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8.言語行為に論理はあるか
前述のとおり,コミュニケーションの有意義な単位は〈命題〉ではなく発語内行為だと言語行為の研究者たちは主張している.このように考えると,〈命題〉どうしに成り立つ推論関係ではなく言語行為どうしに成り立つ推論関係によって論理そのものを充実させられるのではないかという疑問が浮かんでくる.個別の存在どうしには推論関係は成り立たないので,個別の言語行為どうしにはそうした関係は成り立たない.だが,2つの事象タイプ E1 と E2(たとえば「すばやく走ること」と「走ること」)なら,一方が生じつつ他方が生じないことがありえないというかたちでお互いに論理的に関連付けられうる.同様に,言語行為タイプ S1 と S2 も,一方を遂行しつつ他方を遂行しないことはありえないならお互いに推論で関連付けられうる.猛牛が突進してくるぞという警告は,その猛牛が突進してくるぞという確言でもある.だが,逆は成り立たない.どちらも同じ命題内容(猛牛が突進してくる)をもっているにも関わらず,こうした関係が成り立つのだ.したがって,もしも警告は確言を含意するが逆は成り立たないのであれば,この推論関係は命題どうしの推論関係の網ではとらえようがないことになる.
『発語内論理の基礎』(1985年)で,サールとヴァンダーヴェーケンは言語行為どうしの論理関係の一般論を試みている.著者たちは,その中心を占める問いを拘束(コミットメント)の観点で述べている:
本書で述べようとしている発語内論理の理論は,本質において,発語内効力で決定される発語内拘束(コミットメント)の理論だ.この理論が答えねばならない最重要の問いはこれだ:「話者が特定の発話文脈で首尾よく特定形式の発語内行為を遂行したとき,その行為の遂行によって他のどんな発語内行為に話者は拘束されるのだろうか?」ここでいう発語内拘束の概念を明瞭にすべく,著者たちは7つの値による発語内効力の定義をもちだしている(上記セクション 2.3 で言及済み).この定義にもとづいて,著者たちは言語行為どうしに成り立つ伴立関係に欠かせない2つの概念を定義している.すなわち,強い発語内拘束と弱い発語内拘束,この2つだ.強い発語内拘束の定義によれば,発語内行為 S2 を遂行せずにそれと別の発語内行為 S1 を遂行できないとき,そのときにのみ,S2 によって話者は S2 に拘束される.この関係が発語内行為2つの対に成り立つかどうかは,それぞれの発語内行為を特定する個別の7つ組に左右される.たとえば,発語内行為 S1 は <IP1, Str1, Mode1, Cont1, Prep1, Sinc1, Strensinc1> に合致するとしよう(それぞれの項目は,発語内目的 (IP),強度 (Str),達成の様態 (Mode),命題内容 (Cont),予備条件 (Prep),誠実性条件 (Sinc),誠実性条件の強度 (Strensinc) に対応する.また,発語内行為 S2 は <IP1, Str2, Mode1, Cont1, Prep1, Sinc1, Stresind1> に合致するとしよう.さらに,Str1 と Str2 のちがいは,Str1 の方が Str2 よりも強いという点しかないとする.すると,S2 を遂行せずに S1 を遂行するのは不可能ということになる.こうして,S1 は S2 を発語内的に強く含意する.(強い発語内拘束のこの定義は,言語行為の集合 S1, ..., Sn-1 が言語行為 Sn を含意する場合までそのままひねりなく一般化される.)
また,サールとヴァンダーヴェーケンは,弱い発語内拘束を次のように定義している――発語内行為 S1 のあらゆる遂行が,S2 と同一の7つ組で規定される条件を満たすよう行為者を拘束するとき,そのときにのみ,S1 は S2 を発語内的に含意する (1985, p.24).このことから,P が論理的に Q を伴立しかつ行為者が P を確言したならば,その人は Q を信じることに拘束されるのだと,サールとヴァンダーヴェーケンは推論している.だが,だからといって,P を確言した行為者は P が Q を含意するときに信念 Q を抱いていることにはならないと著者たちは強調している.だが,このように説明されていても,拘束(コミットメント)のどういう概念がいま論じられているのかは判然としない.たとえば,Q という信念を抱くことに拘束されるのだと規定されるのでないとしたら,(たんに Q に拘束されるのではなく)Q を信じることに拘束されるとどういうことになりうるのか,判然としない.
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つづく.
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