田中拓道『リベラルとは何か』(中公新書, 2020)の最後の方で (pp.186-8),「日本の三重苦」として「恒常的な財政赤字の拡大」「少子高齢化の急激な進展」「「格差」の固定化」が上げられていて,「その1つ目を懸念しすぎて残り2つをなおさら深刻にしたのでは」と思わずにいられなかった.(べつに,全体として悪い本だとは思わない)
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この本は,最初の方で (p.7) 「リベラル」をこう定義している:
価値の多元性を前提として,すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき,人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために,国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治的思想と立場
(※細かいこと:おそらく「リベラル」のもとになっているだろう英単語 "liberal" を名詞で用いる場合は,通例,ある種の *人* を表す: 「他人を尊重する人」「政治的・社会的・宗教的な変化を支持する人」――日本語でも,形容動詞「リベラルな」ではなく名詞で使う場合には,人を指すように思う(ソースなし).著者によれば,「現代の政治理論や政治哲学で語られる「リベラリズム」と,現実政治の文脈で語られる「リベラル」の間には,無視できない意味のズレがある」(p.6) という.普通の用法ならそうだろう.一方は主義・考えを表し,他方はある種の人を表すのだから.もしかすると,政治学では名詞 "liberal" が思想・立場を表す用法が定着しているのかもしれないけれど…そうなのかな.)
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同書では,「リベラル」対「保守」の対立と,「国家中心」対「市場中心」の対立をあわせて,こんな図式で3つの思想を整理している (p.135):
でも,この対立軸でいう「リベラル」「保守」がそれぞれどういう特徴を表すのか,ここでははっきりと限定されていない.さっきの定義を踏まえると,「リベラル」は国家による再分配を支持するのだから,定義により「国家中心」寄りになりそうなものだけれど,この図ではそうなっていない――国家中心/市場中心に関して中立的なことを「リベラル」対「保守」の軸は表していないとおかしい.だとすると,定義の他の要素である「価値の多元性」を前提にすることや生き方の選択・人生の目標の自由な追求を重視することが,この対立軸で「リベラル」が表す特徴なんだろうか.
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