2021年1月4日月曜日

「○○を軽視している」という言い分と引用の話:ケイト・マンの事例

ずいぶん前に書いた文章のおまけ.

スティーブン・ピンカーがフェミニストの見解を軽視している,とフェミニスト系の哲学研究者ケイト・マンは述べた:

『暴力の人類史』(2012年)では,性暴力・ジェンダー的暴力に関するフェミニスト的見解をピンカーはいっそうあからさまに軽んじている

In Better Angels of Our Nature, Pinker (2012) is more openly dismissive of feminist views about sexual and gendered violence. (Kate Manne, Down Girl, 第4章脚註 (3), kindle版; 太字強調は引用者によるもの.邦訳『ひれふせ,女たち』も参照しつつ,引用者があらためて訳した)

さて,どんなところを,どんな風に軽視しているのだろう? ケイト・マンの文章を長く引用するので,ぜひその言い分を評価してみてほしい:

『暴力の人類史』(2012年)では,性暴力・ジェンダー的暴力に関するフェミニスト的見解をピンカーはいっそうあからさまに軽んじている.「いまや私たちはみなフェミニストだ」とピンカーは時期尚早に宣言する.みずからの発言では,ピンカーはかたちのうえで公平なことを言う:「アメリカでの強姦減少につながった各種の対策でフェミニストたちの抗議運動に功績は認められるものの」「フェミニストたちは苦心して権力ある地位につき,自分たちの利益になるよう政府機関の不均衡を正した」とピンカーは認めるが,突き詰めて言えば,その大半は一種の「努力賞」なのだという.「勝利はすぐさまやってきた.ボイコットも殉教者も必要とならず,[活動家たちは]警察犬や憤慨する群衆と対面することもなかった」からだ.とくに性的暴行に関わる改革に関しては,「アメリカは明らかにその用意が整っていた」とピンカーは言う (p.403).いずれ必ずやってくるハッピーエンドをフェミニストたちはたんに早めたにすぎないというわけだ.また,進歩がなされたのは,権力ある地位に就いている男性たちが女性の性事情の微妙なところをよりよく理解するようになったおかげでもある〔とピンカーは言う〕:たとえば,「みずから望むのではなく見知らぬ相手と突然セックスすることになるなど,考えるだに嫌悪感を催すことであって魅力を覚えることではない」といったことがそれまで〔権力ある地位の男性たちにとって〕不可解だったのが理解されるようになった,といったことだ (p.406).

箇条書きにしてみよう.

(1) 「いまや私たちはみなフェミニストだ」とピンカーは時期尚早に宣言している.

(2) アメリカで強姦が減少したのにはフェミニストたちの抗議運動も寄与したと認めている(「フェミニストたちは苦心して権力ある地位につき,自分たちの利益になるよう政府機関の不均衡を正した」).

(3) しかし,フェミニストたちの抗議運動以外にも大きな要因があって強姦は減少したとピンカーは主張している.

(4) 性的暴行に関わる改革に関して,「アメリカは明らかにその用意が整っていた」

(5) また,権力ある地位にある男性たちが女性の性事情の微妙なところをよりよく理解するのようになったのも,進歩がなされる要因となったと,ピンカーは言っている.

もっと単純に要点だけを述べれば,こういうことだろう:《フェミニストたちの抗議運動も寄与したが,他にいろんな要因があってアメリカにおける強姦は減少したとピンカーは主張している,これはフェミニスト的見解を軽視している.》

でも,軽視しているとはどういうことだろう? 考えられるパターンを4とおり挙げてみよう:

(A) 本当はフェミニストたちの抗議運動の寄与はもっと大きいのに,それを知りつつ,ピンカーは実態よりも小さく主張している.

(B) 本当はフェミニストたちの抗議運動の寄与はもっと大きいのに,ピンカーは実態よりも小さく主張している.

(C) フェミニストたちの抗議運動の寄与が小さいとピンカーは主張している;しかし,フェミニストたち/ケイト・マンは寄与がもっと大きいと考えている.

(D) フェミニストたちの抗議運動の寄与が小さいとピンカーは主張している.

ケース (A) と (B) は,どちらも望ましくない.ケース (A) が本当なら,ピンカーは虚偽を述べていることになる.ケース (B) の場合には,ピンカーは間違ったことを述べている.でも,この2つを言うためには,少なくとも,本当はフェミニストたちの抗議運動の寄与がもっと大きいってことを批判側が示さないといけない.そして,ケイト・マンはそれを示していない.だから,(A) や (B) は成り立たない.

ケース (C) では,ピンカー説とフェミニスト説が同じ論点で異なることを主張している.これは,脚註の文章で成り立っていそうに思えるかもしれないけれど,実はそうでもない.ケイト・マンは抗議運動の寄与が大きいとか,他の要因が効いていないとかを言っていないからだ.読み返してみてほしい.

そして最後のケース (D) では――ピンカーの主張があるだけだ.上記の脚注の文章で,これだけは間違いなく成り立っている.そして,ピンカーの主張がそれ自体でなにか非難される理由はない.フェミニストたちの抗議運動の寄与が小さいかどうかは事実の問題であって,ピンカーの言い分は事実と合っているかもしれないし,そうでもないかもしれない.

フェミニストたちの抗議運動の寄与が小さいと主張することじたいがよくないと考えている人なら,ケース (D) ものぞましくないと受け止めるだろう.でも,それは事実のありようをはじめから無視するスタンスだ.

そして,ここが大事なんだけれど,さっきの脚註で,ケイト・マンはピンカーをはっきりと非難してはいない.ぼくが「軽んじる」と訳した be dismissive of にしても,「人やモノについて,重要であるとか考慮するに値すると信じない態度を見せること」を意味する表現で,その態度を示す当人を明示的に非難するものではない.


でも,なんかピンカーの印象悪くない?

それでも,脚注の文章はピンカーの悪印象を残すようにぼくは思う.あなたもそうだったかもしれない.今度は,その部分を考えてみよう.

さっきの箇条書きの (1) について.

(1) 「いまや私たちはみなフェミニストだ」とピンカーは時期尚早に宣言している.

「時期尚早に」(prematurely) とは,どういうことだろう? 「いまや私たちはみなフェミニストだ」と言うにはまだ早い――ある意味ではたしかにそうだ.ケイト・マンがそうであるようなフェミニストでない人はいくらでもいる.というより,そちらの方が多そうだ.その意味では,「いまや私たちはみなフェミニストだ」は間違っている.

でも,『暴力の人類史』でこの文が言っているのは,そういうことじゃない.この文は,男女どちらでも,女性への態度が,どんどん好ましいものに変わってきたことをふまえたものだからだ.ピンカーが引用しているのは質問票による心理学の研究で,大学生の年齢にある男女に,こういう項目にどれくらい賛成するか回答してもらっている:

  • 「結婚式での〔新婦の〕誓いの言葉に『従う』が含まれているのは女性への侮辱だ」
  • 「女性は自分の権利よりもよき妻・よき母親になることの方をもっと気に掛けるべきだ」
  • 「女性は,男性が行くのとまったく同じ場所〔学校・職場〕に行ったり男性とおおよそ同じ自由をもつのを期待すべきでない」
こうした質問票調査を1970年から1995年まで続けて,回答のスコアをプロットしたのが下のグラフだ:



一貫して女性の方が男性よりもスコアが高いけれど,同時に,男女ともにスコアが上がっている.女性の権利を尊重する方向へと,みんなの態度が変わってきていて,ピンカーが言うように,「1990年代前半の男性たちは,1970年代の女性たちよりもフェミニストだ.」 

「いまや私たちはみなフェミニストだ」はそういう議論のなかでの一文であって,みんなが現代的なフェミニストだと言っているわけじゃない.ケイト・マンは,文脈を度外視した引用をしている.「時期尚早に」という評言は的外れだ.

次に,箇条書き (2) のなかに含めた次の一節について:

「フェミニストたちは苦心して権力ある地位につき,自分たちの利益になるよう政府機関の不均衡を正した」

ここにはとくに悪い印象を与える表現はない.ただ,もとの英文はこうなっている(太字教は引用者によるもの):

"feminists having muscled their way into power and rebalanced the instruments of government to serve their interest" 

ここに出てくる "muscled their way" は,印象がよくない表現なのかもしれない.ケイト・マンは,さっきの脚註のキャプチャ画像を Twitter に投稿していて,そのツイートへの反応のひとつは "muscled their way" に驚いたようなリアクションを返している



名詞の "muscle" は筋肉という意味で,これを動詞にした場合には,「自分の身体的な力を使って動くこと,あるいはある方向へと動くこと」を意味する: e.g. "He tried to muscle to the front of the line, but was forced back by security staff."「彼は前列に力づくで入り込もうとしたが,セキュリティスタッフに押し戻された」 

邦訳書では,さっきの箇所をこう訳している (p.179):

「フェミニストは力づくで権力の座に割り込んで,女性の利益に供するように政府機関の不均衡を修正した」

こちらの方が意図した意味に近いのかもしれない.「力づくで権力の座に割り込んで」というと,なるほどフェミニストの印象がよくないかもしれない.すると,フェミニストについてそんな言い方をしているピンカーはいやなヤツに見えそうだ.

問題は,ケイト・マンが引用している表現がピンカーの本にないってことだ.

『暴力の人類史』には,似ている文章はある:

Rapists are men; their victims are usually women. The campaign against rape got traction not only because women had muscled their way into power and rebalanced the instruments of government to serve their interests, but also, I suspect, because the presence of women changed the understanding of the men in power. 

強姦犯は男性で,その犠牲者はたいてい女性だ.強姦対策キャンペーンに弾みがついた理由は,たんに女性たちが苦心して権力ある地位につき自分たちの利益になるよう政府機関の不均衡を正したことだけにあるのではなくて,おそらく,女性たちが〔権力ある地位に〕存在することによって,権力にある男性たちの理解が変わったことにもあるのだろう.(The Better Angels of Our Nature, ペーパーバック版 p.405)

もとの文章では "muscled their way" の主語は women「女性たち」であって,フェミニストではない.文章の趣旨からしても,ここにフェミニストがくるのはおかしい.

それでも,もしかしたらどこかの版では "feminists" になっているのかもしれないと思ったけれど,ペーパーバックでもkindleでも women だった.Google でさっきの一節をフレーズ検索してでてくるのは4件だけで,そのなかにピンカー本人の文章・発言はない.

ここでは,ケイト・マンは不正確な引用をしている.

(なお,邦訳書は他の引用では『暴力の人類史』訳書の該当ページを記載しているけれど,この箇所はそうしていない.訳者の人も,この引用がおかしいのに気づいたんじゃないだろうか.)


なんだこれ

ケイト・マン『ひれふせ,女たち』を読んで,「ピンカーの反フェミニスト的立場」が指摘されていると受け取る人もいる.それは,著者のマンが意図した効果なのかもしれない.だけど,いくらか注意して読んでみると,こんなことがわかる:

  • ピンカーの個別の主張にケイト・マンは不満をもっているようだけれど,具体的になにがどう間違っているのかをはっきり述べてはいない.フェミニストの見解を「軽んじている」とは言うけれど,それはせいぜい,自分とちがう考えをピンカーが言っているということでしかない.
  • なんとなくピンカーの印象が悪くなりそうなことは言うけれど,なにがどういけないのかはっきり言っていない.
  • そして,ケイト・マンはときに不適切・不正確な引用をしている.


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