2016年8月24日水曜日

言外の信念含意における指示の不透明性

次のような理由文を発話すると,理由節の内容を主節の動作主が信じていたことが含意される:
  • 「雨が降るかもしれなかったので,田中さんは洗濯物をしまった」
たとえば,上記の発話につづけて,「…でも,田中さんは雨が降るかもしれないと思っていなかった」などと続けるとおかしい.
  • 信念含意:洗濯物をしまう時点で,田中さんは「雨が降るかもしれない」と信じていた.
こうした言外の信念の内容は,理由節の言葉通りの記述とは異なりうる.指さしを伴う直示 (demonstration) の例を考えてみよう:
  • (写真に映っている男を指さしながら)「この男が妨害するかもしれなかったから,彼女は念のために先手を打ったんですよ」
ここでも,理由節の内容を「彼女」が信じていたという含意は生じる.だが,指さしをともなう「この男」の指示そのものは,当然,その信念の内容には含まれない.彼女が信じているのは,「この男」で指示されるのと同一人物が妨害するかもしれないということであって,理由節の言葉そのままの内容を信じているわけではない.

また,なんの文脈もなければ,次のような発話はおかしなことを言っていると受けとられるだろう:
  • 山田をはね殺してしまったので,田中はうろたえながら車を降りた.
  • #しかし,田中は山田をはね殺したとはそのとき思っていなかった.
だが,次のような殺人事件シナリオではどうだろうか(Searle 1983 の不透明性文脈を改変して利用):
  • シナリオ:田中は,遺産相続で争っている叔父の山田を殺そうと完全犯罪の計画を立て,彼の山荘に向かって深夜に山道を車で飛ばしている.そこへ,酩酊しているらしき男が急に飛び出してきて,これを田中ははね飛ばしてしまう.猛スピードで飛ばしていたので,男が死んでしまったのは確実だ.田中はうろたえながらも車を降りて男の方へ駆け寄る.ヘッドライトに照らされて暗闇に浮かんだ男の顔をみて,田中は驚く――その男は,他でもなく,これから自分が殺そうとしていた叔父の山田だったのだ.
このシナリオの一場面をあらためて記述する発話として,次のように言っても矛盾はしない:
  • 叔父である山田は,酔いを覚まそうとして山荘をでてあたりをふらふらと歩いていた.彼を殺そうと車を飛ばしていた田中は,彼をはねとばしてしまう.山田をはね殺してしまったので,田中はうろたえながら車を降りた.しかし,田中は山田をはね殺したとはそのとき思っていなかった.
この理由文で含意されているのは,話し手視点で「山田」で同定されている人物をはね殺してしまったと田中が信じていたということであって,その人物が山田その人だということまでは信念に含まれない.もし,理由節の記述そのままの内容を田中が信じているとすると――叔父である山田をはね殺してしまったのだと事故時点の田中が信じているとすると――上記のシナリオと矛盾をきたすことになる.しかし,ここでは信念文脈での指示の不透明性があるために,田中に帰せられる信念の内容は「山田を自分ははね殺した」ではなく「酩酊した見知らぬ男を自分はいまはね殺した」とでも言い表せるものとなる.

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