- Krugman, "Friedman on Japan," The Conscience of a Liberal, October 28, 2010.
- Beckworth, "Milton Friedman, Nominal Income, and Paul Krugman," Macro and Other Market Musings, October 28, 2010.
- Krugman, "More On Friedman/Japan," The Conscience of a Liberal, October 29, 2010.
- Beckworth, "QE Has Worked Before: My Reply to Paul Krugman," Macro and Other Market Musings, October 30, 2010. (日本語訳:「QE(量的金融緩和)は効果があった―私からクルーグマンへの返信」)
- Krugman, "QE In The GD," The Conscience of a Liberal, November 1, 2010.
2014年11月23日日曜日
メモ:量的緩和に関するベックワースとクルーグマンの議論(2010年10月~11月)
ほんとにただのメモですぞ.
2014年11月19日水曜日
クルーグマン:「リカード等価定理」について区別すべき5点
ピーター・テミン&ダヴィッド・ヴァインズ「なぜケインズが今日大事なのか」に言及して,クルーグマンが「複数の別々なダメ論証を「リカード等価定理」の見出しのもとに混在させてるように思える」と指摘して,次の5点を区別すべきだと述べている:
First, there’s the Say’s Law argument: because spending must equal income, any increase in government spending must be matched by a fall in private spending. “This is just accounting,” declared John Cochrane. No, it isn’t — and it was the remarkable fact that prominent economists were saying things like this, as if none of the debates of the 1930s had happened, that led me to proclaim a Dark Age of macroeconomics.
第一に,セイ法則の論証がある:支出は所得に等しく成らざるをえないので,政府支出をどれほど増やそうと,それは民間支出の下落で相殺されざるをえない.「これはたんなる会計だ」とジョン・コクランは宣言している.いや,ちがうよ――名だたる経済学者たちがこんな風なことを言っていたってことは,目を見張る事実だった.まるで,1930年代の論争がどれ1つとして起こらなかったかのような発言だ.これがきっかけで,ぼくは「マクロ経済学の暗黒時代」を宣言するようになった.
Second, there’s the misuse of Ricardian Equivalence. It’s important to understand that we’re not debating about whether Ricardian equivalence is right; even if it were (it isn’t), what the anti-Keynesians were saying was wrong, as I tried to explain a number of times. It’s crucial, I’d argue, to realize that what the people invoking Ricardo were saying was wrong even in terms of their own model. If you don’t get that, you don’t appreciate the depths to which all too many economists sank.
第二に,リカード等価定理の誤用.リカードの等価定理が正しいかどうかをめぐって論争してるわけじゃないってことを理解するのが大事だ.仮に(ほんとはちがうけど)リカードの等価定理が正しいとしても,反ケインジアンたちが言ってたことは間違っていた.この点を,ぼくは何回も説明しようと試みてきた.ぼくに言わせると,リカードを持ち出している人たちが言ってたことは,当人たちじしんのモデルで見ても間違っていた.その点がわからないなら,これまであまりにも多くの経済学者たちが陥ってきた深みがわからないんだよ.
Third, there’s the standard textbook crowding out story, in which increased government spending in the face of a fixed money supply, or maybe a nominal income target, causes interest rates to rise and private investment to fall. The money supply argument doesn’t work when we’re at the zero lower bound, which is after all why we’re talking about fiscal policy in the first place; but there is a school of thought that insists that the Fed and the ECB and the BoJ could achieve full employment if only they wanted to. I disagree, and I think this is mostly wishful thinking, but at least it’s not the kind of raw nonsense involved in arguments #1 and #2.
第三に,標準的な経済学教科書のクラウディングアウト論.この筋書きでは,貨幣供給が固定した状況で政府支出の増加や,あるいは名目所得目標は,金利の上昇を引き起こし,民間投資が減少する.この貨幣供給の論証は,ゼロ下限に直面してるときには機能しない.そもそもぼくらが財政政策について語ってるのは,まさにこの状況にあるからだ.だけど,あくまでこう主張する一派がいる――「連銀や欧州中央銀行や日銀は,のぞみさえすれば完全雇用を実現できる」 ぼくはこれに同意しないし,これは大半が願望ばかりの思考[ウィッシュフルシンキング]だと思う.ともあれ,少なくともこれは論証 #1 や #2 で挙げた混じりっけ無しのナンセンスとはちがう.
Fourth, there’s the claim that we’re at full employment, or maybe always at full employment, that demand-side economics is wrong, so any government use of resources must divert them from other uses. I think this is empirically silly for the US and Europe in recent years, but again it’s not the kind of raw nonsense of the first two arguments.
第四に,こういう主張もある――「ぼくらは完全雇用にある.あるいは,つねに完全雇用にあるのかもしれない.だから,需要サイド経済学は間違ってる.だから,政府がなにかの資源を使えば,それを他の用途から転用せざるをえない」 これは近年のアメリカやヨーロッパに関しては実証的に馬鹿げてると思う.ただ,これも,最初の2つみたいな混じりっけ無しのナンセンスとはちがう.
Finally, there’s the confidence fairy: demand-side economics is valid, but business hates big government so much that any attempt to use fiscal policy will backfire. Oh, kay.
第五に,「信認の妖精さん」がいる:需要サイド経済学は妥当なのに,実業界は大きな政府をきらうので,財政政策を試みれば必ず逆効果になるという言い分がある.あ,はい….
(Krugman, "The Unwisdom of Crowding Out," November 15, 2014)
言葉をはしょっているところがあり,これだけでは説明不足なように思える.いくらかたどってみた範囲では,過去の関連エントリに次のものがみつかる:
- "One more time," April 6, 2009.
- "Ricardian Confusions (Wonkish)," March 10, 2011.
- "The Critics Of Modern Macro Are Wrong," October 14, 2011
デロングの当惑:リカード等価定理について
リカードの等価定理について,前に英語圏の経済学ブログで話題になっていた時期がある.少したどっておきたい.
ブラッド・デロングが2009年にこういう当惑をブログで述べている:
ブラッド・デロングが2009年にこういう当惑をブログで述べている:
Somewhere, somehow, without as far as I know leaving any paper trail, Chicago-School economists became convinced of two false things:
どこかで,いったいどうやってか,ぼくの知るかぎりまるで足跡も残さずに,シカゴ学派の経済学者たちは,2つの虚偽を信じるようになったらしい:
1. Ricardian equivalence means not just that deficit-financed tax cuts have no short-term stimulative effects but also that deficit-financed spending increases have no short-term stimulative effects on nominal spending.
1. リカードの等価定理が意味するのは次のことだ――赤字による減税はなんら短期の刺激効果をもたらさないし,そればかりか,赤字による支出は名目支出にもなんら短期の刺激効果をもたらさない.
2. There are no issues worth discussing at the zero nominal interest rate bound: monetary expansion via open market operations retains its full potency and power to affect the level of nominal spending spending even when open market operations are just the swap of one zero-yielding government liability for another.
2. 名目金利ゼロ下限において論じるに値することは1つもない:〔ゼロ下限において〕公開市場操作がたんに利回りゼロの政府債を別のものと交換するだけの場合であっても,公開市場操作による金融拡張は,名目支出水準に影響を及ぼす力を完全に維持する.
If anyone can help me understand the process by which these strange doctrines of economics became Holy Writ among the Monsters of the Midway, I would be very grateful...
こういう奇妙な経済学説がシカゴのみなさんのあいだで聖典になったプロセスを理解する助けをくれる人がいたら,すごく有り難いんだけど…
(DeLong, "An Appeal for Help: Recent History of Economic Thought," April 5, 2009.)
2014年11月16日日曜日
例文メモ:could have VP で反事実の意味が打ち消されているケース
出典はおなじみのクルーグマン:
Well, I could have told you all of that at the time — and, in fact, I did, over and over again.
当時,ぼくにはそういうことをちゃんと伝えることもできた――で,実際に,何度も繰り返してそう伝えた.
(Paul Krugman, "International Mensch Fund," November 4, 2014.)
太字強調は引用者によるもの.
2014年11月5日水曜日
浜田宏一内閣官房参与の資料から
「今後の経済財政動向等についての点検会合」第1回(2014年11月4日)て提示された浜田宏一内閣官房参与の資料 (PDF) から引用(強調は引用者によるもの):
増税は国内問題で、国際公約ではない。
消費税を上げなかったら財政再建の国際公約が反古になって日本に対する国際信頼が揺らぐという意見がある。そうだとすると、昨年秋に消費税引き上げに確定した時、日本の株式は上がるはずであった。しかし、その直後シカゴ取引所の日本の先物株式指数は、各国の株式よりも激しい下落幅を示した。このことから、以上のような意見は財務省の内外に対する情報操作、認識捕囚の手段であることがわかる。
どストレートに書かれていた.
追記:『日経新聞』の「経済教室」(2014年10月13日)ですでに述べられていたことだったのね(参照).
2014年11月3日月曜日
クルーグマン「実業 vs 経済学」(2014年11月2日)
この月曜のコラムは,日銀の新たな緩和に言及して,これを歓迎する一方,この対策が 5対4 の僅差で承認されたことを指摘し,反対した審議員が実業界寄りの人たちであることに注目している.
- Paul Krugman, "Business vs. Economics," The Conscience of a Liberal, November 2, 2014.
メモ:クルーグマン「インフレ・デフレ・日本」(2010年5月25日)
流動性の罠においてマネタリーベースを拡大させてもインフレの昂進を引き起こすことはない,と述べている例をメモしておく.全文訳ではないのでご注意を.
- Paul Krugman, "Inflation, Deflation, Japan," The Conscience of a Liberal, May 25, 2010.
- 流動性の罠においてマネタリーベースを増やしても,インフレが進むわけではない.
- たとえば,日銀によるかつての「量的緩和」はマネタリーベースを増やしたけれど,デフレの脱却にはいたらなかった.
- マネタリーベース拡大では不十分で,長期資産の大量購入か,あるいは中央銀行がもっと高いインフレ目標にコミットメントをとる必要がある.
- 一方,財政政策にはそうしたコミットメントの必要がなく,その点も目下の状況で財政政策を打つべき根拠になる.
2014年11月2日日曜日
クルーグマンは何を「失敗」と言ってるのか
[2014年11月5日更新:セクション1を書き改めた(当該箇所の修正前バージョン)]
ポール・クルーグマンが,『ニューヨークタイムズ』(10月30日付け)のコラム "Apologizing to Japan" で,「日本にごめんなさいしなくちゃいけない」と書いている.
クルーグマンやバーナンキ元連銀議長は,デフレに陥った日本のマクロ経済政策が間違っていると批判していた.もしもアメリカやヨーロッパで同様の経済問題が起きたならずっとうまく対処できる用意があると思っていたのに,いざフタをあけてみたら,日本以上に対応がお粗末だった.だから「ごめんなさい」というわけだ.
クルーグマンやバーナンキ元連銀議長は,デフレに陥った日本のマクロ経済政策が間違っていると批判していた.もしもアメリカやヨーロッパで同様の経済問題が起きたならずっとうまく対処できる用意があると思っていたのに,いざフタをあけてみたら,日本以上に対応がお粗末だった.だから「ごめんなさい」というわけだ.
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