2018年10月1日月曜日

論証のルール #3~#6

ウェストンせんせいの『論証のルールブック』をもうちょい訳してみる:


ルール #3: 信頼できる前提から出発する
前提から結論へどんなにうまく論証を進めたとしても,その前提が弱ければ結論も弱くなってしまう.
《今日の世界に本当にしあわせな人はひとりもいない.したがって,人類はしあわせになるようできてはいないように思える.手に入らないものを期待してどうしようというのだろう? 》
この論証の前提は,「今日の世界に本当にしあわせな人はひとりもいない」という言明だ.雨がしとしと降っている午後のひとときや特定の気分のときなどには,これがいかにも本当らしく思えなくもない場合はあるかもしれない.でも,この前提が本当に確からしいかどうか,自問してほしい.今日の世界に本当にしあわせな人はひとりもいないって,本当? 例の「毎年太陽の回りを一周できる権利が無料でついてくる」って件はどう? 
すごく控えめに言ってもこの前提にはなんらかのまっとうな擁護が必要だし,まず間違いなくこの前提は事実じゃない.だとすると,この前提では,「人類はしあわせになるようできてはいない」とかしあわせになれると期待すべきでないという結論は示せない.
ときに,信頼できる前提からかんたんに出発できる場合もある.周知の事例がすぐ利用できたり信頼できる情報源どうしが明らかに合致していたりすることもあるだろう.逆に,もっと難しい場合もある.前提がどれくらい信頼できるかよくわからないときには,ちょっと調べ物をしたり,さらに/あるいは,その前提そのものを支持する論証を展開したりする必要があるかもしれない(この点についてさらに詳しくはルール #31 を参照).もしも,前提を支持する妥当な論証ができないとわかったなら,当然,他の前提を試す必要がある.
ルール #4: 具体的かつ簡潔に述べよう
抽象的で,あやふやで,一般的な用語は使わないようにしよう.「私たちは日中に数時間ハイキングしました」の方が,「長時間におよぶ骨折りの行使でした」より百倍もいい.さらに,簡潔に述べること.中身もないのに長々と言葉を費やしても,みんなを言葉の霧のなかで迷子にさせてしまうだけだ.
ダメな例
《夜は同輩たちの大半が就寝する時間に先行する時刻に規則正しく床につき,これに加えて,大半の他人が起床する時刻よりも早い時刻に起床する習慣をつければ,回復力のある基礎体力,余裕のある確立された財政状況,および賢明な識別力・判断力の知的能力といった他人の賞賛を集める傾向のあるのぞましい個人的資質の獲得につながる傾向がある.》
いい例
《早寝早起きは体すこやか頭脳しなやか財布ゆたかにする.〔早起きは三文の得〕》
「ダメな例」はちょっとやりすぎの感もあるかもしれない(どうかな?).ともあれ,要点はわかるはずだ.ベン・フランクリンの格言は言葉の調子がいいだけでなく,なにより言葉がはっきりして簡潔なのがいい.

ルール #5: 言葉の含みに頼らず中身で勝負する
理由をそのまま提示しよう.言葉の含みをもてあそぶばかりではいけない.
ダメな例
《かつて栄えた旅客列車を不名誉にもみすみす廃れさせたアメリカは,いまこそ面子に賭けてこれを復活させるべきである!》
これは旅客列車事業を(さらに)復活させるのを支持する論証のつもりらしい.でも,その結論を支える論拠はなんにも示していない.たんに,感情の色がついた古ぼけた言葉を政治家のようになにも考えず使っているだけだ.旅客列車が「廃れ」たのは,「アメリカ」がやったことややらなかったことのせいなんだろうか? 「不名誉にも」とはそのことの話なんだろうか? なんにせよ,「かつて栄えた」制度がのちの時代まで存続する場合も多い――べつに「かつて栄えた」制度をなにもかも復活させる義務はない.旅客列車を復活させるのにアメリカの「面子」がかかっているとはどういう意味だろう? どういう約束がなされて破られたってこと? だとしたら誰が約束したの? 
旅客列車の復活について言えることはたくさんある.とくに,ハイウェイの生態的・経済的なコストが巨大になりつつある現代ではなおさらだ.問題は,この論証ではそのことを言っていないという点だ.感情の色がついた言葉にその仕事を肩代わりさせている.だから,本当はなんにも仕事をしていない.出発点から一歩も進んでいないままだ.もちろん,言葉の含みは,説得の効果を発揮すべきでないときにまで効果を発揮するかもしれない――でも,思いだそう.ここでぼくらが求めているのは実のある具体的な証拠だ.
同様に,感情の色がついた言葉を使って相手側にレッテルを貼って自分の論証をよく見せようなんてしないこと.総じて,人々は真面目に心から信じた理由からなんらかの立場を主張するものだ.相手の見方をなんとか知ろうとしてみよう――相手側の理由を理解しようと試みてほしい――まるっきり意見が異なるときにも理解しようとつとめるんだ.たとえば,新しいテクノロジーを疑う人たちだって,きっと「原始時代の洞窟生活に戻る」のを望んでいるわけじゃないはずだ.(じゃあなにを望んでるのかって? さあ,それは相手に聞く必要があるんじゃないかな.) 同様に,進化を信じている人たちも,自分のおじいちゃん・おばあちゃんがサルだったと主張してるわけじゃない.(さっきと同じだ:じゃあ相手はなにを考えてるんだろう?) 一般に,自分が攻撃している見解を相手が抱けるのはどういうわけなのか想像できないなら,それはきっと相手の見解をこちらがまだ理解できていないだけだ.

ルール #6: 一貫した用語を使う
短い論証では,ふつう,ひとつの主題や筋道を追いかける.いくつかのステップかにわけて,ひとつのアイディアを伝えようとするわけだ.そこで,そのアイディアを表現するときには,わかりやすい用語を慎重に選んで,どのステップでもその同じ用語を繰り返し使おう.
古典となった書き方読本 The Elements of Style で,ウィリアム・ストランクと E.B.ホワイトはイエスの有名な山上の垂訓を取り上げて,「並列法」つまり「並列したアイディアを同様の形式で表現する」方法の模範的な例だと言っている.
《心の貧しい者は幸せである:天国は彼らのものなのだから.悲しみにむせぶ者は幸せである:慰められるのだから.柔和な者は幸せである:地上は彼らが嗣ぐのだから.》(マタイ福音書 5:3-5)
「Xは幸せである:~なのだから」は定型句だ.一文ごとに言い回しを改めてはいない.たとえば「また,X は称えられよう,Y であるから」などと言い換えてはいない.そうではなく,どの文もまったく同じ構造,まったく同じ言い回しを使っている.
同じことを自分の論証でもやってみよう.

ダメな例
《ペットの世話の仕方を覚えていくなかで,飼い主は飼っている生き物がなにを求め必要としているのかに注意を払うのを覚える.猫や犬が自分を必要としているときに細やかに観察し対応するうちに,欲求・必要を認識してそれに合わせて行動する能力は,幼児に対しても向上していく.したがって,人になれた動物にうまく対応する飼育者になることで,家族の養育者としての技能も強化しうる.》
はぁ? なるほど,どの文もそれだけをとってみればなるほどかなり明快だけれど,ごじゃごじゃと言葉を重ねてしまって,文どうしのつながりが見えにくくなってしまっている――おもしろい表現ではあるのかもしれないけれど,話を先へとすいすい進めていくのには邪魔になる.
(思い出そう,論証は先へ先へと進む必要があるんだよ)
よい例
《ペットの世話の仕方を覚えていくなかで,,飼い主は飼っている生き物がなにを求め必要としているのかに注意を払うのを覚える.飼っている生き物がなにを求め必要としているのかに注意を払うのを覚えることで,よりよい親になることも覚えていく.したがって,ペットの世話を覚えることで,人はよりよい親になることを覚えるのだ.》
「よい例」にしても流麗な美文ではないかもしれないけれど,すっきりと見通しがいい文章だという長所でその分を埋め合わせてあまりある.たったひとつの単純な特徴が2つのバージョンをわけている:「ダメな例」では,大事なアイディアを表すときに,その都度言い回しを新しくしている――たとえば,「ダメな例」では,「ペットの世話の仕方を覚えていく」ことを結論でもう一度言い表すときに,「人になれた動物にうまく対応する飼育者になる」と言い直している.他方,「いい例」の論証はこの重要表現を注意深くそっくりそのまま繰り返している.
文体を気にしているなら――もちろんときには気にした方がいいこともある――表現の多彩な論証ではなくて表現をぎりぎりまで絞り込んだ論証にしてみるといい.
この上なく簡潔に
《ペットの世話を覚えていくなかで,飼い主は相手がなにを求め必要としているのかに注意を払うのを覚えるので,ひいてはよりより親になることを覚えることになる.》

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