has no immediate use but does no harm and is kept in the attic in case it might one day be put back to use.
シドニー・ブレナーがのちにわかりやすく言ったように,どこの人々も2種類の廃物を区別する:「ゴミ」(garbage) と「ガラクタ」(junk) だ.ゴミはなんにも使い道がなくって,腐って悪臭を出さないうちにさっさと棄てるに限る.ガラクタはいますぐ役に立ちはしないけど無害で,いつかなにか使い道ができたときのために屋根裏やガレージにしまわれる.
(Matt Ridley, The Evolution of Everything, Harper, 2015)

ANDの語用論の一例

スヌーピーでおなじみの Peanuts から,'P and Q' が 'P and then Q' に解釈される連言強化の一例:
"I know when I'm not wanted!"
"I'm gonna slam the door and leave!"
"I'm gonna leave and slam the door!"
"One of those things!"
いないほうがいいって思われているときは,ちゃんと分かるわ!
ドアをバタンと閉めて出ていくわ!
出て行ってドアをバタンと閉めるわ!
そのどっちかよ!
(Peanuts Books featuring Snoopy, vol.3, p.98;谷川俊太郎=訳)



2016年5月27日金曜日

agree と ugly の発音は聞きまちがえにくい

Twitterのタイムラインに,「アグリー」では 'agree'「同意する」と 'ugly'「醜い」とにあいまいだという話が流れてきた:

抜粋:学術的な文章での名詞句の多用

Maggie Charles and Diane Pecorari, Introducing English for Academic Purposes, Routledge, 2016, p.98 から引用:
A high use of noun phrases is a key characteristic of written academic discourse, as shown by Biber and Gray (2010), who find that academic writing is predominantly constructed around the use of nouns, while conversation tends to privilege verb. In particular, academic writing is characterized by its use of noun phrases, which are often premodified by adjectives (economic weakness) and nouns (an absorption spectrometer) and/or postmodified by prepositional phrases (areas of concern).
Biber and Gray (2010) が示しているように,名詞句の多用は,学術的な言説の重要な特徴だ.Biber and Gray によれば,会話は動詞を重用するのに対して,学術的な文章は圧倒的に名詞使用を中心に組み立てられている.とりわけ,学術文章は名詞句の使用で特徴づけられる.名詞句は形容詞や別の名詞を前に置いて修飾されたり(economic weakness「経済の低調さ」;an absorption spectrometer「吸収分光器」),および/または,前置詞句をうしろに続けて修飾されたりする(areas of concern「関心分野」).

文中で参照されている文献:
まともな図書館へのアクセスがかぎられているので,こんなんでも参照するのに苦労する.つらい.

ヘレン・スウォード「ゾンビ名詞」

日本語でも英語でも,ただひたすら抽象名詞がつづく文章を読んでいると,意味がはっきりつかめなくて,だんだん目がよどんでくる.

ヘレン・スウォードの『書き手のためのダイエット法: 引き締まった散文への手引き』は,そういう文章を改善するヒントを教えてくれる好著だ (Helen Sword, The Writer's Diet: A Guide to Fit Prose) .

同書から,「ゾンビ名詞」について述べた箇所を訳して抜粋する:

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(10)

ピンカーとスペルクの議論をちまちまと訳しています.いまはピンカーによるプレゼンの途中.(前回分はこちら)

以下,訳文:

英文読解の教え方もいまだにわからない

やや習熟度の高い学生さまを対象にした「学術英語」(English for Academic Purposes) のクラスで使ったスライド:
  • リーディング素材にでてくる大事な語句を覚えるパート: pptxファイル
  • スライドから英文読解のパートを抜粋: pptxファイル
  • 対訳:「信頼性の定義と例示」(Richard Nisbett, Mindware からの抜粋と拙訳; pdf
リーディングに関わるパートの進め方はこんな感じ:
  1. 学生さまに予習として短い英文を読んで設問に答えてもらう(A4用紙にまとめてもってくる)
  2. 重要な語句は授業時間内に練習コーナーをつくって覚えてもらう.
  3. 構文解析を中心に,課題英文を解説.
  4. 上記の「対訳」は,おまけとして最後に配布する.
また,いまは「定義と例示」を考えてもらっているので,授業内でのスピーチ・プレゼンで学生さまになにか単純で説明しやすい概念を英語で説明してもらってる.

学生さまの感触はわるくないけど,これでいいのかどうかいまだにわからない.

2016年5月26日木曜日

ルール

  • 虫の居所が悪いときにツイッターに滞留してはいけない.
  • とくに,タイムラインをながめていて「うるせえよバカ」みたいな言葉が脳裏をかすめたときには,すみやかにアプリまたはブラウザをとじること.

ニスベット『マインドウェア』抜粋2つ

語学授業準備でつくったもの:
  • 「マイアーの心理実験」(pdf)
  • 「信頼性の定義と例示」(pdf)
こういう対訳はオマケで配布してるだけで,べつに訳読式の授業をやってるわけじゃないよ.

2016年5月22日日曜日

だめだった

去年こんなことを言っていたけど――
今年はすでに成虫と幼虫あわせて20匹ほどを確認した.勝てる気がしない.

ちなみに上記ツイートでは「ヒメマルカツオブシムシ」と言ってるけど,正確には成虫が黒い色をしている「ヒメカツオブシムシ」らしい.

ゾワゾワくる動画をみつけてしまった:




「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(08)

ピンカーとスペルクの議論をちまちまと訳しています.いまはピンカーによるプレゼンの途中.(前回分はこちら

理科の時間: エクストリームBBQ

それはどうかと思う

イギリス Royal Institution (wikipedia) の YouTube 動画の1つ.


2016年5月21日土曜日

英語学習で目指すところをどのへんに設定するか

じぶんのツイートを引用:

抜粋:学術英語における「欠如モデル」と母語話者規範

「アカデミックな用途の英語」を考える参考として:
A traditional view of language learning has been to see the ultimate objective as the attainment of native-like proficiency in the target language. Although it is widely acknowledged to be extremely difficult to learn to speak a second language as if it were one's first, this has nonetheless long been seen as the ideal. In this view, if the production of an L2 user of English (or any other language) differs from that of an L1 user, it indicates a deficit in the knowledge of the learner. 
言語学習の伝統的な考え方では,対象言語を母語話者のように流暢に使えるようになることが最終目的と考えられてきた.第二言語をあたかも第一言語のように話すのはきわめて難しいことは広く認められているにもかかわらず,長きにわたってこれが理想とされてきた.
However, a relatively recent trend in the study of English as a langua franca has been to problematize this starting point. Researchers in English as an academic lingua franca (ELFA) such as Maurane, Hynninen and Ranta (2016), point out that most users of academic English are not native speakers of the language and that their divergence from the native-speaker norm does not ordinarily cause a breakdown in communication or, indeed, difficulty on the part of other participants in the interaction. 
しかし,比較的最近になって,リンガフランカとしての英語の研究でこの出発点を疑問視する流れが現れている.学術用リンガフランカとしての英語 (English as an academic lingua franca; ELFA) の研究者たちは次のように指摘している(たとえば Maurace, Hynninen and Ranta 2016)――学術英語の使用者の大半はこの言語の母語話者ではなく,母語話者の規範から隔たっていても,通常はコミュニケーションに支障をきたさず,それどころか,やりとりに加わっている他の参加者たちに困難を引き起こすこともない.
From this perspective, the native-speaker norm (that is, the idea that the standard for good English is what a native speaker would produce) is highly questionable. If good English is defined in terms of how effectively it works to communicate content, rather in terms of how closely it conforms to the native-speaker norm, then many of the disadvantages which L2 users of English experience are mitigated. 
この観点から見ると,母語話者規範は(つまり,よい英語の規範とは母語話者が産出するだろう言葉であるという規範は)きわめて疑わしい.もし,よい英語を定義するにあたって,母語話者規範にどれだけ近く順応しているかという観点ではなく内容の伝達にどれだけ効果的に機能するかという観点をとるならば,英語の L2 使用者たちが経験する不利の多くは緩和されるだろう.

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(07)

ピンカーとスペルクの議論をちまちまと訳しています.いまはピンカーによるプレゼンの途中.(前回分はこちら



以下,訳文:

2016年5月20日金曜日

しらなかったそんなの…:日本語入力時のctrlショートカット変換

金曜ランチビュッフェ』vol.82 の「隣は「どうやって文字入力する」人ぞ」で,こういう簡略アンケートを枕に,文字入力の話をしていた:
ctrlキーのショートカットで変換? まじか.まじだ

ずっとファンクションキーしか知らなかったよ.




和文ダーシでの注意点

自分のツイートを引用:

アダム・スミス訳文のメモ(オチも教訓もなにもない)

稲葉振一郎『不平等との闘い』(p.17) で引用されていたアダム・スミス『国富論』の一節(大河内一男=訳):
ヨーロッパの君主の暮しぶりが勤勉で倹約な農夫のそれをどれほど凌いでいようと,その程度は,この農夫の暮しぶりが,一万人もの裸の野蛮人の生命と自由の絶対的支配者であるアフリカの多数の王侯の暮しぶりを凌ぐほど大きいとはかぎらない
対応する原文(こちらから参照した):
(...) it may be true, perhaps, that the accommodation of an European prince does not always so much exceed that of an industrious and frugal peasant, as the accommodation of the latter exceeds that of many an African king, the absolute master of the lives and liberties of ten thousand naked savages.
意味は明瞭だけど,訳して読みやすい文に落とし込むのはむずかしい.

山形浩生=訳 (pdf) ではこうなっている:
ヨーロッパの君主と勤勉で質素な百姓とを比べたときの暮らしぶりの差は、何万人もの裸の野蛮人たちの生命と自由を絶対的に支配する多くのアフリカの王さまとの暮らしぶりをその百姓の暮らしぶりがどれほど上回っているかという差に比べれば、それほど大きくはない可能性だってある




「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(06)

ピンカーとスペルクの議論をちまちまと訳しています.いまはピンカーによるプレゼンの途中.(前回分はこちら

以下,訳文:

Garigari-kun



語学授業のネタ帳に:
"The country’s sluggish economy means that the cost of most things has not risen in 20 years, and almost any increase makes headlines." 
日本経済が低迷しているために,大半の製品のコストはこの20年ずっと値段が据え置かれていて,なにか値上げがあればたいてい大見出しを飾るのだ.
このように因果関係を表す mean については,旧ブログに書いたことがある:



2016年5月17日火曜日

「お会計は各階でお済ませください」

――という趣旨のはずだけど,パッと見たときに各階でお金を徴収されるのかなと思ってしまった:


動画:ピンカー "Sense of Style" 講演

文章読み本の傑作 Sense of Style のネタで話している動画.すでにいくつも同じような講演があるけれど,わりと新しいやつ:




例によって話はおもしろくて明快だし,英語も聞き取りやすいはず.通勤電車で断続的に視聴して,2周も見てしまった.

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(04)


ピンカーとスペルクの議論をちまちま訳しています(前回分はこちら).

以下,訳文:

2016年5月16日月曜日

2016年5月15日日曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(03)

ピンカーとスペルクの議論をちまちま訳しています(前回分はこちら).以下,訳文:


性差を研究する理由は? どうか信じてください,まさか認知科学のボビー・リッグズになりたいなんて,夢にも思っていません.では,ぼくが性差を気にかける理由があるでしょうか? まして,性差を自分の研究テーマにしているわけでもないなら,なおのこと理由はないのでは?
まず,男女の性差は,人間の条件の一角を占めます.ぼくらはみんな,父親と母親がいます.大半の人たちは,異性の誰かに魅力を感じるものです.そうでない人たちは,他の人とのちがいに気づきます.生活のあらゆる側面で,我が子や友人や同僚たちの性別は気にするなというのがムリというものです.

また,ありうる性差というテーマは,おおいに科学的な関心を引きます.性は生物学の根本的な問題ですし,性的繁殖と性差は数十億年もむかしにさかのぼります.ここでは時間がなくて説明できませんが,ある興味深い理論の予測によれば,息子と娘に対する投資は全体として同量のはずだと言います.どちらの性も,全体的に他方に優越しているとは予想されません.また,ある優美な理論,ボブ・トリヴァースの「親の投資理論」では,どんな性差がどんなときに生じるかについてきわめて具体的な予測を立てています.

性差の性質と出所は,実践のうえでも重要です.たいていの人は,世界にはさまざまな側面があり,そこには性の格差もあり,これを変えたいとのぞんでいる点で合致しています.ですが,世界を変えたいというなら,まずはこれを理解しなくてはなりません.理解すべきことがらには,性差の出所も含まれます.


説明すべきデータに話をもどしましょう.いくつもの点で,これは奇妙な現象です.この現象には,生物学的に準備されたのではない才能と気質が関わっています:つまり,たとえば MIT で機械工学教授の仕事をするよう心のどこかを進化が形成したわけではないのはたしかです.このデータは,基本認知プロセスとも関わりありませんし,日常生活や学校やたいていの大学課程で使うような認知プロセスとも関わりありません.こうした場面では,現に性差はほとんどありません.
また,ここで話題にしているのは極度の達成です.たいていの女性はハーバードの数学教授の資格をもちあわせていませんが,それを言うならたいていの男性だってハーバードの数学教授の資格をもちあわせてはいません.これらは人口の中の極端な事例です.

また,ここで話題にしているのは,さまざまな分野の一部です.女性がじゅうぶんに登用されていないといっても,その度合いはあらゆる学術分野で同じではありません.まして,格式の高い職業すべてで同じということもありません.



――今日はここまで.

つづきます

2016年5月14日土曜日

例文:条件節の will (Close 1980)


「はてなダイアリ」時代にメモっておいた気がしたけれど,どうもみあたらないのでこちらに(あらためて)書いておく:


(a) "If you will be alone on Christmas Day, let us know now." 
= もしもクリスマスにひとりぼっちになりそうだといま予測しているなら,いま知らせてくださいね.

(b) "If you're alone on Christmas Day, come round here any time you like."
= もしもクリスマスにひとりぼっちになったなら,そのときはいつでも好きなときにここにきてくださいね.

(Close 1980: 104, 109)


文献: Close, R. 1980. Will in if-clausees. In Greenbaum, S., G. Leech, and J. Svartvik, (eds.) Studies in English Linguistic for Randolph Quirk. Longman. pp. 100-109.


「はてなダイアリ」にメモってある関連ネタ:

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(02)

スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクの対論のつづき(前回はこちら).


以下,訳文:

2016年5月13日金曜日

「ジェンダーと科学の科学:ピンカーとスペルクの対論」(01)


スティーブン・ピンカーとエリザベス・スペルクが2005年に行った公開対論をちまちま訳してみようと思う.最近はこういう用途に google drive を利用していたけれど,昔ながらのブログでやってみる.

原文はこちら:

対論では,ピンカーとスペルクがそれぞれ40分ずつの主張を行い,そのあとに討議している.10年以上前の議論で,現時点でどれくらいの意義があるのか,しろうとのぼくにはよくわからない.そのへんも誰かが教えてくれたらいいなとあわく期待してる.

以下,訳文:

2016年5月10日火曜日

レナード・リード「われはエンピツ」('I, Pencil')

通勤読書で楽しんでいるマット・リドリーの The Evolution of Everything で言及されていたエッセイ:

検索してみると,訳しているえらい方がいらっしゃった:


リドリーの言及箇所:
... A century later, an economist named Leonard Reed in an essay called 'I, Pencil', made the point that this is also true of technology. It is indeed the case that in order to make a perfect and beautiful machine, it is not requisite to know how to make it. Among the myriad people who contribute to the manufacture of a simple pencil, from graphite miners and lumberjacks to assembply-line workers and managers, not to mention those who grow the coffee that each of these drinks, there is not one person who knows how to make a pencil from scratch. The knowledge is held in the cloud, between brains, rather than in any individual head. This is one of the reasons, I shall argue in a later chapter, that technology evolves too. 

おなじくリドリーの TED Talk: