2020年12月29日火曜日

引用

 ヨーロッパの書物や雑誌で見る論争と,日本のそれとの一つの顕著なちがいは,前者では,論争相手の主張が――多くの場合 非常に長い引用で紹介されているので,相手が大体何をいかにのべているのかが反対者の文章を通じてでも見当がつく.日本の場合には,相手はもっぱら不道徳な存在か,そうでなければ愚劣な矮小化された形でしか現れて来ないので,もとの文章を読まないでは,相手の論理をほとんど理解することができない.マンハイムが学問的自由とは知的好奇心にほかならず,ヘーゲル的なコトバでいえば,他者を他在において理解することなのだといっていることが思い出される.(丸山真男『自己内対話』みすず書房,1998年,p.254; 原文の傍点は省略した)

0 件のコメント:

コメントを投稿