なんとなく気が向いたので、ひとつ紹介しよう。
- Tim Harford, “Why the robot boost is yet to come” (Orig. Financial Times, Nov. 17, 2017)
注意書き: 以下の文章は、ハーフォードせんせいのコラムをおおよそなぞっているだけで「翻訳」ではないのでうかつに引用したりしない方がいいですぞ。
「ロボットはそこらじゅうにいる、ただし生産性統計をのぞいて。」
すぐさま人間のいろんな仕事を奪うくらい猛烈にロボット(や AI)が発展しているなら、生産性はどんどん伸びてておかしくない。ところが、実際には生産性の伸びは鈍化している。それに、失業率だって、アメリカでもイギリスでも日本でも、ずいぶん低くなっている。これはどうしたことだろう?
ロボットや人工知能の技術がただのこけおどし、ってことはありそうにない。AlphaGo やグーグルその他の自動運転など、技術的な発展ぶりが目覚ましいのはまちがいない。画像認識や医療診断や音声認識、さらには自動翻訳だって、たしかに進歩している。
だとすると、なおさら失業率・就業率や生産性の数字が不可解に思えてくる。
ハーフォードによれば、この謎をとく筋書きはいくつか考えられる。
ひとつは、技術進歩はぜんぶ誇張・過大評価だっていう筋書き。ハーバート・サイモンは1957年に「あと10年でコンピュータがチェスのチャンピオンを打ち負かすぞ」と予測したけれど、実際にはディープブルーがカスパロフに勝つまで40年かかった。1970年にマーヴィン・ミンスキーが立てた予測では、コンピュータが人間みたいな一般知性を実現するまで「あと3年から8年」という話になっていた。こっちははるかに実現から遠い。
もっとちょっと元気のでる2つ目の筋書きもある。たとえばサービス全般、とりわけデジタル経済のサービスの値打ちが過小評価されているせいで生産性の数字が低くでているんじゃないか、という筋書きだ。デジタルの製品やサービスは無料なことも多いから、みんながそれでどんなに便益を享受していてもふつうの経済的算出の統計からは見えなくなってしまう、というわけだ。
3つ目の筋書きは、SF作家のウィリアム・ギブソンの引用句で表せる:「未来はすでに到来している、たんに不均等に分布しているだけだ。」 勝者全取り市場の支配をめぐってゼロサムゲームを繰り広げているせいで、得られたはずの利益があらかた消し飛んでいるんじゃないか、という考え方もありうる。
こうした筋書きをまとめてやっつける研究を、ハーフォードは紹介している。『セカンド・マシーン・エイジ』の著者でもある経済学者エリック・ブリニョルフソンと経済生産性の専門家チャド・サイヴァーソンの共同研究だ。
著者たちによると――これはハーフォードせんせいからの孫引き――生産性の鈍化は事実だ。「現実には生産性がぐんぐん伸びてるのにデータがまずいせいでそれをとらえられていないんじゃないの?」という疑問も浮かびそうだけど、いくつもの点で生産性鈍化は確かめられているんだそうだ。「生産性の低下はあまりに大きくて、統計上の錯覚ではありえない」だって。「市場支配をめぐる企業どうしのゼロサム競争」シナリオも成り立っていないらしい。「ものすごく生産性が伸びているんだとして、ゼロサム競争ってそれを帳消しにしてしまうほどおおきいのか?」 ははあ。
それで、どうやったらこの謎解きができるんだろう? 単純極まりない言い方をすると、「まあちょっと待ってなさいよ。」 いま生産性成長が冴えないことと、近い将来に目覚ましい生産性成長が起こることとに、矛盾はない。
狭義の統計的な意味でもこれは事実で、生産性成長は伸びたり伸び悩んだりのムラがあるんだそうだ:さっぱり生産性がのびない期間が10年続いたと思ったら、そのあとの10年間はめざましく生産性が伸びたり、といったことがあるので、今日の生産性をみても明日の生産性がどうなるかはほとんど予測がつかない。
技術的なブレイクスルーが起きた時点と、生産性がぐんと伸びる時点にはタイムラグがはさまりがちだ。いちばん有名な例は――くりかえすけどこの文章はハーフォードせんせいのイタコですぞ――電動モーターだ。1890年代には、電動モーターによってアメリカの製造業が大きく様変わりするにちがいないと思われていたけれど、実現したのはずっと遅れて1920年代になってのことだった。新技術を活用するためには、工場のオーナーたちはそれまでの組織を様変わりさせたり工場の建物を新しくしたり生産手順や訓練をあたらめたりしなくてはいけなかった。著者の1人であるブリニョルフソンが1990年代にやった研究では、コンピュータにせっせと投資しても、組織改編がすすむまではほとんど利益をもたらさなかったのがわかっているんだそうだ。
今日の最新技術やアイディアがもたらす便益が本物だとしても、それが現実のものになるまでには時間差がある。自動運転者を考えてみよう:いまの時点では、莫大な研究費がかさむ技術で、コストばかりで利益にならない。ところがずっとあとになれば、いままでの伝統的な車にとってかわるようになり、伝統的な自動車メーカーは追いやられ、駐車場から修理屋まであれこれの関連企業もやっていけなくなる。おそらく自動運転車が実用に耐えるものになってから10年ほど経過したころには、この新技術の便益がはっきり目に見えるものになっているだろう。新技術は、新しい機械を1つポンとつくっておしまいではない、経済の進歩にはそれ以上に組織や社会制度の改変もともなわなくてはいけない。
いま生産性の伸びが冴えないのも、世界を根本から一変させるほどの新技術爆発の前夜でしかないのかもしれないし、もしかしたらこの先10年〜20年も相変わらず生産性の伸びは冴えないままかもしれない。どっちのシナリオにしても、素敵な旅路にはなりそうにない。
――というようなコラムだったよ。
追記: はてなブックマークでコメントいただいているとおり,ロボットや AI の話はかつての「IT革命」やコンピュータの話を思い起こさせる――ハーフォードせんせいが言ってる「ロボットはそこらじゅうにいる、ただし生産性統計をのぞいて」ってのは,よく引用されるソローの言葉のもじりだ:
「コンピュータ時代はそこらじゅうにある,生産性統計をのぞいて.」
("you can see the computer age everywhere but in the productivity statistics"; Robert M. Solow, "We'd better watch out," New York Times Book Review, July 12, 1987.)
ちなみに,ハーフォードせんせいの本 & ポッドキャスト『現代経済をつくったモノ50』では,「ダイナモ」の項目で電動機が生産性に影響をおよぼすまでのタイムラグのおはなしを語っているYO.
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